第3話 鬼ノ城

「うわ! 凄いのう、瀬戸内が丸見えじゃな」


 百瀬媛は鬼ノ城の西櫓門にしやぐらもんの二階から瀬戸内の海を見渡した。

 讃岐さぬきまで一望出来る見晴らしのいい場所で、聖山である吉備の中山の麓の吉備津の港には、隼人の操る九州からの貿易船が数百停泊していた。


「お船がいっぱいあるね」


 稚鳥彦も楽しそうに行き交う船を眺めている。


「あの吉備の中山の上に建ってる館が吉備津宮きびつのみやです。百瀬媛さまがいた吉備津彦の屋敷です」


 王丹が丁寧に説明する。


「しかし、これでは海賊も悪さが出来ないのう。つまらん」


 百瀬媛は頬をふくらせて、ふて腐れた表情をした。


「まあ、それが大和やまとまつりごとです。まつろわぬ民は鬼という訳です。温羅さまがいた頃はもっと自由でした。海賊も民も一緒になって楽しく生きていた」


 王丹は懐かしむように言った。


「親父殿が創った国はそんな国だったのか。わしも見てみたかったな」


 百瀬媛は寂しそうに言う。


 悪事を働き、鬼ノ城に立て篭って反乱を企てた鬼神、温羅、それはあくまで大和朝廷側の造ったストーリーである。

 実際は戦乱から逃れてきた百済の皇子であり、吉備の民は異邦人である彼を暖かく迎えてくれて、それに報いるために、温羅は当時の百済の農耕、鉄、造船、土木などのハイテク技術を惜しみなく教えたという。

 元々、吉備は古代より秦氏などの渡来民の住む土地で、九州の隼人などの交易の拠点にもなっていて、吉備の海部は九州、沖縄、遠く中国の江南辺りまで航海していた。 

 

「本当に理想の国でした。今、想えば、儚い夢のようなときを一緒に過ごせて私も幸せでした」


 王丹は遠い幻を見るような表情をした。


「―――では、また、作り直せばよい」


 百瀬媛の言葉に王丹は思わず感服した。


「媛さまには、やはり、温羅さまの血が流れている」


 王丹の胸に熱いものがこみ上げてくる。


「百瀬媛、では、わしと一緒に国を創るか?」


 百瀬媛が振り返ると、そこに漆黒の鉄仮面の男が立っていた。

 白銀の鎧武者姿で赤いマントが風になびいていた。

 背中に六角形の鉄の棒を背負っている。


「何者?」


「お前の兄じゃ、名は風羅ふうら。そこの王丹に育てられた」


にいさま? 母さまからそんな話も聞いてたが……」


「あまり驚かないのだな」


 風羅の口元が少し緩んだ。


「あの母さまに育てられれば仕方なかろう」


「確かに」


 今度は莞爾かんじと笑った。

 



 

       †


  



 あの男が帰ってくる。

 遠く中国江南地方、揚子江の港からの長旅から帰還したのだ。

 知らせを受けた稚武彦は吉備津の港に赴いた。 

 黥面文身、顔と身体に刺青を施した真っ黒に日焼けした男が船の先端に立っている。

 逞しい上半身裸に革の腰布をつけている。

 

温流うる! 帰ったか!」


 稚武彦はその懐かしい好敵手ライバルだった男を大声で呼んだ。

 <鬼ノ城の戦い>では敵味方に分かれて戦ったが、温羅の遺言で和解して吉備の海部となっていた。


「稚武彦か! 吉備津は相変わらずか?」


 右目に黒いかわの眼帯をした隻眼の海賊が野太い声で返答した。

 手には鯨を仕留めることのできる巨大なもりを握り、仁王王立ちで立っている。


「まあ、相変わらず賑わっているよ。変わったことと言えば、少々、百瀬媛が暴れたがな」 


「ほう、百瀬媛が讃岐から来たか。お転婆娘に育ったようだな。兄者あにじゃとあの媛の子供では仕方なかろう」


 漆黒の左目を細めて温流が微笑む。


「稚猿彦にへこませられて、いじけているがな」


「稚猿彦、息子の武勇も大したものだな」


 温流はそういいながら、船の舳先へさきから桟橋に飛び降りてくる。


「温流、帰ったのか! また、稽古をつけてくれるか?」


 知らせを受けた稚猿彦が、筋骨逞しく傷だらけの身体の歴戦の戦士、温流に駆け寄る。 


「おう、幾らでもつけてやるとも。百瀬媛はどうだった?」


 弟子の成長を喜びつつ、百瀬媛のことも気になった。


「邪眼使いは厄介でしたが、何とか紙一重で。相手の油断がなければ負けていたでしょうね」


 稚猿彦はなかなかの苦戦であったことを明かした。


「邪眼使い。兄者の血と百襲媛の力を受け継いだか」 

 

 温流は嘆息する。


「再戦が楽しみです」


「ところで、百瀬媛はどこに行った?」


「山の方で遊んでるようですね」


「まさか、鬼ノ城ではないのか?」


 温流の表情が一瞬、曇る。

 <鬼ノ城の戦い>以後、姿を消した義兄弟の王丹のことが頭をよぎる。


「あそこは今、人はいませんし、大丈夫かと」


 不安そうに答える稚猿彦だった。


「一息ついたら探しに行ってみるか」


「そうですね」


 ふたりの会話を聞きながら稚武彦は鬼ノ城山を見上げた。

 のろしが上がっていた。 


 

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