自己顕示をして何が悪い!

北海ハル

恥など不要。

 近頃、何かしらの案件を出したり、意見を述べたりするのを躊躇う人間が増えているように思える。

 それはネットや周囲の反応を気にしてのものではありませんか?


 ────くだらねぇ。

 そんな植物の堆肥にもならん糞みたいな思い込み、さっさと捨てろ。

 そして誇れ。自分は「ものを書き、それを世間に知らしめることができる」と。


 いきなり何だ、この偉そうな口振りの野郎は、と思った人もいるだろう。

 ただ、これは自分がとても率直に思った事なのだ。だからここに書き綴る。


 まず、私の経験談を語らせてもらおう。私はTwitterのアカウントでちょくちょく小説の宣伝をしており、それなりにRTリツイートもされる。

 そんな中の事だった。


『一ヶ月で一気に小説を書くのが上手くなる方法!さんがあなたをフォローしました。』


 ああ、またこの手のアカウントか。そう呆れ半分に思いながらそのアカウントのプロフィールを開いた。


『まだそんな恥ずかしい小説を書いているんですか?人に見せられるレベルにも達していないのに、それを公にするなんて……。という方に必見!一ヶ月で(ry』


 あらゆる怒りの感情が腹の底から湧き上がる。

 他のツイートも見てみた。

『まだネット小説家(笑)のつもりですか?この「一ヶ月で(ry」を読めば(ry』


『「趣味だから……」、「別に読まれなくても……」と言っている人。じゃあなんで、小説投稿サイトに載せているんですか?そんなに自己顕示したいんですか?(笑)』


 普段の私なら『草』とでもツイートして流していたが、どうもこれだけは許せなかった。

 何より、書いたものを恥じらいもなく投稿する事の何が悪いのかを問いたかった。


 そもそも物を書くことそのものが、私にとってはすごい事なのではないかと思えてならない。

 確かに私のように文才も無いまま書いている人もいることだろう。

 だからといって────閲覧数が全く無いわけでもあるまい。

 ただ単に、需要があまり伸びないだけなのだ。

 もしくは、人の目に触れる事が少ないか。

 どちらにせよ、物を書ける時点で人より秀でているところとして誇れるのではないだろうか。


 無駄な遠慮をして質問をする機会を逃したり、何かを知るためのタイミングを逃すよりも、情報を知るため何かを提示、発言する事を恥とするこの社会は一体何なのだ?

 誰のための社会なのだ?

 周りに合わせて生きることが、果たして本当に正しい事なのか?

 私はそうは思わないし、思いたくもない。

 賢い生き方とは決して言えなくても、自分のやりたい事を少しでもできる生き方の方がずっと素敵だ。

 それを『自己顕示欲の塊』だの『恥を知らないのか』だの言う輩には、思う存分言わせておけば良いのだ。

 結局彼らは進歩せず、自分が周りに合わせて生きることが正しいと思い込もうとしているから、放っておけばそのうち黙り込む。


 このカクヨム様を利用する方々の中で、まだ心のどこかに恥じらいを持って、下書きから公開できない方もきっといることだろう。

 それは大いに素晴らしい事だし、現に私も通ってきた道だ。

 でもそれをそのままにし、『自分はきっとダメだなぁ』と思い込んだまま削除してしまうのは絶対にやってはいけない。

 小説を執筆する他に、『何をやってもダメか』というようなネガティブ思考が生まれ、結局社会のイエスマンになってしまうだろう。

 そうなる前に、是非泥の中に飛び込んでほしい。

 泥んこまみれになって、大いに恥じるといい。

 それを『良い経験だった』と言えるだけの図太い神経を持てばいい。

 笑う奴を笑い返すだけの根気を持てばいい。

 私は執筆活動を続けて一年、それを学んだ。








 どうしても恥ずかしい時は、私のマイページに来てね。

 黒歴史確定な小説、置きっぱなしだから(笑)

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