決着

1

 ざあっ、と横殴りの雨が吹き付ける。飛沫しぶきが白くあたりを煙らせていた。

 ばたばたと音を立て、ケン太のガクランの袖がまくれあがった。

 背中から吹きつける風に、ケン太は揺れながら立ち尽くしていた。きっちりとセットした金髪のリーゼントがくずれ、髪の毛がばらりと顔にかかっている。

 屋上のドアが開かれ、美和子が立っていた。

 背後に太郎、そして杏奈が続いている。

 ふっ、とケン太は笑い顔を見せた。いつもの、どこか他人を突き放したような笑顔である。

「やあ、美和子さん。来てくれたんですね」

 朗らかに声をあげた。一瞬にして人格が変貌していた。美和子はそんなケン太に眉をひそめた。

「あなた……どうしてあんなことを?」

「あんなこと? なにをですか」

 ケン太は反問した。

 かれの言葉に、美和子はぼうぜんとした表情を見せた。まるで罪悪感のない態度に、戸惑っているようである。

 ずい、と太郎が前へ出た。

「あの書類です。木戸に真行寺家の財産が渡され、男爵が破産されることとなった、あの書類です。あれにはあなたの名前もありましたよ」

 太郎の言葉にケン太の唇がひくひくと痙攣していた。

「つまりは真行寺家の破産は、あなたの画策したことである、ということです。これは意図的な企みです。美和子さんの婚約者であるあなたが、なぜそんなことをする必要があったのです?」

 怒りの表情がケン太の顔にあらわれた。

「お前に教える必要は認めない。お前は、ただの召し使いではないか!」

 そうです、と太郎はうなずいた。

「しかし召し使いは主人の利益を守る立場でもあります。主人である美和子さまの利益が損なわれたいま、その理由をただすのは当然の義務でもある……」

 とうとうと並べ立てる太郎に向け、ケン太は「うるさいっ!」と大声で叫んだ。

「つべこべつべこべと、お前は実に気に入らない奴だ! 美和子と結婚してからは、お前も召し使いのひとりとして遇しようと思ったが、いまはやめた! お前などおれの召し使いとして必要のない奴だ!」

「つまり洋子さんにしたような〝教育〟をするつもりなんですね」

 太郎の言葉にケン太はがくり、と口を開けた。

「そうだ……そのつもりだった……。あの〝処置〟がすめば、万事うまく行くはずだった……」

「ケン太さん、恥ずかしくなくて? それをわたしにもさせるつもりだったのでしょう」

 美和子が叫んだ。

 その言葉に、ケン太の表情にはじめて苦悶が浮かんだ。

 両手をよじり合わせ、なにかに必死に耐えているようである。

「おれは……おれは……。美和子、おれはお前を愛している!」

 言われた美和子の目がおおきく見開かれた。さっぱり判らない、というように首をゆっくりと横にする。

「わたしとあなたは婚約者として紹介された、あのときが初めて顔をあわせたきりではないですか? それなのに愛しているとは信じられません」

 ふっ、とケン太の表情に苦い笑みが浮かんだ。

「そうだろうな、君がそう言うのは予想できた。しかしずっとぼくは、君の事を愛していたよ。ずっと以前からね」

「ずっと以前?」

「そう、きみがまだ子供のころだ。憶えていないのか? となりのケン兄ちゃんのことを……」

「ケン……兄ちゃん……!」

 美和子の顔にじょじょに理解が達しつつある表情が浮かぶ。なにかを思い出しているようだ。

「そうだ、子供のころ、ぼくときみは幼なじみだった。きみは何かというと、ぼくのことをケン兄ちゃん、ケン兄ちゃんと追いかけていたね」

 驚きに、美和子は頬を両手でおさえていた。

「わ、わたし……そう言えば……あれが、あなた? でも、なぜ?」

「ぼくの一家は、かつて真行寺男爵に雇われていた召し使いだったんだ。父はそのころ、高倉という名前だった」

「高倉?」

「そう、ぼくの父、高倉ブン太はいまでは整形して顔を変えているが、木戸という名前で真行寺家に入り込んだ……」

 まるで爆弾が破裂したようなショックが一同を支配した。

「木戸は整形して名前を隠し、ぼくに接近した。ぼくは気付かないふりをして、かれを使った。しかしぼくは雇う人間のことを徹底的に調査する性分だ。木戸が姿を変えてぼくの前に現れたとき、その調査で整形した父だとすぐわかったよ。だからかれのことは全面的に信用できた。どうやら父はぼくのため、なんでもやるつもりらしかった。真行寺家乗っ取りの計画も、木戸……つまり父の主導で行われた」

 ケン太はちらりと太郎を見た。

「ぼくの義理の父親にあたるのが只野五郎、つまりきみの父親だ。只野五郎とぼくの母親が人目を忍んで愛し合うようになって、ぼくは真行寺家から離されてしまった。しかしぼくの心の中に美和子のことはずっと存在していた……。かつての召し使いの息子がいまでは全国一の財閥の長になれたのも、只野五郎のおかげだ。だがそれによって、ぼくの心にきみにたいする愛が目覚めたのだ」

「それがなぜ、真行寺家の財産を奪うこととつながるのです?」

 太郎の質問にケン太はかっとなった。

「もう質問はなしだ! これからは戦いの時間だ!」

 ひと声叫ぶと、ケン太は猛然と太郎に向け走り出した。たん、とひとつ床を蹴り、宙を飛翔し爪先を太郎の胸元にむけ襲いかかる。

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