太郎が美和子付きの召し使いとなったことの結果か、その日から太郎は家族の晩餐に相伴することになった。

 家族といっても主人の真行寺男爵と、美和子だけが長いテーブルの両端につき、その間を数人の召し使いたちが給仕につくという形式である。

 晩餐をとりしきるのは木戸であった。

 木戸はディナー・ルームのドア近くに陣取り、召し使いたちがなにか失敗をしでかさないか、鋭い目であたりに気を配っている。

 テーブルの端で食器を前に、ナイフとフォークを持つ美和子はなんだかつまらなそうであった。出される料理はきれいに食べたが、食事中会話はほとんどなかった。なにしろ男爵と美和子の距離がありすぎる。気軽な会話をするには、遠すぎるのだ。それに家族が父親と娘ふたりきりでは会話がはずまないのも無理はなかった。

 太郎はディナー・ルームと厨房をいったりきたりする、料理を運ぶ係りになった。

 デザートを運ぶ段になって、男爵は思い出したというように太郎に話しかけた。

「太郎君、そういえば明日は美和子と始業式に出席してくれるんだったな?」

 太郎はかすかにうなずき、答えた。

「はい、わたしは美和子様付きの召し使いでございますのでお供いたします」

 ふむふむ、と男爵はうなずいた。

「わしはこういう状態で動けんからな、よろしく頼むよ!」

 そう言うと男爵は車椅子の膝をたたいた。テーブルの向こうで、美和子が顔をあげた。

 なにか言いかけたが、結局口をつぐんだままもくもくとデザートをたいらげる。

 やがて食事は終わり「ごちそうさま」と父娘はおたがい言い合って自室にひきとった。

 

「このひろいお屋敷に男爵様と美和子お嬢さまふたりきりってんだから、しずむよなあ……」

 厨房で太郎はまかない料理を出され、それを幸司と一緒に食べることになった。幸司はぽつりとつぶやき、首をふった。

「ほかのご家族はいないのかい?」

 太郎がたずねると、幸司はうん、とうなずいた。

「そうなんだ。男爵の奥方……つまり美和子様のお母様……は、美和子様を産んですぐ亡くなられて、それ以来男爵様はひとりぐらしを続けている。男爵様の兄弟、親戚もいないから、この屋敷はずっとおふたりしかいないってことさ」

 そうつぶやくと幸司はにやっ、と笑った。

「だから美和子様がご結婚なされて、お子さんを沢山産まれれば、この屋敷も賑やかになるんだけどね」

 そうだね……と、太郎は相槌をうった。

 

 その夜、太郎はなかなか寝付かれないでいた。幸司の言葉が頭から振り払えないでいたのである。

 美和子の結婚──。

 思っても見ないことだった。もちろん、彼女が結婚して悪いわけがない。しかしなぜ、こんなに気になるのか。

 はっ、と太郎は暗闇のなかで目を見開いた。

 ぼくはお嬢さまに──。

 それ以上考えることすら苦痛だった。

 召し使いは主人にたいし、尊敬以外の感情をいだいてはならない……! たとえば恋愛感情などだ。尊敬を交えた愛情は奨励されている。しかし恋愛感情はご法度であった。それは執事学校に入学してからくどいほど教え込まれていることだ。だから太郎も当然のように美和子にたいして尊敬以外の感情を持ってはいないと思っていたのだが……。

 ぼくは美和子お嬢さまを恋してなんかいない!

 太郎は暗闇の中、その言葉を呪文のように繰り返していた。

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