第二話 赤
数分後。
降りそそぐ赤い月光から逃れるように、日中なら木陰になっているだろう場所で、二人は並んで座っていた。
(なに幽霊と並んで座ってるんだろ、私……)
泣きはらして赤くなった目をうつむいて隠しながら、早紀は気恥ずかしいやら気まずいやら怖いやら、複雑な気分でぼんやりと思った。
ちらりと横目で覗き見ると、泣いている間ずっとそばにいてくれた幽霊が、木の根元に腰かけ、じっと地面を見つめていた。
遠くで見たときは白くてぼんやりとした影にしか見えなかった幽霊だが、近くで見ると、かすかだが、光の向こうにその輪郭や顔かたちを見ることができた。
幽霊は青年だった。自分より、たぶん年下。大学生ぐらいだろうか。今どき珍しく清涼感のある青年で、短く切った黒髪に好感が持てた。
幽霊なんて、すごく怖い、腐り落ちたみたいな顔をしていると思ったのに。
予想外に現代っぽい、優しく端正な顔立ちは、早紀の恐怖心を否応なく和らげた。
視線に気がついたのか、青年幽霊がこちらを振りかえってきた。早紀は慌てて視線を逸らし、気まずい思いであちらこちらに視線をさまよわせる。
(幽霊に泣きつくなんて……)
先ほどの状況を思い出し、早紀はとことん自己嫌悪に陥った。
よりによって幽霊相手に泣きつくだなんて。しかも一瞬前まで悲鳴を上げて逃げまわっていた相手に。
(逃げよう、食われる前に)
早紀はまとまらない思考をフル回転させ、どうにかそこにたどり着く。
だが、どうしても逃げる気がわいてこなかった。泣きついてしまったという気まずさもある。ふたたび、ひとりになるのが怖いというのも、正直なところある。
けれどそれ以上に、この幽霊から逃げる理由が、早紀には見つけられなかった。
(危害を加えてくる様子もないし)
追いかけてきたくせに。追いつくことができたはずなのに。今はこうして隣に黙って座っている。
危害を加えるつもりがないのなら、もしかしてこの幽霊は自分になにか助けでも求めているのだろうか。早紀はふと思いついて難しい顔をした。
夏恒例の特集番組でよくあるやつだ。成仏するための手助け、とかなんとか。墓がないから墓を作ってくれだの、幽霊が身勝手な頼みごとをしてくる、あれだ。
(墓石っていくらぐらいするんだろう)
早紀は漠然と馬鹿なことを想像し、はぁ……と暗い溜息を落とした。
そして半分ヤケで口火を切った。
「ええと、あー……あの」
青年幽霊が早紀の声に反応して、顔をこちらに向けてくる。
「あの……ご、ごめんね、いきなり泣きついたりして」
なるべく幽霊の顔を見ないようにしながら、早紀は大根役者が台本でも読むようにつづけた。
「えーと、それであの、なんだかよく分からないけどその……未練なんて残してないで、さっさと成仏しちゃいなさいよ」
『…………』
「あのさ、私も私で探し物があるんだけど……でもあー、いきなり泣きついたおわびで、できるかぎりのことはするから。だからこんな不気味なとこいつまでもうろちょろしてないで、早く、楽……になりなよ」
早紀は独り言のようにぶつぶつ呟いて、しばらく膝を抱えて幽霊の反応を待った。
だが、いつまでたっても返答がないので、不安に思って幽霊を振りかえると、青年幽霊は驚いたように見える顔で早紀をまじまじと見ていた。
「な、なによ」
『驚いた』
「……なにが」
『そんな格好してるから、もっときつい性格かと思ってたのに』
早紀はきょとんとする。その一瞬後、ものすごく失礼なことを言われたことに気づいて、早紀は「なんですって!」と詰めかかろうとした。
だがそれより一瞬早く、青年幽霊は静かに柔らかな微笑みを浮かべた。
『あなたは道に迷ってるんでしょう。なのに優しいんですね』
「……──」
意表をつかれて、早紀は言葉を失った。
優しいだなんて、そんなこと言われるとは思わなかった。というか、生まれてはじめてそんなことを言われた気がする。はじめて言ってくれたのが幽霊だったというのはなにやらアレな感じだが、早紀は自然と表情が緩むのを抑えることができなかった。
(って、そんな格好?)
幽霊のその前の言葉を思いだし、早紀は改めて自分の姿を見下ろした。
赤系統の色で合わせた服だ。いつもは適当なジーンズとトレーナーの自分に比べると、随分と背伸びをしている大人っぽい格好だ。
「……あ、赤い色はやっぱり派手すぎたかな」
最高のバレンタインにするために、珍しく気合を入れて選んだ服だ。そんな格好と言われてしまうと、今まではなかなかだと思っていた服が急に色褪せて見えてくる。不安にかられた早紀は、思わず幽霊相手に聞いてしまった。
幽霊は物静かな表情をわずかに傾けた。
『……赤、好きなんですか?』
「え? 赤? あー、好き……ってわけではないけど」
しどろもどろと言い訳しつつ、早紀は挙動不審にあちこち視線を彷徨わせる。
「そう、好きってわけじゃないわ、断じて! ただあのほら、バレンタインだからさ。一応赤かなー……なんてなんとなく思った……のかも」
少しでも自分のセンスが非難されるのを逃れようと、早紀は必死に言い訳をした。
だが、早紀の困惑をよそに、幽霊はふーんと頷くと、真顔で呟いた。
『綺麗ですよ』
「――──」
こいつ、生前はナンパ師だったんじゃないの!?と早紀は、心中で血がのぼった頭を抱えた。
『でもヒール高いし、パーマもきついから。なんとなく気が強そうだなって』
「……そ、そうですか」
持ちあげて落とされた早紀は、ガックリと肩を落とした。
確かに今思うと、気合を入れすぎた感がある。ヒールは高すぎかな、とは最初に思っていたけれど。全体的にもうちょい抑えたつもりだったのだ。けれど第三者に言われてみて、初めて早紀は自分の服が派手すぎたことに気づいた。
(特に色よね色。バレンタインデーに赤って、センスやばすぎ……)
早紀はあーと頭を抱えて、首を振った。
「……へこんできた。もしかしてあいつ、この服見てうんざりしたのかな。派手なの嫌いだしな、奴。……別にうんざりされても、今更どうでもいいけど」
『誰?』
「……彼氏」
早紀はポツリと言って、ハッと顔を上げた。
何を幽霊相手に愚痴っているのだろうか。今はむしろ幽霊の愚痴を聞かなくてはならないというのに。ディズニーランドのホーンデットマンションよろしく、幽霊に家までついてこられるのは御免だ。
早紀は地面をバシッと叩いて、勢いで幽霊を睨みつけた。
「私の話はいいのよ! あんたの話よあんたの! なんでこんなとこに、いつまでもうろちょろしてるのよ。さっさと成仏しなさいよ!」
『……成仏』
「成仏がいやなら、ええと……昇天でもいいし! 昇天! 天使がラッパ吹いて、迎えにきそうな感じで素敵じゃない!」
『…………』
幽霊は顔を膝に埋めてクツクツと肩を震わせた。
『変な人だなぁ』
「変って──ゆ、幽霊が側にいるのにおかしくならないほうがおかしいわよ。言動がおかしいのなんか、とっくに自覚があるわよ! パニック起こしてるの悪かったわね!」
むきになって答える早紀に、幽霊はますます笑いころげた。
そして青年幽霊は、膝を支えに頬杖をついて、微笑みついでに言った。
『いいんです、僕のことは気にしないで。そばについてたのだって好きでそうしてただけだし。第一、おびえさせちゃったのは僕なんだから。……そう、むしろ僕がおわびをしなくちゃ。なに探してるんですか?』
「え──あ、バック」
言葉を詰まらせる早紀に、幽霊はますます微笑を深めた。
『探し物、おわびに手伝います、サキさん』
その言葉に、早紀は目を見開いた。
「え? ……何で名前」
幽霊は不可思議で静かな笑みを口端にだけ浮かべて、「僕はケイスケ。よろしくね」と勝手に名乗って立ち上がった。
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