3
美和子のグラスが空になり、太郎はそれを受け取って船のレストランへと向かった。船内には乗客のため、レストランが無料で開放されている。酒類はおいていないが、そのほかの食べ物、飲み物はふんだんに用意されている。レストランはそれらを求める乗客で混雑していた。
グラスを返そうとカウンターに差し出すと、その向こうから声をかけられた。
「よう、この船に乗っていたのか!」
はっ、と顔を上げるとまんまるな太っちょの少年の顔が目に入った。
田端幸司だった。
「君は……」
幸司は太郎を見て片目をウインクさせた。
「美和子お嬢さまがこのトーナメントに出場するって聞いてね、あちこち手を尽くしてコックとして入り込んだんだ。もしものとき、こんなおれでも役に立つんじゃないかと思って……」
うん、と太郎はうなずいた。
「うれしいよ。きっと美和子お嬢さまもお喜びになる」
そうかあ……と幸司は満面の笑みになった。
しかし太郎はこうつけくわえるのを忘れなかった。
「ただし、きみはトーナメントの闘いには参加しないでくれ。こんな大勢の人間がお互い本気で喧嘩をするんだ。まきこまれたら、どういうことになるか判らない。君の役立つときは、きっと来るからそれまで自重するようぼくからも頼む」
うん、と幸司は素直にうなずいた。
「わかってるさ。おれだって馬鹿じゃない。喧嘩は苦手だし、そのほかのことできっと役に立つさ!」
じゃあ……と片手を挙げ、太郎はその場を離れた。ちらとふりかえると、幸司は先輩の調理人になにを怠けていたと叱られているところだった。
太郎は甲板に戻った。
美和子の姿はさきほどの場所から動いては居ない。甲板にも乗客が満載で、それらをよけつつ太郎は歩いていく。そんな太郎を、まわりの参加者はじろじろと見つめてくる。視線だけを動かし、太郎はかれらを見た。
太郎の視線が向けられたさきの出場者たちは、視線が合うとじろりとこちらを見つめ返してくる。たいていは太郎のいでたちを見て、あまり警戒心をいだく相手ではないと判断するのか、ぷいと横を向くか無視するかだが、たまにどんな相手でも威嚇しなければ気がすまないという性質の者もいて、まるで犬が吠えかけるような表情になって睨みつけてくる。
本来なら船旅は楽しいものだが、この船に乗り合わせた乗客たちにとって安息とは縁のないものらしい。おたがいちらちらと盗み見あい、相手の力量をおしはかろうとしている。ちょっと身体が触れただけでも、怒りが爆発しそうな緊張感が満ちていた。
ぶおーっ!
ふいに汽笛が鳴り響き、その場にいた全員がびくりと飛び上がった。
「な、なんだ?」
ひとりがうろたえたようにあたりを見回している。恐怖に、顔色は真っ青になっている。案外、気が小さい男らしい。
「島だよ。島が見えたんだ」
隣の男がうんざりしたようにつぶやいた。最初の男はほっとしたように汗をぬぐった。
「な、なんだ……島か……へっ、脅かしやがる」
そう言うとわざとらしく背をのばす。
じっと見つめていた太郎の視線に気がついたのか、顔を真っ赤に染めて怒鳴った。
「な、なんでえ、なにじろじろ見てやがる?」
いえ、と太郎はかすかに頭を下げた。
けっ、と男はしたうちをした。じぶんの醜態に後悔しているようだ。
ぞろぞろと甲板にでていた全員が船端に駆け寄った。島が見えたという報せに、好奇心を刺激されたのだろう。
太郎も美和子の側に戻り、水平線の向こうに視線を凝らす。
島影が見えていた。
「あれが番長島というのね」
眩しいのか、彼女は片手を目の上にひさしにしている。前方の海面は太陽の反射でまぶしいくらいにぎらぎらと輝いている。その輝きの向こうに、白っぽい崖がそびえていた。
崖の上には無人の建物がひしめいている。
太郎はこの島に来る前に、図書館で歴史をあらかた学んでいた。
島の歴史は半世紀以前にさかのぼる。
そのころ、この島は「軍艦島」と呼ばれていた。島の上部に立てられた無数のビル、建物が遠目に軍艦の上部甲板の構造物に似ていたためである。
そのころは島では石炭が採掘されていた。
しかし石炭が掘りつくされ、採算がとれなくなると島を所有していた企業は権利を国にゆずり、公有地とした。しばらく無人のまま放置されていたこの島をあらたに所有したのが高倉コンツェルンである。高倉コンツェルンは島の名前を「番長島」とあらため、こうしてトーナメントの会場として蘇らせたのだ。もともとは映画の撮影用に買い取ったらしいのだが、肝心の映画の計画が中止され、島の所有権だけは保持していたらしい。それが今回のトーナメント開催で生きたわけである。
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