3
始業式はとどこおりなく終わり、生徒たちはめいめいのクラスにわかれ教室へと向かった。といっても授業らしき授業があるわけではなく、担任による簡単な挨拶があるだけである。その間、太郎たち召し使いたちは専用の控え部屋へと移動し、生徒たちが帰宅するのを待つのだ。
女学院の生徒の半数くらいが召し使いを同道しているので、控えの部屋といっても結構広い。
しかし調度は簡素なもので、固い木の椅子が人数分出されているだけで、召し使いたちはおのおの椅子に腰掛け、しずかに生徒たちの帰宅時間を待つ。太郎はその中に、あの杏奈という女の子の召し使いたちの一団を目にしていた。六人はほかの召し使いたちと距離をおき、固まるようにして椅子に腰かけている。かれらからはまわりを寄せ付けない、かたくなな雰囲気を発散させていた。
あのメイドの女の子が太郎を見つけ、こっちこっちというように手招きをしてきた。
太郎はゆっくりと彼女に近づいた。
彼女は太郎を部屋から連れ出し、廊下へとさそった。
「あたし栗山千賀子っていうの。これでもメイドとして五年目なのよ」
となると、はたちはとうに過ぎている計算だ。しかし小柄であることと、童顔も手伝ってそんなに年上には見えない。
「よろしく、ぼくは只野太郎。今年から召し使いになったんだ」
太郎が名乗ると、千賀子の目が見開かれた。
只野太郎……と口の中でつぶやく。
ああ、彼女もぼくのお父さんのことを知っているんだなと太郎は思った。彼女にすら知られているとは、父親の只野五郎は相当の有名人のようである。
が、千賀子は余計なことを言わずすぐに本題に入った。その態度に太郎は好感を持った。
「杏奈さんのことだったわね! 彼女の名前は高倉杏奈。この名前でなにかこころあたりはない?」
高倉杏奈……?
太郎は口を開いた。
「もしかして高倉コンツェルンの?」
そうよ、と千賀子はおおきくうなずいた。
「おおあたり! そうなの。彼女は高倉コンツェルンのお嬢さまなの。そして高倉コンツェルン総帥、高倉ケン太さまの妹でもあるのよ! あなた、高倉コンツェルンについて、なにか知っていて?」
太郎は顔を左右にした。高倉コンツェルンについては、最大の財閥であるという通り一遍の知識しかない。
「もともと彼女はあなたのご主人、真行寺美和子さんにはなんの感情も持っていなかったんだけどね、あることがあって大変なライバル心を持つようになったの」
そう言うと千賀子はもったいをつけるように腕を組んだ。
「さっきも言った高倉コンツェルンの総帥、高倉ケン太さんと美和子さんのあいだに婚約が発表されてから、ああいう態度になったのよ」
……。
太郎は顔色を変えずに耐えた、と思った。
しかし千賀子の言葉は思いがけないことだった。
美和子が婚約?
そんな太郎を、千賀子はさぐるような目で見つめている。
「驚いた?」
「ああ、驚いたよ」
しいて太郎は平板な声でこたえた。
千賀子はちょっと唇を尖らせた。
「もっと驚くかと思った。つまんないの!」
肩をすくめ話を続けた。
「高倉ケン太さんって、すっごい格好いい殿方なのよう! 年はあたしたちとそんなに変わりないけど、高倉コンツェルンをひとりで背負って、切り回しているの。ああ、あたしも高倉家にメイドに入ればよかった……」
そう言うと手を組み合わせ、宙に視線をさ迷わせる。はっ、と太郎の視線に気づくと顔を赤らめた。
「ま、それはそれとして、やっぱりあんなすごいお兄さまがいるんだから、婚約者の美和子さんにやきもち焼くのは当たり前よねえ……とにかく杏奈さんったら、ことあるごとに美和子さんをライバル視して、ちかごろじゃ武道を習い始めるようになったのよ。いつか試合で、美和子さんを叩きのめすつもりだって、言っていたくらい」
大変なことだね、と太郎は相槌をうった。
そんな太郎の様子に、千賀子はなんだかじぶんだけ興奮しているのが恥ずかしくなったようだった。
えへ、と舌を出し肩をすくめる。
ぐっと太郎の顔にじぶんの顔を近づけささやいた。
「ね、あんたテレビ見たことない?」
え? と、太郎は千賀子を見つめた。彼女の瞳はきらきらと輝いている。
「テレビかい?」
そう、と千賀子は顎をひいた。さっとあたりに視線をやり秘密めかして話しかけた。
「あんたも真行寺家のようなおおきなお屋敷に奉公しているんだから、たぶんテレビなんか見たことないでしょ? あたしんとこのご主人はお金持ちじゃないけど、大学教授ってお役目のせいか、テレビなんかもってのほかという家風なのよ。だからあたし、お嬢さまについてこの学院にくる日を楽しみにしているのよ。なぜなら……」
そう言うといっそう声をひそめた。
「この学院にテレビがあるのよ!」
こっちよ、と千賀子は足音をひそめて歩き出した。太郎はついつられて足を踏み出す。
しん、と静まりかえった廊下をふたりはひそひそと歩いていく。
ひとつの扉をからりと音を立てて千賀子は開いた。ちいさな部屋があり、数人が座れるくらいの応接セットがそろっている。
「ここは先生方の休憩室なの。だから教室にいる間は、だれもこないわ」
指差した方向に、ひとつの箱がおいてあった。おおきさは太郎が腕をひろげてかかえるくらいで、前面にしかくいガラスがはまっている。ガラスは暗く、なにも映ってはいない。千賀子は箱に近づくと、その下にあるスイッチに手を触れた。
するとガラスが輝きだす。
太郎はびっくりして見つめた。
やがて表面に映像があらわれた。
「これがテレビっていうのよ」
これがテレビ……。
はじめて見るテレビに太郎はこころを奪われていた。
ちいさな画面だったが、その中に映し出される映像は太郎の初めて見るものだった。画面には色鮮やかな色彩が存在し、あとで太郎は知ったのだが、色のない白黒の画面のテレビというものも、あるそうだ。
どうやら漫才をやっているらしい。ふたりの派手な背広を身につけた漫才師が、奇妙なことを言いあいながらおかしな仕草を続けている。ふたりの会話に、画面のそとから笑い声がまじる。
やがて漫才がおわると画面はコマーシャルとなる。
胸にせまってくるような壮大な音楽とともに、海の上に浮かぶ島が映し出される。島は灰褐色の断崖にかこまれ、その上に廃墟のようなビルが立ち並んでいた。太郎はその画面をどこかで見たと思っていた。
番長島トーナメント開催!
と、映像に文字がかぶさった。
そして画面にひとりの若者が姿をあらわした。
学生のような格好だが、その学生服が異様である。なにしろ真っ赤なのだ。しかも若者は髪を金色に染め、リーゼントにしていた。
「高倉ケン太さまよ! わあ、素敵……」
千賀子は興奮している。
この若者が高倉ケン太……。
太郎は熱心に画面に見入った。
そうだ、大京駅のちかくでこれとおなじようなポスターを目にしたんだった。
画面の高倉ケン太はにやりと笑いかけると口を開いた。
「全国の腕自慢の諸君。わが高倉コンツェルンは番長島において、最強のバンチョウ、スケバンを選出するためのトーナメントを開催することを決定した! われこそは、と思われんものはふるって参加してほしい。そしてこのトーナメントで最強の称号を手にするのだ! では、諸君の奮闘を待っている」
さっと指をひたいにあてると、敬礼をするような挨拶をして高倉ケン太は背をむけた。
その背中に〝男〟という文字が金の刺繍で縫い取られている。
「優勝者には、この伝説のガクランを進呈しよう! このガクランは代々の最強のバンチョウが身につけてきたものだ。きみも、伝説のバンチョウの仲間入りはしたくないか?」
そう言うとにやっと、笑う。
すっ、と高倉ケン太の姿が消え、あとに番長島だけが映し出される。高らかに音楽が鳴り響き、高倉コンツェルンのマークがでかでかと輝いてコマーシャルは終わった。
ほっ、と千賀子はため息をついた。
「ああ……やっぱりケン太さまって素敵! 知ってる? ケン太様は伝説のバンチョウの称号を手にして、高倉コンツェルンの総帥の地位にのぼられたのよ」
伝説のバンチョウでしかもコンツェルンの総帥? 太郎の頭は混乱した。
もちろん、バンチョウという言葉の意味は太郎も知っている。
ようするに喧嘩の強いものが、バンチョウとよばれるのだ。しかしそれで高倉コンツェルンの総帥という責任ある地位にあるのがわからない。
その時、休憩室の扉ががらりと開かれた。
はっ、とふたりはそちらを見た。
見るとあの、校門前で太郎に話しかけた老召し使いが、苦虫をかみつぶしたような顔で部屋をのぞきこんでいる。
「こんなところでなにをやっておる! 千賀子、お前にはきつく言っておいたはずだな。この休憩室に忍び込むことはやめろ、と。ここは教職員専用の休憩室だ。お前の来るところではない!」
どかどかと足音高く老人は部屋に踏み込むと、テレビのスイッチを切った。画面はふたたび暗くなって消えた。
老人は太郎を見て眉をしかめた。
「あんたも千賀子につられてこんなところへ来るようではいかん! いいかね、このような娯楽はしょせん、庶民のものだ。感化されてはあんたの身の破滅だぞ!」
そこまで強く言うことはないだろうと太郎は思ったが、おとなしくうなずいた。
「申し訳ありません。しかし彼女を責めないでください。ぼくがテレビを見たいと言ったせいで彼女がここに連れてきてくれたのです。だから悪いのはぼくなんです」
はっ、と老人は頭をふった。
「あんたもすぐわかるような嘘をついてはいかんな。召し使いとして嘘をつくことは許されて良いが、今の場面では必要ない。第一、千賀子があんたを誘ったのはわかりきっておる!」
その時、かーん、かーんと鐘の音が学院に響き渡った。
おっ、と老人は顔を上げた。
「いかん! 帰宅時間だ! お嬢さまのお供をしなくては……」
そそくさとその場を立ち去る。
ちら、と太郎が千賀子を見ると、彼女は肩をすくめた。
「ごめんね……でも、あたしをかばってくれてありがと!」
にっ、と笑うと彼女も立ち去った。
太郎は歩き出した。
美和子の帰宅に付き添う役目が残っている。
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