男爵の異変に太郎はすばやく反応した。

 老人の身体をかかえあげると、寝室に連れて行き、寝具に横たえた。

 服のボタンをはずし、胸元をくつろげ息ができるようにする。

 ひくっ、ひくっと男爵は発作を起こしていた。ときおり背中をのけぞらせ、全身が痙攣している。

 いけない!

 心臓発作だ!

 美和子は蒼白になっていた。

 太郎は腕をふりあげ、どんと男爵の胸にふり下ろした。すばやく男爵の胸に耳を押し当て、鼓動を確認する。

 

 どく……どくん……どくどく……!

 

 弱々しい心臓の鼓動が、途切れ途切れに聞こえている。

 あきらかな不整脈である。

 太郎は男爵の上半身にのしかかるようにして両手をつかって心臓マッサージを開始した。

 これでもってくれればいいが……。

 さっと美和子をふりむく。

 彼女はぼうぜんと立ちすくんでいた。

 太郎は叫んでいた。

「お医者さまを!」

 はっ、と美和子は目を見開いた。

「早く!」

 太郎はせきたてた。

 見ている前で、男爵の顔色は見る見る紫色に変化していく。

 チアノーゼである。

 その心臓が役目を終えようとしているのだ。

 ばたばたと足音を立て、美和子は部屋の電話に飛びついた。

 ぐるぐるとハンドルを廻し、受話器にかじりつく。

 電話の向こうで交換手が応対に出た様子である。美和子は悲鳴のような声で、男爵かかりつけの医者の名前を告げていた。

 それを耳にしながら太郎は必死にマッサージを続けていた。ときどき太郎は口移しで人工呼吸を施した。

 ふうーっ、と男爵はおおきく息を吸い込んだ。

 それを確認して、太郎は額の汗をぬぐっていた。

 脈を取ると、不整脈は変わらないが、さきほどよりは力強い鼓動が感じとれた。顔色もよくなっていく。なんとか太郎の応急手当は効果を見せたと言うことである。

 男爵の目がぱちりと開いた。

 ぼんやりと太郎の顔を確認する。

 あたりを見回し、美和子の姿をさがす。

 美和子は電話の前で床にへたりこんでいた。

 ──美和子、と男爵の口が動いた。

 太郎は「お嬢さま」とささやいた。

 びくりと美和子の顔があがった。

 男爵の意識が戻っているのを見て、ぱっと立ち上がり駆け寄った。

「お父さま!」

 枕もとに跪いた。

 ぶるぶると震えた男爵の手が、美和子を求めるようにあがった。美和子はその両手で男爵の手の平をつつみこんだ。

 かすかに男爵の口もとが動いた。

「美和子……お前を……」

 そしてゆっくりと太郎を見上げる。

 その目にいっぱい涙がたまる。

「この娘を……頼む!」

 それだけ言うのがやっとのようだ。そのままがっくりと力が抜け、目を閉じる。

「お父さま、しっかり!」

 美和子は声を励ました。

 ゆすぶろうとする彼女の手を太郎は押しとどめた。

「お静かに……いまはお眠りになっておられます」

 太郎の言葉に美和子は顔を上げた。

「本当? 死んじゃったのじゃ、ないわよね?」

 はい、と答えた太郎に、美和子は肩を落とした。

 どうして、とつぶやく。

 太郎は男爵の部屋へとってかえし、床に落ちたままの手紙を拾い上げた。それを持って美和子の側へ戻る。

「これをお読みになっておられる間に、あのようなことに……」

 受け取った美和子は食い入るように文面を読み始めた。

 途中まで読み進めたところで顔をあげ、つぶやいた。

「破産……真行寺家が破産だなんて……」

 ぱさり、と紙を床に落とした。額をおさえ、よろりと身体を傾けた。太郎は彼女の落とした紙片を取り上げ、文面に目を落とした。

 

 拝啓、尊敬いたします真行寺男爵にこのようなお知らせをしなければならないことを残念に思いますが、真行寺家を筆頭とする全株式、資産はすべて差し押さえの対象となりました。経過は以下に記したとおりで、あなたの……。

 

 長々と説明が続いたが、結局真行寺家の全財産が奪われたこと、そしてそれは真行寺男爵みずからがサインをした一片の書類からはじまったことが記されていた。

 文面の最後に、あらたな真行寺家の財産受取人の名前があった。

 木戸になっていた。

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