第五話 手
「ケイスケって、生きてるとき、もてたでしょ」
自然と会話の流れはそちらに向いた。
ふたりそろって同じ茂みをがさごぞ探りながら、早紀はにやりと笑う。
『え? まさか。もててませんよ、全然』
きょとんとした様子の幽霊に、早紀は「うーそばっかりー」とおばさん笑いを浮かべた。
「絶対あんた、気づいてないだけだわ、それ。天然ナンパ師だもん、なにせ」
『て……ナンパ師?』
「正直に答えなさい、今までに靴箱に何通手紙が入ってた?」
『……サキさん。靴箱って、古い……』
「……うるさいわね」
ぼそっと呟いて、早紀は身震いした。
「やっぱ夜は冷えるねー。二月じゃさすがに」
少しずつ日差しもぬるまってきたが、やはり夜の雑木林は冷える。精神的なせいもあるだろうし、もしかしたら幽霊がそばにいるのも関係があるかもしれない。
『あ』
それを聞いた青年幽霊は、すぐに自分の着ている上着に手をかけた。
だが、その手が一瞬止まり、結局触れただけでふたたび下ろされる。
なによケチーと冗談半分で言いかけた早紀は、うつむいた青年幽霊の顔がひどく空虚で──切なそうだったので、どきりとした。
そして不意に気がついた。
そうか、ダメなんだ。
だって、彼の上着には実体がない。
「や、やだ! 気にしないで! ほら、動いてたら暑くなるし!」
胸が痛くなるほどの切ない表情に、早紀は無意味にぶんぶんと腕を振りまわした。
「チョコも探すんだからさー! あ、そうだいっそ競争しない!? どっちが先に探しもの見つけるか! 負けた人はえーっとあー……大声で歌うたうとか! 恥ずかしいわよー! ……あ、でも聞いてる人いないか! あははー!」
間抜けに見えるぐらいの空騒ぎぶりに、青年幽霊は少しだけ笑った。
『本当に、見る目がなかったんだね……』
ぽつりと呟かれた青年幽霊のその一言に、早紀はきょとんとした。そしてその意味を悟ると、顔を真っ赤にして青年の白く透けた体をすかすか叩いた。
「おばさんをからかうんじゃないわよ、ほんとにもーっ」
『確かに靴箱は、古いけどね』
すかっと様にならない裏拳をかまして、早紀は大げさにため息をついた。
そして同時に思った。
(いい子だな……)
話せば話すほど、そばにいればいるほどわかる。
少しばかり皮肉屋で、天然ナンパ師で、無口な奴だけれど、でも「寒い」と言う早紀に自分の服を貸そうとするぐらい──そして貸せないことに心を痛めてしまうぐらい、幽霊は好い青年だ。
儚い印象は受ける。黙っているときの表情は怖いぐらいに寡黙だ。けれど、ふと浮かべる表情はとびきり優しくて、早紀とは違ってぼんやり光っているこの青年に、つい見とれてしまう。
どうして、死んだのだろう。
早紀は青年の横顔をこっそりと見つめる。
青年は真剣な顔で、草のなかを探り、木の根元に目を向けている。
……なにを、探しているのだろう。
助けてあげることができたらいいのに。
早紀はそう思って、今までにない真剣さで草むらをあさった。
早くチョコを探しだそう。自分の用事を終わらせ、そして早く彼を手伝うんだ。
──助けてあげたい、この青年を。
「……あ」
そしてその言葉が、幽霊が最初に早紀に言った言葉と同じだということに、早紀は気がついた。
胸が熱くなる。自分が感じたのと同じ真剣さで、青年は自分の探しものを手伝ってくれているんだ、そうようやく気がついて。
早紀は勇気づけられて、がぜん、やる気になって手を動かした。
胸がいっぱいになって、涙が出そうになる。早紀はそれを誤魔化すように、先ほどの会話の続きをはじめた。
「そう! それでケイスケは……好きな子とかいたわけ?」
好奇心もあったその問いに、幽霊は首をかしげて虚空を見つめた。
『昔。近所に住んでるお姉さんが好きだったかな……』
いつの話だよ。
早紀は苦笑して、質問を変えた。
「じゃあさ、気になる子とかはいなかったわけ?」
すると青年は一瞬だけ凍りついた。
『……いない』
いたな。
その子供っぽい反応に、早紀は思わず笑った。
笑った片隅で、ちょっとおばさん根性で残念に思っている自分に気づいて、早紀は苦笑する。
(なにやってんだか。私には一応、あのクソ彼氏がいるじゃない)
早紀は「久しぶりに思い出したわあいつのこと」と嘲笑った。
本当にこの青年幽霊に比べて、なんて嫌な奴だったのだろう。同じ無口でもまるで違う。青年のように早紀を気遣うこともなければ、早紀が話しかけることに反応することもなかった。無口なくせに乱暴で、なにかにつけて不機嫌な男だった。
──どうしてあのとき、別れなかったんだろう。
早紀はさっき答えの見つからなかった問いを思い、しかし首を振った。
(どうでもいいわよ、あんな奴。チョコ探したら、真夜中だろうと押しかけて、チョコ投げつけて、「さようなら!」て言ってやるんだから)
ふんっと、意味もなく勝ち誇った気分で早紀は笑った。
(大嫌いだ。あんな男……)
早紀は心中で、吐き捨てた。
だが、その言葉を吐いた途端、早紀の心の奥底に、なにか空虚な穴が出来てしまったように感じた。
思わず胸元を抑えて、早紀は眉を寄せる。
そして――浮かべたままだった笑みが、不気味なぐらいに一瞬で消えた。
(あれ?)
不意に気づいた。
(嘘……)
彼氏の顔が、思い出せない。
『サキさん?』
愕然と凍りついた早紀に気づいて、青年幽霊が首をかしげる。
「ケ、ケイスケ。ど、どうしよう……」
とっさに青年幽霊にすがりつこうとする。だが、伸ばした腕は彼の体をすり抜け、早紀は結局、地面に手をつきながら、虫一匹いない地面を愕然と見つめた。
生命の息吹をなにひとつ感じない地面が、唐突に恐ろしいものに感じた。
早紀はついた手を慌てて引きはなした。
「変、だ……」
早紀は震える声で呟く。
「変だよね、この林。なんでこんなに広いの?」
『…………』
「月だってこんなに時間が経ってるのに、少しも動かないじゃない」
無限に広がるかのような雑木林。
どんなに歩いても、あるはずの道路を車が走る音も、ヘッドライトの光すらも見えない。それに飛行機だって飛んでないし、虫だって鳴いていないし──赤い月がずっと同じ場所にある。
今まで幽霊がいたおかげで考えずに済んでいたことが、急に頭をもたげ、勢いを持ちはじめた。急速に、恐怖が心に影を落としはじめる。
「ケイスケは、この林で死んだの?」
残酷な言葉だとわかっていながら、早紀は聞かずにはいられなかった。
「っ変だよ! それに、だって……、榊君の顔が思い出せないの……!」
『サキさん』
青年幽霊はどこか気遣うような表情で、早紀の名を小声で呼んだ。
それはまるで、早紀のこの後の運命を哀れむかのようだった。
「私も死ぬの……?」
ぽつりを呟いた一言は、静かな雑木林にやけにはっきりと響きわたった。
「で、出口……探さないと……」
早紀は立ちあがった。動揺を打ち消すように首を振りながら、一歩一歩と歩を進める。後ろで青年幽霊が自分の名を呼んでいたが、それすら耳に入ってこない。
早紀は気づけば走り出していた。
『サキさん……!』
恐怖に駆られて走る早紀の背後から、青年幽霊の必死の声が聞こえてくる。けれど早紀は止まることができずに、ひたすら雑木林を走った。
頭の中にはただ、嘘だ、嘘だ、という声だけがこだましている。
嘘だ、出口はあるはずだ、出口を見つけて家に帰ろう、チョコは明日探せばいい、買いなおしたっていい、どうしてこんな林に迷い込んでしまったんだろう……!
そのときだった。
早紀の目に、思わぬものが飛びこんできた。
林のずっと向こうに、人影があったのだ。
驚いて背後を振りかえると、白い光を放つ青年幽霊が追って来ているのが見えた。
もう一度顔を前方に戻すと、木々の向こうに、光っていない人影が立っていた。
──人だ!
早紀は泣きそうになるのをこらえながら、人影に向かって声を張りあげた。
「た、助けてください……!」
声が届いたのか、人影はゆっくりとこちらを振りかえった。
早紀は安堵のあまりに手を伸ばした。人影もゆっくりと手を差しのべてくる。
あれ? いつの間にこんなに近くに来たのだろう。さっきまで人影はずいぶん遠くに見えていたのに。
そう思いながら、早紀はその人の手に触れた──直後。
「……!?」
手のなかで、相手の手がずぶずぶと崩れだす。
ぐにゃりとした感触が指先から全身へと伝わり、鳥肌がたった。
嘘。顔を上げるとそこには、髪が抜け落ち、片方の眼球が糸を引いて飛びでている、皮膚の腐りおちた顔があった。
早紀は声にならない悲鳴を上げた。
腐った手が早紀を乱暴に引き寄せた。
触れられた場所から真っ黒な腐敗が、水に広がる墨のように体の内部に広がっていった。
「榊くん……!」
自分が腐ってゆくのを生きながらに感じながら、早紀は声を振りしぼって叫んだ。返事はなかった。そのかわりに、背後から駆けてきたあたたかな空気が自分の体を通り抜けてゆくのを感じた。
はっと目を見開く。
見下ろすと、早紀の首のあたりから、青年幽霊の顔が現れた。
そして、彼は凄みのある形相で眼前の腐った人影を睨みつけた。
『立ち去れ!』
物静かな青年幽霊の声とは思えぬ力強い言葉。
その言葉に殴られでもしたかのように、腐った人影は奇怪な悲鳴を上げながら、早紀から手を離して飛びずさった。
そして、
早紀が目を見張っているほんのわずかな一瞬、
人影は雑木林の闇に溶け、消えた。
ふたたび静まる雑木林。虫の音もしない。赤い月光はさらとも音を立てない。
目に入るのは深い木々と、目の前に立つ、ぼんやりと光る青年だけ。
青年幽霊はしばらく人影が消えた方向を睨みつけていたが、やがて地面にへたりこむ早紀を振りかえった。
そして、逃げだした早紀を責めるでもなく、大丈夫かと声をかけるわけでもなく、ただ静かに光る手を差しだしてくる。
その手をとれないことは分かっていた。虚しくすり抜けてしまうことぐらい。
けれどその手に自分の手を重ねるふりをすると、真っ白な清い空気が体内に流れこみ、先ほどまで全身を支配していた黒い空気を外へと押し流してくれるのがわかった。
『……立てますか』
そっと問われ、早紀はこらえきれずに声をあげて泣きじゃくった。
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