イタミ・モノガタリ
ちくしこいし
第1話 序章 ~神託と運命(サダメ)~ 【壱】
「帰って来たよ、父さん―――…。五年ぶりの平城京だ…。」
夜、人気のない朱雀門の上に一人の少年が立っている。風になびく銀髪はまるで太陽にきらめく水面のようだ。
と、突如少年の体がふわりと宙に浮き、軽やかに地面の上へと舞い降りた。朱雀門二十二米(メートル)の高さを全く感じさせない身のこなしだ。
彼は歩き出す。
「父さん…約束通り愚かなる金属――…フーリスゴールドを集めて必ず使命を果たす。」
その声は怒りとも悲しみともつかない不思議な声音で静まり返った平城宮跡に響いた。
丑の刻、朱雀大路を通り羅城門の方へゆったりと歩いていく。しばらくして彼の姿は纏っていた黒衣と共に闇の中へと消えた。
少年が立ち去って暫時の暇、ざわりとした気配とともに空間が歪んだ。朱雀門の周辺が禍々しい雰囲気に包まれる。
『カエッテキタ、帰ってきた、カエッテキタ、還ってきた…』
くぐもった無数の声が暗闇の中谺(こだま)する。無論声の主は人ではない。彼らはかつて古都を守る神々であった。しかし彼らを祀る者がいなくなった現代では、その神性は失われ、魑魅魍魎の類に成り下がっている。
彼らは少年の存在を敏感に感じ取っていた。少年の後を追うようにその悪意を朱雀大路の先へと滲ませる。
バチッ!!!
刹那、青白い閃光がほとばしり、邪悪な気配は霧散した。何か、より大きな存在が、有象無象の元神々達を消し去ったのだ。
「やっと…やっと始まる…。そう…あの時の続きを…」
その大きな存在は恍惚とした様子で呟いた。まるで恋でもしているような眼差しで、少年が消えた方向を眺め続けた。いつまでも。
北の果て―――…十八年前の戦争で起きた数々の悲劇。その死体の山の一つで彼は産声を上げた。肉の壁に守られていたとは言え、極寒の地ではその小さな生命は正に風前の灯火であった。だが一人の傭兵の気まぐれでその火が潰えることは無かった。
まるで汚物でも触るかの様な手つきで掴み上げられた彼は問われた。手袋越しにも分かる冷えきった身体。だが、確かに生きている。
「お前…生きたいか?」
傭兵が呟くと彼はその小さな身体で、その小さな魂で、目一杯答えた。
“生きたい”と。
すると傭兵は彼をその胸にかかえ歩み出す。こうして彼の生命の火は継がれた。だが未だ誰も知らなかった。後に神をも殺し尽くす彼の運命も、その身に宿された呪いとも言える能力(チカラ)も、その一歩で継がれてしまったことを。
そう、この世界さえ未だ知る由も無かった。
――そしてまた数多の悲劇がこの世界に生まれる――…
「スオウよ、お前が山で拾い育てた義(ム)息(スコ)が帰ってきたぞ。戻ってくる事はないと思っていたが…。」
「父親との約束を果たすためだけに戻ってくるとは馬鹿な奴よ…お前の父親はもう人間ではないのにな。」
謎の男が話しかけていたのは、元は人間であったであろうもの。
その姿は醜く獣化したもの。
喋る事はなく目の前にいる男の言葉だけに従う傀儡。
「今のお前を見たら義息はどう思うか…ククッ。フーリスゴールドを集める…か。ならいずれは義息と再会できるであろうな。」
そう言いながら男の手の中にはフーリスゴールドの一つがあった。
「まぁ…此処まで辿り着けたらの話だがな。」
男は暗闇の中に消えていった。
夜明けの薄闇の中、銀髪の少年――狩集(カリツメ)輪廻(リンネ)はおよそ人が通るとも思えない獣道を歩いていく。裾の長い黒衣が草木の露を吸い取っていく。手には数本の水仙の花束が握られている。
「…さすがに五年ぶりになると道の覚えも危ういなぁ。確かこの道だと思うんだけど。」
そう言って空いた手で頭をかく姿や少し困った表情にはまだ十四・十五歳のあどけなさが残っていた。
歩を進めていくと獣道が開け、雑木林の中に広場が生まれた。朝の鳥の声が美しく響いている。
その広場の中心にひときわ目立つ卒塔婆が立っていた。歳の割には小柄な輪廻の身長をゆうに越す高さだ。
「父さん…五年前も十五年前も父さんに助けられて俺は生き延びました。なのに俺は父さんを…。」
輪廻は墓標に向かって頭を垂れた。どうやら彼の父親の墓らしい。輪廻の声が掠れる。
「十五年前…闇の者より創られしただの実験生物だった俺を三年かけて人へと生まれ変わらせてくれた…そしていろんな生きる知恵を授けてくれた父さん…。きっと五年前の約束は果たします。闇の者との決着は俺がつけます。…たとえこの世に惨劇がもたらされようとも…。」
輪廻は手にしていた花束を父の墓標へとたむけた。
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