第2話 二階堂琥珀

2

先生達の喋る授業を適当に聞く。聞く振りをしていた。彼の名前は大澤。


「(だるいな・・・・・)」


彼は特に今日は集中出来ず、授業を聞く振りをしていた。空は晴れていた。一見この教室で行われているのは普通の授業風景のようだったが実際は違った。授業を聞く振りをする。それ自体がここにとっては命知らずな行為だった。


その教室では坊主頭の背の高い男が教鞭をとっていた。机に座った生徒達のほとんどが熱心に授業を聞いているように見えた。生徒達の制服は統一されていなかった。教室全体を見渡して見ると綺麗なシワ一つない制服を着ている者がいれば、ボロボロでよたよたの汚い制服を着ている者までいた。彼らは貧乏だからそんな服を着ているのではない。やんちゃにしすぎて服がそうなったわけでもない。答えはヒューマンスクール側がそれらの着用を義務づけていたからであった。


ビロウ制度。生徒間にはビロウと呼ばれる点数が存在する。このヒューマンスクールではそのビロウが特に重要な意味を持っていた。教師は生徒にビロウを足したり、引いたりすることが出来る。この教室内のビロウの多い生徒は綺麗な制服を纏うことが許されており、少ない生徒は逆に劣悪な服を自分の衣としなければならなくなるのだ。


故に、ほぼ全ての生徒達は熱心に教師の話を聞いていた。何度もうんうんと首振り人形のように頷く生徒達を見ていた大澤の目は今日にかぎってどこか冷ややかだった。


「(今日でここに来てから僕は1年目だな・・・・)」


日に日に増してきた疑念が大澤の中で大きくなっていった。それは、


「(こんなことをして本当に意味があるのか?)」


ということだった。大澤の周りの生徒達は相変わらず首振り人形だった。なぜそうなっているかと言うと、そうしなければビロウが引かれてしまう可能性があるからだ。普段は首振り人形にならなかったらそれだけでビロウが引かれてしまうことは無い。だが首振り人形にならなければ、問題を当てられる回数も増えるし、何より難癖をつけられるのだ。問題を答えられなければその答えられなかった回数が積み重なるごとに、ビロウが引かれてゆく。さらに周りの人間が皆首振り人形になっているのだ。自分だけ首振り人形にならないなんてことは生徒達には出来なかった。なぜならそんな風に教育されたからである。ざっと上げただけでこれだけの理由があったが、それ以外にも理由は絡み合い、彼らを縛り付けていた。


「(もしかしたら先生達のいうことは間違っているかもしれない。)」


大澤は違和感を感じ、最初の疑念が芽生えた。教師たちの言うことに矛盾を感じることがあった。だがここではそんなことを思うだけで反省室行きだった。反省室には誰も入りたくはなかった。

大澤はここ半年ほど息苦しさを感じるようになっていた。だがその息苦しさの正体が判別出来なかった。


授業が終わりに差し掛かった時のことだった。不意に坊主頭の教師が授業とは違う話をし始めた。


「また自殺した生徒が現れたみたいだけど、なんでそんなすぐに自殺するかなぁ。お前ら分かる?」


大澤の頭も教師から聞かれたことがすぐに答えられるように回り始めた。当然教師に気に入られるように媚をうった回答でなくてはならない。教師をいい気分にさせる回答を。そんな自分に大澤は何故か今日は嫌な気分になった。


「(なんでだろ・・・いつものことなのに。)」


「鵲分かるか?」


鵲は答えた。


「たぶん心が弱い人間だからなんじゃないですかね。弱くて駄目な人間だから何事からも逃げて、挙句に自分の人生からも逃げちゃったんじゃないかとたぶん思います。」


それを聞いた猿顔の坊主頭は満足げににっこりした。教室の中で拍手が沸き起こった。生徒のほとんどが鵲に尊敬の眼差しで見ていた。

死んだやつの悪口が教室の中で反復された。それは授業が終わってから、休み時間になっても続いた。大澤も自殺したやつは駄目なやつだと思っていたが、沸き起こる悪口に加わる気持ちが何故か今日は起きなかった。


次は教室を移動して体育館へと行った。

[ヒューマンスクール規則35条。移動の際は自分の所属する班で移動すること。]

ビロウは0から10までの組みわけがあり、数字が多ければ多いほど何もかもが相対的に良くなる。


9人ごとに班が分けられ、その9人でほとんどを行動しなければならなかった。大澤のビロウの数は1。通常1年ほどここにいる生徒はもっと多くてもいいくらいだが、この数字は最下位を表していた。疑問や息苦しさが出始めた半年前から何に関しても、教師達が教えて下さる素晴らしい人間になるための話も頭にあまり入らなくなった。そしてビロウが下がって行き、今に至る。大澤のビロウの階数はその班内でも一番下の位置だった。


ビロウの低い大澤と田中と横井は汚い制服を汚いまま着ていた。ペタンペタンと破れかけたスリッパを履いて歩いた。みんなはどこか白々しい会話をしながら廊下を歩く。大澤はその中で何か1人でいるような気分だった。


「(息っぐるしいなぁ・・・)」


体育館は生徒達でひしめいていた。二階のスペースから見下ろすような形で大澤の同学年の生徒達が集まっていた。一階には新入生達が集まっていた。これからいつもの授業が始まる。


これから始まることも、この学校の自殺者が82人もいたことも、全部普通のことだと思っていた。全部、他の学校もそんなものだと、思っていた。大澤の日常はこれから大きく変わることとなる。




暗く、腐った視線が二階堂に注がれる。ジメジメとした暗い部屋に二階堂はいた。


「仕方ないな・・・・俺としてもやりたくはないが、ああ仕方ないな・・・」


田淵が自分に言うようにぶつぶつと言う。田淵が手元にある何かをいじっているのが二階堂から見えた。照明がいきなり赤く切り替わった。金切り声のような耳に不快な音が部屋に響く。低い何かの駆動音と振動が冷たい金網の上の裸足に伝わる。


その時、激しい痛みが二階堂を襲った。


「ぐっ・・・・・・」


足元の金網に電流が流されたのだった。殺人的な痛みが二階堂に襲いかかる。その痛みは痛覚を持っていることを心底後悔させるような痛みだった。永遠に続く焼けるような痛みに立っていられなくなり二階堂は膝を着いた。だがその苦痛も終わりが訪れた。


「お前は悪い子だ・・・・・今のはそう。し、つ、け。だ。」


呻き声を上げる二階堂に愉悦感たっぷりといった様子だった。


「さっきの講義室でのお前のやった事、いずれも目に余ることばかり・・・・そうはさせんぞ。」


その時不吉な音とともにドアが開いた。そして幾人かの男が入ってきた。二階堂の目からはどいつもこいつもまともには見えなかった.


「・・・・・」


大の大人が固まって何も喋らずこちらを凝視する姿は不気味だった。男達はホルスターから警棒を一斉に抜き、二階堂に襲いかかってきた。

二階堂は頭の中で危険信号が鳴り、迎え撃とうとするが焼けるような痛みと全身の痺れで体が動いていなかった。


二階堂の背中に強い衝撃が走った。二階堂はそれからはもう滅多うちにされた。重い鉄製の警棒で大勢の人間に囲まれて一斉に打ち据えられた。


「痛いかっ!反省しろっ!」


「痛いかっ!反省しろっ!」


警棒で殴りながら男達は口々に言った。


「反省しろっ反省しろっ反省しろっ反省しろっ!!!」


口々に言うのと反省しろっという言葉が二階堂の頭の中でこだました。来た時と同じように唐突にやめるとドアから一斉に男達は出ていった。二階堂はしばらく動けずにいた。うち据えられてる最中は彼の頭の中は実は殺意でいっぱいだった。


指一本も動かせなかった。その中で復讐を誓った。頭の中で反省しろっという言葉が何度も繰り返された.その度に殺意が塗りかさなれていった。


それからその部屋で二階堂はずっと過ごすこととなった。薄暗い黄色ランプ1つしかない8畳ほど部屋にもう、何日もいた。時計も何もこの部屋にはなく、日付が分からない。食事は無言の教師が、白米を小さな穴から入れるのみ。

二階堂は復讐するために食べた。粗末な食事とそれを食べることに感情が揺れたのは最初の一回目のみだった。後は二階堂の心の底の方で結晶となってわだかまった。


だが来ない、誰も来ない。食事の時以外は一向になんのコンタクトもない。それがずっと続いた。ひたすら待ちの時間を強いられた。あらゆる情報が排除された空間。外との執拗なまでの断絶が二階堂を攻撃した。暗闇の中時々、唐突に電気が流れた。いつ訪れるともわからない電気ショック。そしてそれは死ぬ寸前まで流されたことがあった。


「(異常者が・・・・・・・ふざけるな・・・)」


Day12


とにかく苦しい。新鮮な空気をずっと吸っていないような気分に彼はなっていた。彼は彼自身の自由と尊厳が侵されれいることに激しいストレスを感じていた。これが普通の動物と人間が違う点なのである。


Day32


二階堂は閉じ込められている間に、太陽が西から登って東に沈むのを想像した。自分がこうしている間にも地球は太陽の周りを公転している。その様子や地球が自転する様子を想像した。


Day40


「(日に三度食事が出ているとして・・・・今日で四十日・・・)」


さすがの二階堂琥珀も相当意識が朦朧としていた。壁によりかかかって地面に寝ていた。


「(うまく・・・何かを考えられない・・・)」


かさりと腕を動かす。


「(なんだこの・・・意識が混濁するような感じは。うまく何かを考えられない。ぼーっとする。)」


「(日光不足・・・・閉じ込められるストレス・・・か。)」


「(日光不足だったら・・・体内の何が分泌されないんだったか・・・)」


「(くそっ。)」


思い出せない。


今日。(おそらくだが)、ようやくモニターに田淵の顔が映し出された。


「(くそっ・・・なんだこれは。あれほどのことをされたのに心に強い拒否が示されない・・そりゃあそうだ。この苦痛から逃れるのはこいつ次第なんだから。汚ぇ・・やり方が汚ぇ。」


「こんにちわ。そういえばまだ自己紹介をしていなかったな。俺の名前は田淵しげる。君は?」


酷く優しげな口調で田淵は二階堂に言った。それはとても穏やかで、こちらに非があるのは当然な気に人の気持ちを変える有無の言わなさだった。否定を繰り返して、肯定する。常習的にヒューマンスクールで行われている洗脳の手口だった。これらを繰り返すことで、まだ発達段階にある子供達は洗脳されていった。それに例外はなかった。二階堂も田淵のその人間的な穏やかで友好的な口調に二階堂の心にスッと入ってきた。加えて長時間の監禁で人恋しさを募らさせる。この何重にも張り巡らされた屈服の糸で絡み付けばどんな子供でも逃れられることはできない。それはヒューマンスクールが長い時間をかけて研鑽し、工夫を凝らした洗脳方法だった。その歴史の分だけこの施設での犠牲者がいたと言うことなのである。人が顔も体も想像できるのはだいたい十数人くらいだろうか。顔だけなら数十人?数百人分の顔や名前を想像できる人はそうそういないだろう。しかし名前を持ち、一人一人違う顔を持ち、心を持った人がいたのである。自由と尊厳を持った者の権利が侵され続けた。確固とした自由と尊厳を奪われた人の悲しみと怨嗟と苦しみが存在したのだ。


「俺は・・・」


次の瞬間、二階堂の口から血が吹き出した。鮮血がたらりと口から垂れる。


「どうしたんだっ?」


やや意表を突かれたように田淵が言う。

二階堂の瞳に赤い血が映った。その血のあかさが二階堂に全てを物語った気がした。


「(俺は・・・・・生きている!!!!)」


「いえ・・・・なんでもありません。長いこと喋っていなかったものですから、舌を噛んでしまいました。」


「(ここから出るためだ・・・・・っ!!)」


静かに二階堂琥珀は答えた。実はこの時二階堂は舌を噛み切ろうとしていた。二階堂は思わず敬語を使ってしまいそうになった自分の舌を噛み切ろうとしたのだった。二階堂にとっては、そんな舌はいらなかった。だが、だが、ここから脱出するために目の前のこいつに復讐するために。そのために今は面従腹背を実行する。二階堂の舌から血が滴り落ちた。確かな痛みで二階堂我は我に返った。そしてそこに自分というものを認識した。そうすることが彼の人間賛歌だったのだ。


「(徹底的にやってやる・・・・!!)」


「僕の名前は二階堂琥珀です。」


モニターの田淵は満足そうに、実に満足そうにうんうんと頷いた。自分の教育の正しさを実感しているらしく、幸せそうだ。それは悪魔の愉悦だった。


「そうか。ようやくお前でも理解できたか・・・・・」


少し立つとドアが空いて、田淵達がやってきた。二階堂は久々の外の景色を見た。それからまともなベッドと家具のある、部屋に入れられた。


「今日はここで寝ろ。」


教師の1人がドアを閉め、鍵を締めた。


「抵抗してやる・・・・・!徹底的に・・・・・・っ!!絶対に・・・・・・っ!!絶対に許さん・・・!!」


窓からの月明かりに二階堂が照らし出された。この時彼に火をつけたとしても彼は気にしなかっただろう。彼の中の炎の方がもっと熱かったからである。この先、誰も彼もが諦める中二階堂だけは諦めなかった。 二階堂はなんのために闘うのかはっきりとはまだ分かっていない。だが想いだけなら存在する。その想いはやがて確かな言葉となって彼の武器になることだろう。


【絶叫入学式】


二階堂琥珀は今日の朝に起こされて連れていかれた。相変わらず、こちらを人間扱いすらしないような一方的な態度に二階堂は心底イラついていた。

その途中で太陽を見た。


「(お日さんを拝むのは40日・・・960時間ぶりになる。)」


強烈な日差しに手をかざす。それでも太陽の生命のシャワーを二階堂はしっかりと取り込んでいた。


「(・・・・太陽は全てを白日の元に晒す。)」


二階堂は四階の窓からヒューマンスクールの全景を見下ろした。

初日のことで教師陣は二階堂にかなりのマークをしていた。今日はほとんど従順な態度を二階堂は演じて見せた。二階堂の模範的な態度には多くの教師たちが気を緩めたようだった。


「(昨日の騒動を知るのは田淵、そして仲山、菅野、か。)」


二階堂は昨日の講義室で最初に反論した時にいた教師の名前が教師たちから聞き出せた。


「(こいつらにはマークされてるだろうな。俺はここから脱出する。脱出するが、その前にやらなきゃならないことがある。)」


教室に連れていかれた。生徒達はばらばらに席に座っていた。男子同士。女子同士で固まっていた傾向があった。生徒達はみんな不安そうだった。


「なあ。二人ともここに連れてこられたのか?」


二階堂琥珀は男子に聞いた。


「・・・君は?昨日いなかったけど・・・・」


「うわっ。・・・なんだよお前その怪我・・どうしたんだよ。どんな事故に?」


「いや、事故じゃない。これはあいつらにやられたんだ。」


それを聞き2人はサッと青ざめた。


「そんな・・・・冗談っしょ?」


笑いながら琥珀にそう言う。だが二階堂は真剣な顔を破顔して笑い出したりはしなかった。依然として真剣な顔をしていただけだった。


「なんだよ・・・・なんなんだよそれ・・・!俺をどうする気なんだよ!」


「さァな。教育するとか言っていたが。やり口が洗脳施設の方法ばかりだ。みんなはここに来てから日が浅いんだろ?」


「なんでそれが分かったんだ?」


「洗脳されてないからだ。洗脳されていればあいつらに対してすっかり信じ込むようになっている。」


そこにいる人々はさらに絶望した顔になった。


「嫌だ・・・・・帰りたい。もう嫌だ・・・ここから出して・・・・うちに帰りたい・・・」


肌の白い男が言った。いきなりこんなわけのわからないままに連れてこられて、二階堂程じゃないにしろ、ここにいる生徒達は何かしらの圧力を受け恐怖を刻み込まれたようだった。


ざわざわとささやきあったりしている人々。誰の顔にも恐怖が浮かび上がっていた。この人々は全員が汚い服に着替えさせられたようだった。誰も彼も自分の身に起きていることが信じられないようで、何が起きているのかもよくわかっていないようだった。さっきから俯いている白い顔の男は小松と言うらしい。


「俺達はどうやらとんでもないところに来てしまったらしい。」


二階堂が言った。

目の前の二人はとても疲れきっていた。疲れきっているだけではなく、もうなんらかの精神攻撃を受けているようだった。

二階堂も二階堂で監禁の疲労がまだほとんど取れていなかった。


「お前らは?あいつらに何をされたんだ?」


「ぁあ・・・・俺達は持ってきたもの全部とられた。全部。俺の大切なものとかあったんだ。でもどんだけお願いしても没収された。一時預かりとか言われて・・・一時預かり?ってことはすぐに返されると思って先生達に質問したんだ。そしたら・・・俺達が真人間になるまでは返せないとか何とか言われて・・・」


「たぶんもう二度と返って来ない。」


二階堂のその言葉に志間と小松だけでなく、その部屋にいる人間全員がざわついた。


「な・・・・なんでだよ!先生方は言ったぞ!俺達はいけない人間だから更生すれば返してくれるって。」


「洗脳施設の薄汚いやり口さ・・・・。俺達の全てをまっさらにするために、自分たちの全てに関わってきた、物は全て捨てるつもりだ。そうすることで自分達に都合の良い人間を作り上げるつもりだ。だから・・・あいつらは間違っても返したりはしない・・・!」


二階堂琥珀は嫌悪感を隠すことなく吐き捨てるように言った。たちまちみんなが口々に喚き出した。


「嘘でしょ!こんな時にそんな冗談言わないでよ!不謹慎ね!」


二階堂は詰めかける人々に自分がされたことを言った。


「冗談じゃない。本当のことだ。この傷も本当にあいつらにやられた。しかもあいつらの一方的すぎる意見に反論しただけで40日も暗い独房に閉じ込められた。あいつらはどうやら狂ってるみたいだ。」


更なる驚くべき事実に今度は全員黙った。誰もがその事実を受け入れられずにいた。


「もういやだ・・・・こんなところだと分かってたら・・・あの人達なんなんだ・・」


「ここは一体どこなんだ?分かるんなら教えてくれ。」


二階堂はそう、聞いた。


「そう。何も難しいことじゃないここがやっていることは監禁罪をはじめ、法律に違反することばかりなんだ。それをどうにかして外に知らせるだけでいい。」


「そ、それはできないよ・・・・」


「何故?今の世論でもちゃんと動くぞ。あいつらが社会が許さないとか、他のところも全部そうだって言うがそれは嘘だ。そうやって助けは来ないと思いこまされたり、疑う気持ちを無くさせ、無理やり納得させ人を支配しているんだ。」


「だってここにはこの島以外何もないんだから・・・・・警察なんてないんだ。」


「え?」


二階堂は絶句した。


「ここはあの世なんだ。俺達みんな死んでからここに来たんだ。あの人達は自分達のことを神や天使の教えを広める宣教師なんだって。」


「君、死んだこと覚えてないの?」


「・・・・・記憶にない。いや、そんな事あるわけがない。俺はただ電車に乗ってここまで来たんだ。」


「そんなことはそう思い込まされたんじゃないのか。それも洗脳だろう。」


「でもスゲーリアルに痛かったよ。俺自動車に撥ねられたんだけど・・・・」


「(馬鹿な・・・・・こんなのは記憶の刷り込み・・・だが・・・)」


二階堂の脳裏あるのはもう四十一日前の電車が海の上を走るというあの荒唐無稽の出来事だった。どこまでも人というものの基盤を揺らすのが洗脳施設の常套手段である。


ガラガラッ!!


という大音量と共に扉が開いた。大柄な男教師が立っていた。鷲鼻で目の下に隈があった。その異相の男は口を結んだまま二階堂達を上から下まで見た。ゴミでも見るよう目を向けている。二階堂以外はトラウマを植え付けられたらしくすっかり萎縮していた。


そのままぞろぞろと引率されるがままに生徒達は連れていかれた。薄暗く圧迫感のある廊下を自由もなく連れていかれたその先は壇上であった。よくある学校の壇上だが、そこは力を見せつけるが如く、光量が多い。そのように意図的に演出されていた。


一階部分に二階堂達が集められ、二階のバルコニーにはたくさんのヒューマンスクールの生徒達がひしめき見下ろしていた。誰も彼も冷たい目で今回の新入生たちを見下ろしていた。

何か言われることもなく、態度でかしこまるように強要された。一列に並んで立たされ、その真ん中に田淵が立っていた。新入生の周りを囲むように教師たちが立っていた。教師たちは誰もが偉そうにしており、生徒側が自信を持った態度を持つことを妨害しようとしていた。


「えー、実はぁ!この入学式の前のみなさんの行動を今まで見させていただきましたぁ!」


すーっとそこで田淵は息を吸い込んだ。


「常日頃より!染み付いている垢が!垢の匂いが!ぷんぷんしましたぁ!!」


「あいさつも、覇気がない!!」


新入生は間抜けな面で田淵に釘付けだった。その響く声と明瞭な話し方で、教師達、新入生は聞き入っていた。

二階堂琥珀はこの時点で嫌悪感が激しく湧き上がっていた。閉じ込められていた場所から出てきたが、ここも二階堂琥珀にとってはあの反省室と同じように息苦しい部屋だった。


「(あんな目に合わせられて元気よくあいさつなどする人間がいたらそいつはきちがいだ。)」


二階堂は今回の新入生の中で1番の反抗をし、その際立った的確な理論と軸のぶれない意思に目をつけられた。それらが脅威であることはヒューマンスクールの権力者である教師たちにも分かった。それゆえに二階堂には一番高濃度の洗脳を受けさせたが、二階堂は全くヒューマンスクールにはなびいていなかった。

だが、他の生徒は違った。


髪の横を剃ったトサカのような髪型の新入生はもう完全にこの場に飲まれていた。彼はもうこの時点でなにも思考していない。ただ圧倒的に整えられたいやらしい支配の空気に飲み込まれていた。


「お前らは!前世で怠惰に生き!そして親に貰った命を投げ捨てた屑だ!今のお前らに!ヒューマンスクールに入る資格は無ぁい!」


二階堂は笑いだしたくなった。


「(無理やり拘束しておいて、ここに入る資格は無いだと・・・)」


「(なら、今すぐこんな所出ていったやる。)」


琥珀は大衆の中でそう大声で響くように宣言したい衝動に襲われた。だが彼は冷静さと復讐心をコントロールし、それを抑えた。

二階堂にとっては笑えない冗談だったが、周りの人間にとってはそうではなかったらしい。他の生徒は真剣な表情で田淵の話を聞いている。二階堂にはそれが、それこそが最悪の気分になる大きな要員になっていた。部屋の中に漂う緊張感。

それから、日常的な常識にヒューマンスクール流を絡めたことを大声で実践の練習や、反復をさせられ、その都度周囲にいる教師達は子供達に否定の言葉を大声で投げかけた。子供達は大人の言われるがままに言われたことをやることに必死になっていた。


二階堂の部屋にいた子供達は最初の部屋で教師の行為の異常性を感じてることが出来ていたが、どんどんそれも怪しくなってきた。すなわち


「(うん・・・・いわれてみれば?あれって普通のことなのかな?)」


「(常識だって言ってたし・・・)」


「(言われたことできないし・・・・私間違ってたかも。)」


二階堂は驚異的な演技力と精神力でそぶりに微塵も出さずにいたが、内心はさまざまな思いが渦巻いていた。だがそれらは・・・・・やがて怒りへと収束される。

二階堂以外の四十人あまりの生徒はだんだんと洗脳されていった。


「(ぜんぜんできてないし、俺は駄目な人間だなぁ。)」


純粋な子供達は大人という存在や、教師というカテゴリ、学校という社会を信じていた。だがここではそれを悪用した悪魔達がいた。いつだってシステムを作りそれを最大限利用するのは権力者である。そしてその社会の歪みや矛盾が一番顕著に現れるのはその社会で一番力の弱い存在である。この場合は、このシステムについて何も知らない子供達がそうであった。


飛び交う絶叫。場は沸騰仕掛けていた。生徒達はこれからの自分の意気込みを語るアピールタイムへと入った。


「僕は!これまで!適当な勉強をして!適当な成績を残して!適当に学校通って!そこそこ!ずっとそこそこ!適当にやってました!」


「そうだそうだ!」


新入生の中から声が飛ぶ。教師たちの話し方に似ているがどこか違う。そう、彼らは必死に叫んでいた。心の中は洗われるような気持ちでいっぱいだった。目からウロコのような気持ち。狂乱。


「本当に!真剣に!なんでも根詰めて真剣にやってこなかったです!!」


「うう・・・・・」


その顔を歪ませ紅潮させて叫んでいた男は泣き出した。


「(何故泣く・・・!)」


二階堂は思った。


「逃げません!最後まで諦めません!やります!よろしくお願いします!」


泣き叫び深々とお礼をする男。


「やっと分かったかーっ!」


そう言って田淵がその泣いている男に抱きついた。ばんばんとなんども叩く包容だった。


「やれよ!」


男は感極まって泣いていた。その声をかけられたことが嬉しくてたまらなかった。


「(頑張ろう・・・・俺・・・やろう!)」


次の順番の先ほどのトサカの髪型の男もアピールしたくてうずうずしているようだった。せわしなく動いてそわそわとしている。広角が上がっていた。

その時二階堂にあるひらめきがあった。


「(そうか____これは懺悔と受容なんだ。罪人側である生徒達が懺悔し、神側である教師たちがそれを受け入れる。これは改宗の儀式をやっている・・・・・!!)」


「(やはり洗脳じゃないか。)」


敵を知り、己を知る。琥珀は時に冷静な観察者にもなれた。


そう思考していると次の生徒がよろよろっと田淵の前の歩み出た。それはトサカの髪型の男だった。両手をにぎりしめ話し始める。


「私は!目標というものがあやふやになっていました!今までこれでいいのかずっと迷ってました!」


語尾はかすれかけ、叫び声を上げていた。


「しかぁぁぁぁし!」


「私は!諦めません!人間としての独立に向かって!一直線に!みんなにも全力でぶつかって!」


教師や生徒達の煽る声が絶え間なく上がる。トサカ頭が抱腹絶倒アピールをしているのと対象に落ち着いた様子で田淵はうんうんと頷いていた。


「(この状況に動じず俺の想いを受け止めてくれてる・・・・!ううっ・・・・!)」


トサカの髪型にとっては目の前の人間は何か絶対的なものになっていた。


一方二階堂はこう思っていた。


「(気に入らないな・・・)」


「(田淵のあの顔・・・)」


「(俺の敵は横に並んでいる彼らじゃない・・・・上座でふんぞり返ってる連中だ。)」


これから始まるライバル達を牽制し合うかのような他の生徒の挙動。作られた競争心に疑うことなくその身を委ねる新入生達。

しかし、二階堂琥珀は他の者を見ていた。敵は同級生ではない。

もはや向こう側へと行ってしまった生徒達をまだ、それでも敵にしない。


「(こんな洗脳されれば・・・・誰でもああなる・・・・)」


この新入生達がやがて二階堂の妨害をすることになっても。


「やります!アアアアアアア!!!」


トサカの最後の鳴き声が振り絞られた。


「よっしゃありがと~~~!!!!」


そういって教師はトサカに抱きついた。教師は手を振るわさせ、熱烈に抱擁した。


「やれよ・・・・!」


「はい!・・・・・・はい・・・!」


トサカの髪型の男はむせび泣いている。二階堂はそんな様子を冷めた目で見ていた。誰も気が付かない。ここに善悪の彼岸の反対側に立ち反撃を狙おうとしている男がいることを。


大澤は上級生グループとして、新入生の周りで声を上げたりする役をやっていたが、内心はやはり、どうも乗り切れない部分があった。


「(またか・・・・・・)」


「(こういうことをするから上の事を神格化したりするんだよな・・・・そう仕向けてんのか、まったく頭いいよなぁ)」


「(どいつもこいつも・・・・・気持ち悪いな・・・・これがおかしいって思ってるのは僕だけなのか・・・・?)」


大澤も三年前の入学式の時にこれと全く同じことをしている。三野の周りの人間もだ。しかし、彼らは良き後輩を見るかのような眼差しを送っていた。三野はそういうところにより一層の気持ち悪さを感じたが、どうすることも出来なく、またどうしたらいいのか、どうしたいのかもよくわからなかった。


その中で1人の生徒が落ち着き払った様子で立ち上がった。その生徒はボロをきてはいたもののその所作は力と威厳に満ちていた。


「おい・・・・あれ・・・」


「なに・・?」


「あいつじゃねーか?新入生で反省室に入らなきゃいけなかったやつ。」


ざわざわと囁き合う生徒達。大多数の間で噂になっているようで、好奇の視線を二階堂に向けている。


「そうなの?どれくらいの間入れられたんだ?」


「お前多分信じないが四十日も入ってたらしい・・・」


「えっ。・・・・ええ・・・ありえねーぜ・・・四日の間違いだろ。」


「マジ。マジもんで四十日らしい。」


「俺なら反省室は例え半日でも入りたくないな。」


ざわざわと今までとは違う視線が二階堂に送られる。


「俺はこれまでも自分に恥じるようなことをしてきた覚えはないし、これからもしない。自分の信念に従って行動していくつもりだ。以上。」


二階堂はそう言って椅子に戻った。


「・・・・それにしちゃあ元気アリアリじゃねーか。」


「何だあいつは・・・・」


新入生達は二階堂にどういう感情を向けたらいいのか分からないような顔をしていた。だが半数の生徒は怒り狂い、教師たちも外面は取り繕っていたが内心は敵意一色だった。当然そういった行動をとった以上教師達からの印象は最悪で、大多数の生徒達からの印象も同じだった。

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