報せ

 じりりん、とベルの音に太郎は顔を上げた。

 屋敷内の、執事控え室である。用のない召し使いたちは、男爵や美和子が呼び出すのを待つためにここで控えているのだ。部屋の壁にはいくつものランプがまたたくパネルがすえられている。美和子か、男爵が召し使いたちを呼び出すためのボタンが各部屋には備えられている。ランプの位置で、どの部屋から呼び出されたかがすぐわかるようになっているのだ。

 しかし呼び出しは裏の通用口からだった。ということは外来者がボタンを押したと言うことである。

 今日は木戸は外出して屋敷にはいない。太郎が応対しなければならないようだ。

 太郎は立ち上がり、玄関に向かった。

 玄関から通用口へと向かう。

 通用口は通常、御用聞きとか配達のための入り口である。用のある人間は、通用口に備えられている呼び出しボタンを押すのだ。

 裏口のドアを開くと、郵便局の制服を身につけた配送員が立っていた。配送員は一通の封書を手渡した。受け取りにサインして、太郎は珍しいこともあるものだと思っていた。

 あて先は男爵になっている。

 ふつう、男爵への郵便物は週に一度、郵便局専用の袋に詰め込まれ配達される。それほど毎週の郵便物が多いのだ。それが今日は週に一度の配達日ではなく、しかも封書が一通だけ。いったいどこから届いた郵便だろう。

 差出人の住所を確かめたい気持ちをぐっと抑え、太郎はそれを手に男爵の部屋へ急いだ。

 そんなことをすれば男爵のプライベートへの侵害である。

 急ぎ足で男爵の部屋へ向かう。

 

「ああ、太郎君か」

 太郎がドアを開けると、男爵はぼんやりとした視線をよこした。その側に美和子が座っている。美和子の手には本がページを開かれたまま持たれていた。太郎の顔を見た彼女は、ぱたりと本を閉じた。

 男爵の車椅子は日当たりの良い、窓際におかれている。手許に男爵の老眼鏡があり、どうやらかれはうとうととしていたようだ。美和子は男爵のために本を朗読していたようである。細かな字が書かれている書物は、男爵の目にとって読みづらいもので、最近彼女が男爵のために朗読することがあるのだ。その最中にうとうととしてしまったのだろう。

 男爵はいつも昼過ぎに昼寝をかかさない習慣である。年でもあり、最近とみに身体の不調を訴えているせいで、昼寝は男爵にとって健康をたもつ唯一の方法だった。

 時刻はまだ昼寝の時間にはやいが、今日はなにもすることがなく、美和子の朗読に聞き入っているうちに、ついうとうととしてしまったのだろう。

 老眼鏡をかけた男爵は、太郎の手にした封書を目にした。

「手紙かね? 珍しいな、一通だけとは」

 はい、と太郎は返事して車椅子に近づいた。

 机のペーパーナイフを使って封を切り、男爵に手渡す。老眼鏡を調節して男爵は封筒から中の紙を取り出した。

 ひろげて日の光にかざすようにして読み始めた。

 引き下がろうとした太郎を男爵は呼び止めた。

「ああ、ちょっと待ってくれたまえ。もしかしたら返事が必要なものかもしれない。返事を書くまで、そこで待つように」

 太郎は待った。

 美和子は別の本を取り出し、今度は部屋の反対側に座って読み出した。今度はじぶんのための読書である。

 老人は黙って文面を目で追った。ぶつぶつと口の中で文章を復唱している。

 静かな時間が流れていった。

 と、男爵の表情が見る見る変化した。驚き、そして怒りがさしのぼる。顔色も変化した。

 最初青ざめ、ついでどす黒く変色した。こめかみに血管が浮き、ぐ、と呻きながら胸をかきむしった。無意識に老眼鏡をはずしていた。

 かちゃん、と音を立て老眼鏡が男爵の手の中から床へ落ちていく。

「だんな様!」

 その声に美和子が顔をあげた。

 事態を見てとった彼女は悲鳴をあげていた。

「お父さま!」

 美和子と太郎が駆け寄ると、男爵はぜいぜいと苦しそうな息のしたから言葉を押し出した。

「ば……馬鹿な……こんなことって……!」

 ぐう、と喉の奥から奇妙な声を絞り出すとどた! と、男爵は車椅子からころげ落ちた。震える指先で車椅子の車輪をつかみ、よじのぼろうと必死にあがく。ぐるり、と車椅子の車輪が動いて床に落ちた老眼鏡を下敷きにしてしまう。ぱりん、と小さな音を立て眼鏡のレンズが弾けとんだ。太郎は男爵の腕をつかみ、椅子に腰かけるのを手伝った。

 男爵の顔色は紙のように白い。

 ふたつの両眼が美和子の顔を見つめている。

「は……破産だ! 真行寺家は破産した!」

 なんですって……。

 太郎はあっけにとられていた。

 真行寺家が破産?

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