水曜日

ねこみっく

方向音痴の男が迷子になる話

 あの子、地元のギャラリーで個展をやるんだって、と大学時代の友人から噂をきいた。

 僕たちの在籍していた学部は、およそアートとは関係ないような場所だったから少し驚いたが、友人のハレ舞台を見に行かない理由はない。

 彼女の地元は群馬県で、僕たちの通っていた大学もそこにあった。実家から通学する彼女は車を持っていて、当時は何かと助けてくれたものだ。もちろん、車内にふたりきりという場合は一度もなく、間違いなく僕らは友人だったのだけれど、僕は彼女のことを…まあ、それはいい。


 そんなわけで時間に都合をつけ、僕は電車で一時間ほどかけて群馬へ向かった。

 降りたのは以前も何度か使ったことのある駅だったが、記憶とはずいぶん印象が違っていて思わず駅名を確認する。前橋駅。大丈夫、合っている。

 自慢じゃないが僕は筋金入りの方向音痴だ。だが自覚があるので確認を欠かさない。確認をしておけば、大丈夫。

 スマホに、友人から送ってもらった地図を表示させて歩き出す。案内によれば駅から数分歩けばギャラリーに着くはずだ。

 その店は商店街の中にあるという。

 個展…彼女はプロになったのだろうか。僕は彼女の作品を見たことがない。彼女がモノを作る人だということも知らなかった。僕が知っている彼女は、普段は物静かで、でもおとなしいというわけではなく、言うときは言う、というタイプの子だった。少し気まぐれなところがあって、彼女を見ていると実家の猫を思い出すことが時々あった。それから読書家で、いつも鞄に本を入れていたっけ。彼女は…居るのだろうか。

 何度か地図を確認しつつ進むと、商店街のアーケードらしき場所に着いた。中央通り商店街、とある。どうやらこの中のようだ。


 それはある晴れた水曜日のことだった。


 商店街のはずなのに、人がいない。店が開いていない。

 地方の商店街は寂れる傾向にあるときいていたけれど、ここまでなのか?

 こんな場所でギャラリーをかまえて大丈夫なのか。

 急激な不安にかられながら、無人の商店街を進む。

 日差しはアーケードに遮られて辺りは薄暗く、心なしか少し寒い気さえした。

 ギャラリー・アートスープ、という店名を探しながら奥へ奥へと進んで行くが、やはり人はいない。開いている店もない。

 ふいに、彼女が気に入っていると教えてくれた小説を思い出す。

 方向音痴の男が猫だらけの奇妙な町へ迷い込んでしまう話だ。群馬出身の詩人の、唯一の小説だ、と彼女が言っていた。

 あの主人公は最後、どうなってしまうのだったか。元の世界へ帰ったのか、それとも…。

 気付けば、もう十分以上も歩いている。看板を見過ごしたのだろうか。

 踵を返し元来た方向に戻る。

 シャッターの閉まった店の一件一件を注意深く見ながら歩くと、何かのイベントを告知するポスターが目に入った。日付は今年の、あとわずか数日先のものだ。

 更に背中が寒くなる。商店街の時間は止まっていない。まだいる。しかし僕の目には見えない。歩く人も、営業している店もない。ただ延々とまっすぐに薄暗いアーケードと、くすんだシャッターがずらりと並ぶだけだ。僕は本当に異界に迷い込んでしまったのではないか。

 妄想に支配されて立ちすくんだとき、近くにあったガラスの扉が開いた。


「いらっしゃいませぇ。よろしければ見ていかれませんか?」

 人が、いた。

 詰めていた息を吐き出したついでのように、僕の口からは、あ、はい、と気の抜けた返事がこぼれた。

 誘われるままに店内に入ると、右手にカウンターがあり、左手の壁面にはたくさんの絵が飾られている。いや、絵だけではない。本や、陶器や、人形や、洋服や、アクセサリーや…。様々なものが、どうやらひとつのテーマを持って集まっているらしかった。

「あの…ここは?」

 店に入ってから随分間抜けな質問だと思うが、そのときは人がいた安堵感でいっぱいだったのだ。

 店員はにこりと微笑み、ここはギャラリーです、と答えた。

「アートスープといいます。様々なジャンルのアートが影響しあって、スープみたいにおいしくなるお店ですよ」

「あぁそれで…色々な作品があるんですね」

 相槌を打ちながら店内を見回す。どうやら思いがけず目的地へ到着できたらしい。

実は、と彼女の名前を告げると二階を案内された。

「どうぞ、ごゆっくり」

 階段を上り、展示スペースを見渡す。絵画だとばかり思っていた彼女の作品は、切り絵だった。額に飾られた繊細な模様が壁に影を落とし、なんともいえない美しい陰影を作り出している。作品もさることながら、これを作り出す彼女の手も、きっと美しいのだろうと思った。


 感想用の用紙があったので、日付と名前を書く。今の気持ちをどう言葉にしていいか悩みながらも感想らしきものをなんとか書きあげ、今の電話番号も書いておいた。

「またお越しください」

 丁寧に見送ってくれた店員は彼女に少し似ている気がした。

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