執事学校
1
三月もなかばというのに、ここ
窓の外は一面の雪景色だが、室内はむっとするほどの暖気につつまれている。ひろびろとした部屋のあちこちには丸テーブルが置かれ、そこには着飾った男女が料理を前に談笑したり、あるいはチェスや、カードを手にのんびりとした勝負を行っていた。客たちの年令はさまざまだったが、共通しているのは贅沢になれた人間だけがもつ、傲慢とすらいえる落ち着きようであった。その間を、数人の執事や、メイドがひそやかにまわって、接客を続けている。
メイドの服装は紺か、黒の上着に足首までとどく長いスカート、白いエプロン。髪の毛は三つ網か後頭部でまとめている。髪の毛が客の顔にふれたり、食べ物飲み物にたれることを防いでいるのだ。執事もおなじように黒か、濃い灰色の上着に、襟には手で触れたら切れそうなほどかっちりと糊付けされたカラーに、ぴかぴかに磨き上げたエナメルの靴。一分の隙もない服装である。髪の毛はみな一様に短めに刈り上げ、髪の毛ひとすじほどの乱れもなくセットされていた。
接客をしている執事やメイドはみな若い。
せいぜい年長のものでも、十七、八才くらいだろうか。接客中の執事やメイドのほか、壁際にはそれに倍する数のさらに若い執事やメイドが、接客しているかれらを熱心な眼差しで見つめていた。
ひとりの客のグラスが空になった。その客はグラスを見つめ、お替りを頼もうかどうか迷っている。客は年のころ、六十代後半と思える老紳士である。
と、ひとりのまだ少年といっていい年頃の執事が近づき、話しかけた。
小柄で童顔なので、場違いの感はあるが、その目の落ち着きに年令以上のものが感じとれる。声をひそめ、ささやき声に近い喋り方だが、特別な発声法があるのか、老紳士にははっきりと聞き取れた。
「お客さま、失礼ですがそれでおやめになったほうがよろしいかと存じます。かわりになにか軽い飲み物でもお持ちしましょうか?」
客はそれに気づき、にやりと笑った。
「そうだな、わたしもそろそろ限度かな、と思っていたのさ。有難う」
少年執事はかすかに頭をさげ、引き下がる。
老紳士は向かい側にすわる同じくらいの年頃のでっぷりと太った男に話しかけた。
「あの少年、良く気がつくね。さっき、わたしがもう一杯頼もうかどうしようか考えていたのだが、なんとわしにもうやめたらどうかと忠告するとはな……。召し使いとして客の健康を気遣う心遣いは気に入ったよ」
向かい側の太った男はうなずいた。
「あの
ほう……と、老紳士はうなずいた。すこし惜しそうな表情になったのは、じぶんが話題になった只野太郎を引き抜きたいと思っていたからだろう。
「真行寺男爵といえば大京市の……」
「はい、先月男爵よりかれに指名がありました。来週になれば、かれは大京市へ旅立つことになります」
太った男はそう答えると、ポケットから葉巻入れを出すと、一本ぬきだし吸い口をナイフで切った。口にくわえると、さっきの只野太郎という少年が近づき、マッチをすって火をつけた。葉巻を一服吸いつけ、太った男はうなずいた。
「わしには温めたワインとチーズをくれ」
太郎は「かしこまりました」と返事して引き下がった。
それを見送り、老紳士は太った男に話しかけた。
「しかし、ここには生徒が何人いるんですかな? 見たところ、十数人しか見えないが」
百名を越しております、というのが太った男の返答だった。
「この接客室へ来ることの出来る生徒は、その中でも特に優秀な者に限られております。そのほかの生徒は、まだお客さまにお出しするほどの修行をつんでおりませんので」
「あっちの壁際にいるのは? あまり接客をしていないようだが?」
「ああ、かれらは来年卒業の生徒です。いま接客をしているのは今年卒業する生徒で、かれらの接客を目にして、勉強をしているのですよ」
ここは召し使いになるための修行を行う、執事学校なのである。
学校といっても、見たところ金持ち専用のホテルと変わりはない。生徒はここで執事、メイドになるための訓練をうける。
もちろん普通のホテルと同じように客があれば宿泊できる。その客の接客を通して、生徒は将来優秀な召し使いになる修行をつむのであった。
この学校に宿泊しにくる客は、それらの生徒と接して、将来じぶんの屋敷に招く執事やメイドを見定めるため宿泊するのだ。
太った男はこの執事学校のオーナー兼経営者である山田勇作氏。執事学校の校長としては三代目にあたる。初代の校長はもともとホテルを経営していたが、客からの執事やメイドを探す声をうけ、ホテルを執事学校にしたのだ。執事学校としての歴史は半世紀におよび、この種の学校としてはもっとも歴史が古い。
学校経営の目論見があたり、ホテルには優秀な執事やメイドをもとめる客がオフ・シーズンにかかわらずやってくるようになった。そのせいで、この学校はホテルとしても充分に収益をあげることができていた。
「ワインとチーズをお持ちしました」
山田氏の注文にやってきたのは、さっきの只野太郎ではなく、ふくよかな頬をしたメイドだった。彼女は銀色のトレーにワインとチーズを盛り、にこにことほほ笑みを浮かべて給仕する。彼女の頬には笑窪が見えていた。
手早く給仕を終えると、彼女はぺこりと頭を下げて引き下がった。
メイドを見送った老紳士は山田氏に話しかけた。
「彼女も卒業生ですかな?」
山田氏がうなずくと、老紳士はさらに言葉を継いだ。
「それで、奉公先は決まっているんですかな?」
まだです、という答えに老紳士は勢いづいた。
「それではうちに来て欲しいですな。あの娘、ここ数日見かけますが、良く気がつくし、それにとても明るい性格をしているようだ。あのようなメイドなら、だれとでもうまくやっていけるでしょう」
しかし山田氏は首を横にふった。
「彼女には奉公させないつもりです」
「なぜです? 資格がないのですか?」
「資格はじゅうぶんです。しかしわたしは、彼女にはどこにも行かせるつもりはありませんので、あしからず」
ぽかんとした顔になった老紳士に山田氏は説明した。
「実を言うと、彼女……山田洋子というのですが……は、わたしの一人娘なのですよ。洋子にはいずれ婿を取って、このホテルを継いでもらう計画なのです。この学校で学ばせていたのは、ホテルを継いだときの接客の修行をさせておくためなのです……」
山田氏がそこまで言葉をついだとき、がちゃんと背後でトレーが床に落ちる音がした。
ぎょっとなった山田氏と老紳士が顔をあげると、当の洋子が顔を真っ赤にして立ちつくしていた。
「だからあたしにはどこからも就職の話しがなかったのね!」
彼女の目には涙が浮かんでいた。
「ほかの生徒にはみんな奉公先が決まっていて、あたしにはなんの音沙汰もないからおかしいと思っていたのよ! パパが邪魔していたんだわ!」
洋子……と、山田氏が立ち上がった。
目にいっぱい涙をため、洋子はいやいやをするように首をふった。
「あたし、パパのホテルを継ぐ気はないわ! だってあたし、メイドになりたいんだもの……それなのに……」
あとは悲鳴のような嗚咽になると、洋子はスカートの裾をひるがえして駆け出した。ばたばたという足音を残して接客室を出て行く。
その場にいた執事やメイドの卵たちはぼうぜんとした表情になっていた。
召し使いするべかざる第一条──召し使いは決して大声で騒ぐべかざる。
第二条──召し使いは足音を立てて歩いたり、走るべからず。
その二条をまるで無視した洋子の振る舞いに、みなあっけにとられていたのだった。
その中で只野太郎だけはそっと接客室を離れ、廊下に出た。
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