8月(1)トラブルメーカー

 ある日社員食堂で、美幸と晴香が向かい合って昼食を食べていると、控え目に声がかけられた。


「……堀川さん、藤宮さん。ここ、良いかしら?」

 その声に二人が顔を上げると、今年入社して一緒に初期研修を受けた三人の女性が立っており、加えて六人掛けのテーブルに座っていた二人組が居なくなっていたのを確認して、愛想良く笑いかけた。


「構わないわよ? どうぞ?」

「長谷川さん、富田さん、青山さん、久しぶり」

 すると総務部の長谷川美里、受付の富田泰子、経理の青山紀恵は、愛想笑いを振りまきながら、美幸達と同じテーブルに着いた。


「本当に、久しぶりね」

「部署が違うと、意外に顔を見かけなくなったわね」

「本当にね。部署によって、休憩に入る時間も微妙にずれるから」

「社食で時々、見かけていたけどね。わざわざ話しかけるのもって思う事が多いし」

「私はいつもはお弁当持参だから、社食には来ないし、余計に顔を会わせる機会は少ないかも」

「じゃあ長谷川さん、今日は寝坊してお弁当を作る時間が無かったとか?」

 ふと気になって美幸が突っ込んでみると、美里は僅かに狼狽しながら笑ってみせた。


「…………ええ、まあ、そんな所?」

「そうなんだ。でも偶には社食でも良いわよね?」

「え、ええ、そうね」

 そんな美里の反応を美幸と晴香は訝しく思ったものの、口に出して指摘したりはしなかった。

 そして少しの間五人で近況報告混じりの他愛もない話をしていたが、さり気なく泰子が美幸に話しかけてきた。


「……その、藤宮さん」

「何?」

「最近恋人とか、できた?」

「うん」

「本当? それって誰?」

 あっさりとした返事に寝耳に水の晴香は驚き、後から来た三人が目の色を変えたが、美幸が淡々と話を続ける。


「誰って……、目下のところ、仕事が恋人だけど? 入社して半年経ってないし、覚える事は山ほど有るでしょう?」

「……まあ、そうね」

 同意を求められた泰子が憮然としながら頷いてみせると、今度は紀恵が尋ねてきた。


「じゃあさ、最近、会社の人とどこかに出掛けたりした?」

「会社の人? 晴香とは買い物に行ったよね?」

「その後、映画を見たわね。それが何なの?」

 女二人で顔を見合わせから不思議そうに紀恵に顔を向けると、紀恵は多少苛立たしげに言葉を継いだ。


「そうじゃなくて! 男の人と二人でって事よ」

 そう言われた美幸は、一瞬真顔で考え込んだ。

「男の人と? ……ああ、そう言えば係長と行ったっけ」

「え? 係長って……、あの、もの凄く迫力のある城崎さん?」

 目を丸くして確認を入れてきた晴香に、美幸が笑って頷いた。


「うん。でもそんなに怖がらなくても。とっても親切で、良い人よ? 結構顔立ちも整ってるから、歴代彼女は全員美人だし、並んで立った所を想像すると、迫力あるわよね~」

 ニコニコとしながら直属の上司をそう評した美幸に、晴香は思わず変な顔をした。


「……何で歴代彼女が美人って知ってるの? 本人から聞いたの?」

「ううん。二課に関係ある情報を片っ端から集めていたら、引っかかったの。……ねえ、美人だよね?」

「え?」

「それは……」

「まあ、ねえ……」

 いきなり話を振られた三人は、互いの顔を見合わせ、しどろもどろになりながら僅かに頷いたが、晴香は益々怪訝な顔をして周囲の者達を見やった。


「何で皆に聞くのよ?」

「だって皆、今言った係長の歴代彼女とは、同じ部署の先輩後輩の間柄だから」

「同じ部署?」

「うん長谷川さんが仲原さんと同じ総務部、富田さんが真柄さんと同じ受付担当、青山さんが戸越さんと同じ経理部だよね?」

 美幸がそう言って笑顔で確認を入れたのと、晴香が物言いたげな表情で目を細めたのを受けて、美里が些か焦った様に問いを発した。


「そ、そのっ! 藤宮さんは城崎係長と付き合ってるわけ?」

「はぁ? どうして?」

 いきなりの質問に美幸と晴香は呆気に取られたが、三人は口々に言い出した。


「だってデートしてるんでしょ?」

「休みの日に、社内で一緒にいる所を見かけた人がいるのよ」

「耳に入っただけでも、一度や二度じゃないから」

「あんた達……、何が言いたいわけ?」

 さすがに晴香が目を細めて睨み付けると、三人はたじろいだ様子を見せたが、その横で美幸が考え込みながら指折り数えた。


「えっと、テーマパークと水族館と映画と美術館と屋形船とボーリングで六回ね。でもデートじゃないわよ? 市場調査の一環だし」

「はぁ?」

「何、それ?」

 あっさり言われた内容に、晴香を含めたその場全員面食らったが、美幸は真顔で説明を続けた。


「課長から、企画案を出すように言われて。そうしたら係長が、ちょっと予想もしなかった方向から切り込んできたから……」

 そして美幸が唖然としている面々に、簡潔に経過を説明した。


「……それで、そんな風にほぼ毎週誘ってくれてるわけ。ほら、デートじゃ無いでしょ?」

 サラリと同意を求めた美幸は、残っていたうどんを食べ終えて「ごちそうさまでした」と手を合わせたが、他の者達は微妙な顔付きで美幸を見やった。


「……へぇ、知らなかったわ」

「城崎さんって、意外と面倒見が良いんだ……」

「お休みの日も仕事の事を考えてるなんて……、藤宮さんは真面目ね」

「別に大した事では無いわよ? じゃあ食べ終わったから失礼するわね。行こう、晴香」

「……ええ。じゃあまたね」

 そうして食べ終わっていた晴香を促して美幸は立ち上がり、簡単な別れの言葉を口にして、二人は食堂を出て行った。


(仲は悪くないけど、大して親しくもないあの人達が、わざわざここで声をかけてきたのは偶然かしら?)

 そんな事を考えた晴香は、いつもと変わらない風情で横を歩く美幸に声をかけた。


「美幸……」

「何?」

「ちょっと気をつけた方が良いかもね」

「だから何が?」

「その気がなくても、他人の怒りを買う事があるって事」

 肩を竦めて注意を促した晴香だったが、それを聞いた美幸は眼光鋭く不敵に微笑んだ。


「そんな事……、分かっているわ。伊達に幼稚園から大学まで、十九年、女の園で過ごして来たわけじゃ無いのよ?」

「そ、そう? 分かってるなら良いんだけど……」

(やだ……、何か今、美幸の笑顔がムチャクチャ怖かったんだけど!? 田村君が見たら、百年の恋も一気に醒めそう……)

(ふぅん? 何か空気がピリピリしてるのよね。念の為、臨戦態勢にしておきましょうか)

 傍目にはいつもと変わらない様子で歩いていた二人だったが、心の中ではそれぞれ物騒な事を考えていた。

 そんな事があった翌日、誰もが予想していなかった騒動が勃発した。


 そろそろ終業時間と言う時間帯に、真澄に届け物を頼まれた美幸は、総務部があるフロアにやって来た。そして第一課課長に書類を渡し、指示された通りに目を通して貰って何枚かの書類に判を貰い、更に別な書類を渡されていそいそと企画推進部のフロアに戻ろうとした所で、一人の女性に声をかけられた。


「あなた、企画推進部二課の藤宮さんよね?」

「はい、そうですが。何でしょうか? 仲原さん」

 臆する事なくにこやかに返されて、理彩は不愉快そうに顔を歪めた。


「どうして私の顔を知っているのかしら?」

「うちの係長と、四月までお付き合いしていましたよね。『美人なのに別れるなんて、城崎はなんて勿体無い事をするんだ』と皆が言っていたので、どの程度美人なのかと興味が湧いて、こっそりお顔を眺めた事がありまして」

 変わらず笑顔で平然と述べた美幸に対し、理彩は盛大に顔を引き攣らせる。


「……ええ、お付き合いしてたわよ! あなたが義行にチョロチョロ纏わりつくまではね。ちょっとこっちに来なさい!」

 腹立たしげに理彩が吐き捨てると、美幸の腕を乱暴に掴んで廊下をズンズンと歩き始めた為、美幸は一応抵抗してみた。


「ちょっと、困ります。私、仕事の途中なんですが。これが終わったら上がっても良いと言われていますが」

「五月蠅いわよ! 新人のクセに生意気な!」

(駄目だわね、これは。相当頭に血が上ってるみたいだし、面倒だから一度話を聞いておきましょうか。疲れるなぁ……)

 うんざりとして小さな溜め息を吐いた美幸を、理彩がそのフロアの女子トイレに押し込んだ。そしてさし当たって美幸が特に抵抗していないのを見てとると、出入り口のドアを塞ぐ様に仁王立ちになり、携帯を取り出して何やら操作を始める。


(何やってるのかしら? まあ、こちらも準備時間が貰えて良かったけど)

 そんな事を考えながら美幸は右手で上着の左ポケットから小さなある物を取り出し、封筒を抱えている左手でそれをこっそり握り込んだ。更に右ポケットに入っている物を服の上から触れて確認し、いざという時の手順を、頭の中でおさらいする。


(ふぅん……。メイクもバッチリだけど、爪のお手入れもなかなか。取り敢えず真面目に仕事をしてるみたいで、変に伸ばしていないから、やっぱり必要だったわね)

 相手を観察しながらそんな事を考えている間に、理彩は掃除用具が入れてある場所の戸を開けて『清掃中』の立て看板を出し、出入り口のドアを開けてその向こうに出した。それと入れ替わる様に次々と五人の女性がやって来て、無言でトイレの中に入って来る。自分を不躾な視線で眺めてくるその面子を確認した美幸は、ちょっと不思議に思った。


(どうしてこの人達が、一堂に会するわけ?)

 しかしその疑問は、すぐに解決する事になった。


「仲原さん、本当にこの子なの?」

「そうよ。ふざけた話よね」

「全く……、城崎さんも女を見る目が無いわ」

「本当にね。眼精疲労が著しそうだから、今度目薬を贈ろうかしら?」

「と言うか仕事が忙しくて、つい手近な所で済ませようと思ったとか?」

「あの鬼畜課長の下だと、ストレスが多そうですものねぇ……」

 美幸を馬鹿にする様な口調でそんな事を言い合ってから、互いの顔を見合わせてコロコロと笑った女達を見て、美幸は楽しそうに口元を歪めた。

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