番外編「はっぴーばれんたいん」

 角川俊暁はバレンタインデーにいい思い出がない。

 元々交流関係の大半は男であり、警察官という仕事の特性上、義理チョコですらそうそう貰える機会がない。

 言ってしまえば寂しい。かといって嫉妬に狂って馬鹿騒ぎなんて真似は考えたくもない。そんな環境の中、女性との繋がりが出来ただけでも本来は喜ぶべきなのかもしれない。

 

 だが。

「……うん、違うだろうなあ」

 付き合う女性陣は悉く、思い描いた一般的なイメージからは全くかけ離れている。

 

 広瀬涼、岩村由希子……真っ当にバレンタインをしているイメージがない。

 神崎ナルミ……そもそもバレンタインデーをちゃんとやるのか?

 神代ひなた……なんかまたアルエットに焚き付けられてるイメージしかない。

 

 思い浮かべるだけで、真っ当な付き合いしてないな、とひとりごちながら。

 今日は涼がゲストに呼ばれたテレビ番組の収録を終え、労いにと缶コーヒーでも買ってきたところであった。

「おつかれー」

 軽い感じで控室に入った俊暁。

 

「……これ、どうしよう?」

 困ったような表情で振り向いた涼。彼女の座席の前のテーブルには、見たこともないほどの、包装されている箱の山があった。

 

「なにこれ」

「チョコレート」

「だろうな」

 一瞬目を疑った。今日の収録が生放送であり、直接渡すチャンスがあり、それで渡されたのを見ていたとはいえ。

 スタッフを介して収録後に届けられたのだろうか。種々様々な包装、一体何十と置かれているのだろうか。学校の人気者でもこうはならない。

「芸能人かよお前」

「似たようなものでしょ」

 確かに、テレビで活躍する人間は芸能人のような扱いをされることが多々ある。

 涼の場合、仕事も人々から見て娯楽方面に偏っているだけに、なおのことである。

 そう考えると、芸能人のようにファンからチョコを貰えるタイミングも多いのかもしれない。

 

 だからといって、こんなに食べ切れるわけがない。

 一人で食べるのも限界だったからか、ナルミが嬉々として残りを食べていたが、ふいに手が止まる。

「……おねーちゃん、これへんなあじ」

「なるちゃん、それは食べちゃダメ。お酒入ってる」

「おさけー?」

 涼がナルミの保護者をしている間、はあ、と俊暁はため息が出るのを抑えられなくなった。この結果は予想していなかった。誰と勝負しているわけでもないが、訪れる大・大・大・大・敗北感。

 仮に俊暁が高校生だったらきっと、こんなんぜってぇ許せねえ、カチコミかけるぜエイエイオー、みたいなノリだっただろう。

「で、実際問題どうすんだこれ」

「流石に私が食べないわけにもいかないし、少しずつ食べようと思う。それでもなるちゃんと分けようと思うけど」

「まあそれしかないか」

 処理に困る中、とりあえず入りきらなかったものを鞄に詰め、帰宅コースに入る。

 

 

 ―――――

 ―――

 ――

 

 

「ちょっと降ろして」

 車で移動中、助手席の涼がふいに声をかけ、俊暁を静止した。

「何だよ」

「ちょっと……」

「早く行って来いよ」

 女性相手にそれ以上を聞くほどデリカシーがないわけではない。

 道路に寄せ、一旦車を停める。短時間ならば、規定を満たせば路上駐車も法律違反ではないのは、二人とも分かっていることである。

「荷物お願い」

 助手席にバッグとチョコを乗せ、車を降りた涼は近くの店に向かう。

 外を見れば、そろそろ日が落ち、時間は18時を過ぎているところ。そろそろ夜に入り始めたといっておかしくない時間。

 エアコンで車内温度が保たれている空間に、ナルミと二人きりで、用事が終わるまでしばらく待つことになる。

 

「おっさん」

「何回注意すればいいのかな?」

 そして即座にいつも通りのおっさん呼ばわり。キレそう。

「バレンタインってチョコつくってなにするの?」

 振り向くとナルミは、持たせてもらっていた子供用の携帯端末を見せてきた。

 そこには交友関係のある孤児院の面々や、事件でよくご一緒する人たちとのインターネットの繋がりがあった。

 

『ひなた:やったぜブイ』

 真っ先に目に入ったひなたの書き込み。レイフォンと二人でハート型のチョコを持った写真である。

『総一:よかったっスね爆発しろ』

『ひなた:師匠がよかったからねー』

『総一:いやまあお菓子は門外漢なわけですが』

 文脈から考えると、総一が手作りチョコの作り方を教えていたようである。

 

『トーマス:やるじゃない。で、総一クンは?』

『総一:二つほど。まあ義理』

『アルエット:うっそーそんな風には見えなかったなー?』

『パーシィ:ひゅう、やるやる』

『総一:てかアルエさんが焚き付けたせいで俺が教える羽目になったんでしょーが』

 

 アプリによる知人同士のつながり。

 バレンタインという特別な日でも変わりない交友だった。

 

「それでか」

「うん」

 それを見ればナルミがバレンタインに興味を持つのも頷けるな、と合点がいく。

「これは日本式のもので、この日は親しい人にチョコレートを贈る習慣って奴だな」

「にほんしき?」

「一部の国だけでやってるってことさ。ただ、売りたい側が全力でやってるだけだが、けっこう日本じゃ賑わっててな。こっちでもやってきた感じだ」

「ふーん」

 今更ながら、企業の売り方の話をすると虚しくなりそうなので、それ以上は自制しておく。

 

「ごめんお待たせ」

 数分後、帰ってきた涼は小さめの紙袋を提げていた。

「何か買ってきたのか?」

「うん、まあ。ほら」

 紙袋に入れていた箱を開くと、そこには丸いトリュフチョコレート。

 その箱が二つ。

「何でまた」

「だって一緒にされたくなかったし」

 大量に貰ったチョコレートを横流ししたと思われたくない。だから荷物を置いて、わざわざ買ってきたのである。

「ありがとおねーちゃん!」

「そっちお酒入ってないから大丈夫よ」

 子供は例外。涼のチョコレートならばなおのことナルミは食いつく。

「へー。お前そういうの拘る……」

 俊暁がその光景に感想を漏らしていた時。

 

 ふいに、自分の口元に、甘いトリュフチョコが押し付けられているのを感じた。

「!?」

 驚き、ついそのまま口の中に吸い込んでしまう。

「驚いた?」

 悪戯そうに微笑む涼。チョコを一つ摘んで、気を取られている隙に俊暁の口元に運び、軽く押していた。

「ほ、ほほろふはろ」

「とりあえず食べてから喋りなさいよ。あ、お酒入ってないから」

 口の中でその甘さを噛みしめ、融かしながら車を発進させる。妙なところで気を使われている。

「あのさあ、そういう無防備な不意打ちやめろよ」

「何で?」

「なんでも!」

 無防備に微笑むこの広瀬涼という女性。

 女性との付き合いに乏しい俊暁に対処手段はなく、子供のように荒い声を出すしかできなかった。

「まあ、日ごろお世話になってるし。ゆっくり食べてよ」

「そーする」

 やっと落ち着きを取り戻して車を走らせる。そんな中、不意に。

 

「おねーちゃんたちって、ひなたさんたちとおんなじカンケーなの?」

『絶対違う』

 ぴしゃりと揃った口でナルミの疑問を否定する。

 そもそも、明らかに接近している二人と比べるべきではない。

(……でも、広瀬と、かー……)

 言われて、涼との付き合い方をイメージしてみる。

 

(……仕事以外ぜんっぜん思い浮かばねえ)

 浮かぶのがとことん仕事の話だった。それくらいビジネスパートナーの印象が先行していた。

 おそらく涼も同じだろう。そうでなければあそこまで無防備な態度をとれないはずだ。

(たまにゃどっか仕事以外連れてってやるか)

 そもそも、涼も連日の仕事に追われている状況。どこか息抜きを提案するのもありかな、と思っていると、借りているマンションの一室に明かりがついているのに気付いた。

 

「あはー、おかえりりょーちゃん、とっしー。このチョコレートのおさけあまくておいしーにゃー」

 仕事帰りに涼の自宅で集まることを提案していた中、合鍵を持っていた由希子が、チョコレートカクテルの入ったグラスを片手に酔っぱらっていた。

「……どうしようこれ」

「さあ」

 既に出来上がっている由希子を見て、涼も俊暁も顔を見合わせ、対応に困りきった。

 何か嫌な事でもあったのだろうか。

 とりあえず、今夜は大変な夜になりそうだと、そう予感するしかなかった。

「あはー、はっぴーばれんたいん」

「はっぴーばれんたいん!」

「ナルミちゃんものむー?」

「のむー!」

「やめなさいって由希子! お酒でしょそれ!?」

「あーもう滅茶苦茶だよ」


 こうして、角川俊暁のバレンタインの思い出は、『独り身の日』から『大変な日』にランクアップを遂げたのであった。

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