第32話 最大の食材
「ここが異世界の食材が手に入るダンジョンって奴か」
ダンジョンの入口に仁王立ちするのは、ゴム製のエプロンをかけて長靴を履いた、赤と黒のシャツの2人組だった。
男達は鍛え上げられた体格をしており、その逞しい腕は生半可な男では相手にもならないだろう。
「ああ、だが魚マサの勝次がやられたそうだ」
「はっ、所詮ヤツはサラリーマン上がりの貧弱な二代目よ。生まれた時からこの世界で生きてきた俺達とは踏んできた場数が違うってモンよ」
赤いシャツの男は勝次と呼ばれた男の話を鼻で笑い飛ばす。
「そう言ってやるな。アイツはアイツで頑張ってるよ。腰をやっちまった親父さんの代わりになろうってな」
「それで仕入れに失敗しちまったら意味がねぇだろ。ボンクラの二代目は普通の魚を仕入れてれば良いのさ」
「じゃあ俺達も行くとするか」
黒いシャツの男がダンジョンへ足を踏み入れる。
「ああ、サーヤとかいう魚を、仕入れ値0円で仕入れてやるぜ」
2人の男達がダンジョンに入っていくのを見ていた通行人が呟く。
「なんで魚屋がこんな所に居るんだ?」
◆
ラズルは魔王専用の生簀フロアに居た。
決して仕事をサボっている訳ではなく、新たに使い魔となったリリルの仕事ぶりを見る為だ。
「パパー! サーヤおっきくなったよー!」
それと言うのも、リリルが自分の育てたサーヤを見て欲しいと言ってきたからだ。
「どれどれ?」
リリルに腕をつかまれ、ラズルは本当の父親になった気分で生簀を除く。
そこには、全長1mに成長したサーヤの姿があった。
「……デカい、な」
通常サーヤは、15cm程の魚である。成長しても精々20cmといったところだ。
だが、目の前のサーヤは明らかにラズルの知るサーヤの大きさを超越していた。
(稚魚の仕入れを間違えたか?)
一瞬、仕入れを間違えたのかと思ったが、そもそも注文したのはライナである。
運営能力カンストの彼女がそんなミスをする筈はないとラズルは考えなおした。
(だとすれば考えられるのはリリルの能力か)
リリルは育成と家事の能力をカンストさせた使い魔だ。
料理洗濯掃除肩もみとあらゆる家事に通じ、彼女にかかればコーヒーを被った白シャツでも漂白剤をかけたかのような白さを取り戻す。
しかし育成能力についてはラズルにとっても未知の領域だ。
それゆえ、サーヤの異常成長はリリルの育成能力が原因であろうと目星をつけた。
「どーお? すごいでしょー!」
リリルがエッヘンと胸を張りながら期待に満ちた目を向けてくる。
リリルは頑張った自分を褒めて欲しいのだ。
「リリルは凄いなー。サーヤをこんなに大きく育てちゃうなんて」
聞きたい事に言いたい事は沢山あったが、とりあえず褒める事にしたラズルであった。
リリルの頭を優しく撫でて頑張りを労ってやるラズル。
「えへへ~」
にへっと笑みを浮かべるリリルにほっこりとした感情を抱きつつも、魔王としてビシッと決めるべくラズルは問題点を指摘する。
「リリル、サーヤは大きく育ったけど、味はどうなんだい? 大きいだけじゃダメだぞ」
頭ごなしに叱ってはいけない。
ちゃんと理由を自分で理解させるのだ。
「じゃあ一匹調理するね! 食べてパパ!」
「え?」
言うが早いかリリルは生簀の巨大サーヤに向かって駆け出した。
「ちょ、危なっ!?」
さすがにラズルも慌てた。
幾らリリルが育てたとはいえ、相手は魚型モンスターだ。
小さなリリルに何かあっては大変である。
「てやー!」
しかし、リリルは予想外にも生簀の巨大サーヤをあっさりと捕獲して、テーブルの上におかれた大型まな板に載せた。
しかし巨大サーヤはエラ呼吸をする魚型モンスター。地上では呼吸が出来ない。 その為巨大サーヤは酸素を求めて跳ね回る。
流石に今度こそ危ないとラズルは慌てて駆け寄ろうとした。
「暴れないの!」
しかし、リリルが巨大サーヤを押さえながらその身に長い包丁を差し込むと、途端に巨大サーヤの動きが止まった。
「え? 何?」
「調理がし易い様に麻痺させたの。もうちょっと待っててね」
「マジ?」
リリルは何でも無い事の様に調理を再開する。
腹を裂きわたを抜く。
三枚におろして骨と身を分ける。
頭と尻尾を切り取った後、骨を三分割して大なべに入れる火をつける。
身をカットして食べ易いサイズに切り分けていく。
「今回はサーヤの試食だから、他の食材は使わないからね」
リリルはサーヤの皮を、先ほどカットした身よりも大きめに切って炭火で焼き始める。
次に十分に出汁の染み出た鍋にカットしたサーヤの身をそっと入れていく。
再び炭火に戻ると、焼いていたサーヤの皮を皿に乗せてラズルの前に差し出した。
「巨大サーヤの皮焼きだよ。まずはコレを食べて待っててね」
「ん、ああ。頂くよ」
ラズルは差し出された皮焼きを手に取って口に運ぶ。
「む」
パリリと煎餅を砕く様な感触と共に巨大サーヤの皮が噛み砕かれた。
(やや歯ごたえがあって良いな。ソレに皮の内側に薄くサーヤの肉が残っている。ソレから染み出る肉汁が皮に良い感じの味をつけている。この皮だけで一品の料理として提供できるな)
ラズルが巨大サーヤの皮焼きを楽しんでいると、リリルがおわんに入ったサーヤの吸い物を運んできた。
「お次はサーヤの吸い物だよ! 骨からタップリ出汁が出てるからとっても美味しいよ!」
「では」
ラズルは期待と共に吸い物を口に含む。
「むむ!」
(魚の骨から取っただけの出汁だというのに、何て濃厚なんだ! それにサーヤの肉。元は同じ物だからか、汁と肉がケンカする事無くお互いの味を増幅しあっている。肉を噛めばそこからスープの様に濃厚な出汁が染み出してくる。茹で過ぎず汁の熱だけで中まで火を通してあるから肉はプリップリだ。とても汁物の肉とは思えない噛み応え!)
「ふぅ」
夢中になって吸い物を飲み干したラズルは、思わずため息を吐く。
(サーヤだけの吸い物でコレとは。他の食材とあわせたらどうなるんだ!?)
「お次はサーヤの網焼きでーす」
リリルが次に持って来たのはシンプルな網焼きだった。
「召し上がれ」
リリルに促されるままにサーヤの網焼きを口にするラズル。
「ほふっ」
サーヤの網焼きは熱かった。
表面はしっかりと焼けていて水分薄めのホクホク、そして中は表面のしっかりと焼けた肉に閉じ込められていた旨みが、囚人の様に閉じ込められていた。
(ああ、口の中で、ハリパリに焼けた表面の肉という檻から脱走した旨み達が暴動を起こしている。だが逃すものか。お前達の行く先は俺の胃袋刑務所だけだ!)
余りの多幸感の所為で思考がおかしな方向に転がってゆくラズル。
決して日本の漫画を読んだ所為ではない。
「はふぅ」
暴れまわる旨み達を胃袋送りにした事で、ラズルは漸く人心地付いた。
「いやー美味かった。最高だったよ」
「えへへ」
ラズルに褒められてリリルは嬉しそうに笑う。
その笑顔に全て流してしまいそうになったラズルであったが、すんでのところで魔王としての己を、経営者としての己を思い出す。
「リリル、確かにこの巨大サーヤは美味しかった。かなり美味しかった。凄く美味しかった。けれどね、この大きさだと量がありすぎてサーヤを獲った人間がすぐに帰ってしまうかもしれない。このダンジョンは人間にいっぱいガチャを回してもらって、欲望エネルギーを沢山垂れ流して貰うのが仕事なんだ。だから小さなサーヤも育てて欲しいんだよ」
そこまで言ってラズルは安堵した。
リリルのサーヤはあまりの美味さにこのままでも良いと、沢山食べれる方が良いからこのままでも良いかと言ってしまいそうだったのだ。
だが自分でも言ったとおり、ダンジョンの本来の目的は欲望エネルギーを集めて魔貨を貯める事。
だからこそ、需要と供給のバランスを崩す事は避けなければいけなかった。
「じゃあ、サーヤは手加減して育てた方が良い?」
しょんぼりしたリリルの姿を見て、激しい罪悪感に見舞われるラズル。
「あ、あー、いや。デカイのだけじゃなくて、小さいサーヤも育てて欲しいってだけだからさ」
「じゃあ全力で育てても良いの!?」
「……小さいのも育ててくれるならな」
「分かった! 頑張って本気で育てるのと手を抜いて育てるのを分けるね!!」
リリルに笑顔が戻る。
(何とか機嫌が戻ったか。巨大サーヤは新モンスターとして扱って通常のサーヤとは別枠扱いにしておくか。実際リリルが育てないと存在できない連中だしなぁ)
「ねぇパパ。サーヤの煮凝りとサーヤのお寿司は食べる?」
「食べる」
魔王の胃袋は、今正に褐色の幼女主婦に掌握されようとしていた。
◆
男達は傷付いた身体を引きずって階段を上っていた。
彼等はサーヤを手に入れる為にシーダンジョンへと潜った。
だがダンジョンで現れたのは、事前情報とは違った巨大なサーヤだったのだ。
彼等は果敢に巨大サーヤに立ち向かった。
しかしリリルが丹精込めて育てたサーヤはただのサーヤではなかった。
育成能力をカンストさせたリリルのサーヤは通常のサーヤの5倍の体躯をしている。
つまり、能力も軽く見積もって5倍であった。
もはやスーパーウルトラレア装備で身を固めた探索者でなければまともに戦えない巨大サーヤにとって、水の中もまともに動けない新人探索者など無様にのた打ち回るまな板の鯉でしかなかった。
そして彼等は、あっさりと巨大サーヤによってシーダンジョンから叩き出された。
まるで貴様等ごときの力で我等の領域に足を踏み入れるのは100年早いといわんばかりに。
彼等は魚に情けをかけられたのだ。
「参ったぜ。まさか噂のサーヤがあんなバケモノだったとはな」
「ああ、唯一手に入れたのが、このちっぽけな稚魚とは情けない」
男達は、バケツに入った一匹のサーヤを大事そうに抱えていた。
バケツの中を泳ぐサーヤのサイズは20cm程度。
リリルの巨大サーヤが投入される前から居たサーヤだ。
シーダンジョンを泳ぐ巨大サーヤに比べれば小さいそれを、彼等は稚魚であると判断した。
本来稚魚は逃すものだが海の男がボウズではあまりに情けない。
故に、彼等は恥を忍んで稚魚のサーヤを持ち帰る事にした。
己への自戒の意味を込めて。
決して食べたかったからではない。
「ふ、こんなザマじゃ魚マサの坊主を笑えねぇぜ」
自虐的な笑みを浮かべる赤いシャツの男。
「まぁ、稚魚でもこのサイズなら晩酌の肴にはなるだろ。今夜は、コイツでヤケ酒決定だな」
黒いシャツの男がため息はきながら苦笑する。
「けっ、次こそは本物のサーヤをとっ捕まえてやるぜ!」
魚市場の男達は、決意も新たに帰路に付くのだった。
なお、後日普通サイズのサーヤも普通に出現する様になる事を、彼等はまだ知らなかった。
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