農協おくりびと 111話から最終話

落合順平

農協おくりびと (111)丑の刻参り

(この恨み晴らさで置くべきかの、丑の刻参りか・・・)ちひろが、つぶやく。


 丑の刻参りは、丑の刻にあたる午前1時から午前3時ごろにかけて、

神社の御神木に憎い相手に見立てた藁人形を、五寸釘で打ち込んでいく。

日本に古来から伝わる、呪術のひとつだ。

嫉妬心に狂う女が白装束を身にまとい、ロウソクを突き立てた鉄輪を

頭にかぶり、7か日間、秘密を守って祈祷に通う。

満願の7日目で、相手が死ぬと言われている。

だが他人に見られてしまうと、この呪いの効力は失せてしまう。


 「無理していないですか、ちひろさん」


 「え・・・?」


 「やっぱり変ですから、どことなく」連理の杉を見上げているちひろの背後で、

キュウリ農家の山崎がポツリとつぶやく。


 「元気に見えます。だけどやっぱり、いつものちひろさんとどこかが違います。

 後悔しているんでしょ。光悦さんに絶縁宣言してきたことを」


 「何で知っているの。わたしが光悦に、絶縁宣言したことまで・・・」


 「ちひろさんを見ていれば気が付きます。みんなだってもう、気が付いています。

 だからここまでやって来たんです。全員で。

 まさか。もうひとりのちひろさんに、丑の刻参りをしようなんて考えていないですよね。

 失恋した女は普通、常軌を逸した行動に走りますから、見ていて不安です」


 「常軌を逸した行動に走るような女に、見えますかこのわたしが?」

 

 「はい。見えているから、不安なんです」

ちひろの目を見つめて、4歳年下の山崎がきっぱり言い切る。


 「もうひとりのちひろさんに、罪はないと思います。

 もうひとりのちひろさんが産んだ双子の中学生にも、やっぱり罪はありません。

 長い間。そのことを明らかにしてこなかった光悦さんにも、罪はありません」


 「そんな風に言われたら、悪いのは、わたしだけ・・・と聞こえます」


 「ちひろさんも悪くありません。

 でも、心配なことがひとつだけあります。

 ちひろさんはいま、自分の胸に、後悔の五寸釘を打とうとしています」


 「わたしが、自分の胸に後悔の五寸釘を打つ?・・・どういう意味よ?」


 「俺。野球とゴルフしか知らないスポーツバカの単細胞です。

 男女のこまかい事はわかりません。

 でも俺は過ぎ去ったことに、こだわらないようにしています。

 スポーツの場合。場面ごとに、交互にチャンスとピンチがやって来ます。

 成功してうまく結果を出せることあれば、期待に応えられず、失敗することもある。

 だからといって、いつまでもくよくよしません。

 その場は失敗しても、またつぎの場面で頑張ればいいんです」


 「もう一回、光悦にチャレンジしろと、わたしには聞こえました」


 「そう言う風に言いました。

 30年間もいいなずけとして、生きてきたお2人です。

 一度くらい絶縁宣言したところで、どうこうなるような2人じゃないと思います。

 それどころか。ちひろさんがはじめて、自分の気持を光悦さんにぶつけたんです。

 相手の返事も聞かず、勝手に落ち込んでいる場合じゃありません。

 誰が見ても、変だと思うでしょう」


 その通りだ。まったく返す言葉がない。

しかし山崎のその言葉に、素直に「その通りです」と言えない自分が居る。

(確かにその通りだけど歯がゆいなぁ。年下の男の子に好き勝手に言われて、

反論できないなんて・・・悔しいじゃないの、あまりにも・・・)

ちひろが、そっとくちびるを噛む。


 「馬鹿じゃないの、あんたは。

 光悦と別れてわたしの気持ちは、あなたに傾きかけているのよ。

 絶好のチャンスを、何故見送るの。

 わざわざ敵に塩を送るなんて、若造のくせに生意気すぎます。

 そこまで優しくされてしまったら、遠慮しないでまた未練がましい、

 女々しい女に、わたしは逆戻りしてしまいます・・・」


 「遠慮しないで、女々しい女に逆戻り、してください。

光悦さんにこだわっているちひろさんのほうが、あなたらしいと思います。

生き方を変えないでください。

この木のように、未来を信じてまっすぐ、天に向かって伸びてください。

そんなちひろさんが、俺は、大好きなんですから」


 山崎のきっぱりした目が、真正面からちひろを見つめる。



(112)へつづく

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