はだかの蝶の泉

もちかたりお

はだかの蝶の泉

はだかの蝶の泉

 蝶が翔んでいた。群れをなして、翔んでいた。

 ひらひらひら、と、翔んでいた。

 その翔んでいる蝶を、亜竜が食べてしまった。

 亜竜は、竜にくらべると、ずいぶん小柄で、きゃしゃだ。羽をもっているが、とてもちいさい。ちいさいが、ひっしに羽ばたかせると、どうにか飛ぶことができる。そんな亜竜が、蝶を追いかけて、ぱくり、と、食べてしまった。

 亜竜は、これという武器をもたない。前足には爪があるけれども、前足じたいがちいさいので、やくにたつということはない。火を吹く能力も、亜竜にはない。それでも蝶とくらべれば、亜竜ははるかにおおきい。

 だから、蝶は、あっけなく食べられてしまう。蝶は、そういう亜竜に、ていこうすることはできない。

 亜竜は、ようしゃもなく、蝶を食べていった。

 数十頭が群れていたはずが、すでに、十数頭にへってしまった。のこされた蝶たちは、なんだか、かなしいきぶんになった。これから、どうすればいいのか、わからなくなった。

 どうしよう。

 ぽつり、と、つぶやく蝶もいた。この蝶はひときわ翅がうつくしく、青みをおびた複雑な色あいをしていて、そんな蝶がしょんぼりとしているのは、とてもきのどくなかんじがした。

 亜竜に、しかえしをするのだ。

 とうとつに、一頭の蝶が、そういった。静寂をやぶるように、そういった。

 そうだ、それがいい。

 復讐をするのだ。

 亜竜なんか、やっつけてしまえ。

 まわりの蝶たちは、そういって賛成した。

 蝶たちは、そこで、ふたたびかなしいきぶんになった。

 亜竜になんか勝てるわけがない、ということを、蝶たちはみんなしっていたからだ。亜竜は、蝶たちにとっておおきすぎたし、なによりも蝶たちは素朴でやさしすぎて、だれかを傷つけることは苦手だった。

 そこに、蛇がやってきた。

 蛇は、うねうねしていてかたいけれども、どうじにやさしくもある。だから、蝶たちは、蛇に話をきいてもらうことにした。それに、なんでもよくしっている蛇ならば、亜竜をうちまかす方法をおしえてくれるかもしれない。そういう期待をもってもいた。

 蛇は、うんうんとうなずきながら、とぐろをまいて、じっと話にからだをかたむけてくれた。蛇には耳がないので、音をきくときには、からだ全体をおおう皮膚をつかってきくのである。蛇は、やさしくてかしこいだけでなく、正義感もつよい。このあいだも、ひと、という奇妙でいじわるないきものに、ちょっとばかりいたずらをしてこらしめたときく。

 それなら、泉をさがすといいです。蛇は、蝶たちの話をぜんぶききおえたのちに、そうこたえた。ただし、わたしがいまいった泉というのは、ふつうの泉のことではないです。水がわきでている場所のことではない、ということかい。蝶がいうと、蛇は、そうです、と、にこにこしてこたえた。

 じゃあ、泉ってなんなの。一頭の蝶が、たずねた。

 泉は、力の源です。泉からは、せいめいりょくがわきでているのです。

 その泉は、どこにあるの。

 さがすのは、たいへんむずかしいです。泉はすがたを変えてうごくから、さがすのがむずかしいのです。

 じゃあ、どうすればいいんだい。

 息をはいて、それから、はいた息よりもたくさんの息を、すいだすようにするんです。じぶんが息をするのではなく、じぶんが息をされているようにするといいです。そうやって、泉をさがします。泉は、世界のどこかにかくれているわけではありません。泉は、じぶんじしんのなかにあります。

 ぼくたちのなかにも、あるのかい。

 もちろんです。あなたのなかにも、わたしのなかにも。だれのなかにも、泉がかくれています。泉をみつけられたら、とてつもない力を手にいれられますから、亜竜なんかこわくありません。なぜならば、泉からは、せいめいりょくがわきでているのですから。

 ありがとう、蛇さん。

 蝶たちは、お礼をいった。蛇は、では、といって、去っていった。

 十数頭の蝶たちは、いっせいに、泉測をしはじめた。泉の探索であり、内宇宙の冒険だった。そとの世界もひろいけど、なかの世界もおなじくらいひろいのだ、ということを、蝶たちははじめてしった。そこは、ふるえるくらいにすばらしく、はらはらするほど危険であふれていて、ふわふわするほど安心でみたされていた。

 あれ、とおもったひょうしに、一頭の蝶が、泉をみつけていた。あの、青い翅のうつくしい蝶だった。ついに、泉をみつけたのだ。うれしくなった蝶は、どきどきと心臓をならして、翅の色をますます複雑にした。しかしどうじに、こわくなった。おそろしかった。逃げたい、と、おもった。からだが、しぜんとふるえてきた。蝶は、ぱたぱたぱた、と、ふるえた。

 ふと、泉から、たいりょうの水がでてきた。ほんとうは水ではなく、せいめいりょくなのだが、具現化していて水にみえるのだった。その水が、蝶をおそった。逃げるまもなく、蝶は、びしょぬれになってしまった。

 鱗粉が、ぜんぶ、ながされてしまった。

 蝶は、ぼうぜんとして、その場にたちつくした。きれいな翅の色は、もちろん、うしなわれていた。もう、ひらひら、と、まうこともできないからだになってしまった。

 こんなすがたでは、みんなにあうことはできない。蝶は、ぽつり、と、そうかんがえた。あのとき、亜竜に食べられていたほうがよかったのかもしれない、とも、かんがえた。

 蝶は、がっくりしながら、内宇宙からげんじつの世界にかえった。もう、四、五頭の蝶が、泉をさがしおえてかえってきていた。

 みんな、鱗粉がなかった。

 白っぽくて、灰色で、でも、太陽のひかりをあびて、きらきら、と、かがやいていた。

 おかえり、と、一頭の蝶がでむかえた。かつて青い翅をもっていた蝶は、ただいま、と、いった。とても、いいかおをしていた。

 つぎつぎと、蝶がかえってきた。みんな、ぶじに、泉をみつけることができたようだった。よかった、よかったといって、蝶たちはよろこびあった。

 でも、鱗粉がなくなっちゃったね。蝶の一頭が、ためいきをつくように、そういった。もう、うつくしくもないし、翔べないんだよね。

 そんなこと、ないよ。青い翅をもっていた蝶が、いった。ふだんにくらべて、すごくつよいいいかただった。ぼくたちは、うつくしいし、それに、いままでよりも自由に空を翔ぶことだってできるんだ。

 ふわり。

 青翅の蝶の足が、地面から、はなれた。

 すーっとながれるように、その蝶は、天へとのぼっていった。

 翔んだぞ。翔んだぞ。

 まわりの蝶たちが、いっせいにさけんだ。

 すると――

 ふわり。

 ふわり。ふわり。

 一頭、また一頭と、蝶たちが翔びはじめた。

 鱗粉などなくとも、せいめいりょくがあれば、翔ぶことができる。そのことに、みな、きづきはじめたのだった。

 べつの一頭は、翔ぶのではなく、青白いひかりをはなつことに、成功した。そのひかりは、雷のようであり、火狐のようでもあり、ほかの雷でないもののようでもあった。するどくて、あかるくて、亜竜をうちまかすにはじゅうぶんのひかりだった。

 蝶たちは、鱗粉をなくし、いまや、はだかの蝶となっていた。蝶は、はだかになって、もっているものを手ばなすことで、むしろ力をまして、世界のさまざまのものから、ときはなたれたのだった。

 裸蝶たちは天たかく翔びながら、亜竜への復讐の機会を、じっとまちつづける。もちろん、うちたおすべき亜竜は、永遠にそのすがたをみせない。

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