彼女の映る世界

桜之 玲

第1話

─散々世界を湿らせてきた黒い雲が開き、その隙間から地上に向かって光が差し込む。

ずっと雨が降っていたからだろう、学校帰りの道は閑散としていた。

どことなく湧いてきた既視感に足を止め、三尋木友也みひろぎともやは傘を閉じ空見上ていた。

この空は、どこまであるのだろうか。

ふと、そんな事を思う。

自分でも何を言ってるんだ。なんて笑ってしまうけれど、どうしても頭の隅から消えないのだ。

けれど肉眼で認識できない僕の疑問は、僕の心を締め付けるように苦しめる。

そうして僕は、この目で捉えている、この限りなく広い景色に意味も無く手を伸ばしてみるのだった。

何かがあるわけでもない。

見えるわけでもない。

当然のごとく僕の手は空のままだ。

諦めなのか、自嘲なのか自分でもわからない苦笑を漏らすと、僕はまた、ゆっくりと歩き始めていく。





僕は彼女に出会った日を鮮明に覚えている。

だんだんとグラデーションを描く様に空が紺色に染まっていく、そんな秋祭りの夕暮れだった。

その秋祭りはここらでは結構有名で、多くの人が参加するお祭りだ。

毎年、近所の神社や、そのまた近くにある大きな川の河川敷に出店が沢山揃っていて、華やかで煌びやかな5日間となる。

かくいう僕も無論、お祭り事は好きなので夕食のついでに妹と一緒に回っていた。


神社の敷地内、賑わっている屋台をひとしきり見回った後に2人でヨーヨーすくいをし、一番綺麗で美味しそうだった屋台のりんご飴を食べていた時だった。

「ねぇねぇ、おにぃ。さっき友達見つけたからちょっとだけ回ってきていい?」

後ろを歩いていた妹、令奈が袖を引っ張り僕を見上げる。

そういえば来る途中に挨拶をしていた女の子がいたな、と思い出す。

令奈からお祭りに行きたいと言われて来たのだけれど、友達がいたのなら仕方がない。僕は了承の意を伝えるべく令奈に向き直る。

「うん、じゃあ適当に回ってるから。遅くなるなよ」

「わかった、おにぃの分もチョコバナナ買っておくからまた後でね!」

そういうと、三尋木令奈みひろぎれいなは神社の敷地内で見かけたらしい友達に駆け寄る。

その「おにぃ」という呼び方は令奈には何度も中学生らしくないと注意しているのだけど、なかなか変えようとしない。

とりあえず令奈と別れた僕は、歩き疲れた足を休めるべく座れる場所を探して歩いた。

境内の中をふらふらと歩いていると、人のいない向拝所が目に入る。

「あそこなら静かだし丁度いいか」

辺りの騒がしい雰囲気とはまるで別空間にあるような向拝所まで僕は歩いて行き、賽銭箱の前の階段に行き着いた。

「ふぅ…」

倒れ込むように座ると人混みで疲れた足への負担が無くなり、体が軽くなったような気分に浸る。

令奈は後で僕と合流するつもりのようだし、それまで僕は何をしていようか。そんなことを考えていた時。

「…賑やかですね」

ふいに、少し口調に笑みを含んだ声をかけられる。

声をかけられ横を見やると、桃色の生地に桜の花びらを散りばめたような浴衣に袖を通し、黒く艶めいた髪を背中あたりまで流した少女がそこに座っていた。

全く気づかなかった。普段こんなにすぐ近くに人がいたのなら気づくのに。

「あぁ、そうですね。たまにはこういうのも良いです」

くす、と笑いながら答えると、少女は一瞬驚いたような表情をした後、僕に釣られて微笑む。

「おひとりですか?」

「いや、妹と来ていたんだけど、友達見つけたらしくって行っちゃいました。君は?」

「私は……ひとりで来ました。」

そう告げる彼女は微笑んでいた。

「そう、ですか…。」

元から僕が人と話すことが得意ではないこともあるのか、彼女の瞳を見ているとなんだか照れくさくなってしまうようで、僕の目は勝手に賑わっている屋台に向けられる。

相変わらず屋台の前ではくじ引きの景品で貰えるような笛の音が飛び交い、楽しそうにはしゃぐ声、綿あめを作る機械のエンジン音などで溢れていた。

「あの、しばらくおひとりなら、良ければ私と一緒に回って頂けませんか?退屈しちゃって」

そう言って彼女は苦笑するような表情を浮かべ、僕の瞳を見つめる。

「え?ぼ、僕ですか?」

明らかに動揺してしまった僕をよそに、彼女は頷いた。

何を言ってるんだこの人は。

いきなり知らない人とお祭り回ろうとするなんて、僕はカモにでもされるのだろうか。知らない人にはついて行ってはいけないという昔からの教えが遂に役立つのかもしれない。

そんな考えが僕の頭をぐるぐると回り始める。けれど僕を見つめる彼女の瞳はそんな事をするようには見えなかった。

「あ…嫌だったらいいの、なんかごめんなさい」

無言で考え事をしていた僕が嫌そうに見えたのか、彼女は目を伏せてしまった。

「えーっと…。妹が戻ってくるまでの間だけど、それでも良ければ…」

どうにも彼女が悪事を目論んでいるようには見えないし、そんな様に目を伏せられると僕の良心から罪悪感が湧いてくる。気付けば僕の口は考えるより勝手に動いてしまっていた。


この時の僕は何も知らなかった。時折思い出すこの回想に、僕はあの時断るべきだったのだろうか、と自分に疑問を投げかけては否定し、また再度自分に問いかけ続ける。







「あ、こっちに綿菓子売ってる」

そう言って僕の袖を引っ張る彼女は、とても楽しそうに屋台を回っていた。

彼女は最近こっちの方に越してきたらしく、あまり友達がいないらしい。だから仕方なくひとりでお祭りに来たそうだ。

「あの、そういえば名前はなんて言うんですか?」

「私、椎名葵しいなあおいって言います」

「椎名さん…、僕は友也、三尋木友也って言います。友也って呼んでください」

「友也くん…、うん。友也くんね」

彼女、椎名さんは僕の名前を復唱すると、僕を見上げ、朝顔のような美しい笑顔で にこ、と微笑む。


「友也くん、美味しい」

さっき見つけた屋台で綿菓子を購入した椎名さんは、雪みたいに白い指で綿菓子を食べながらそう呟く。

「うん」

こんな、秋祭りを男女1人ずつ、まるでカップルみたいな事を今まで経験したことがない僕は、なんと言うことが正解なのか分からずそう答えることしか出来ない。

別に友達がいないとか、女子に告白されないわけではない。ただ、僕が特別一緒にいたいと思わなかったから今までそういう事を経験してこなかった。

「あ、友也くんにも分けてあげる。はい」

機嫌が良さそうに軽いステップを踏んだ彼女に貰った綿菓子は、久しぶりに食べたからなのか体中に染み渡るくらいとても甘くて、温かかった。

「友也くんは、お友達と回らなくて平気?」

「回ろうかなって考えたんだけど、妹が一緒に行こうって言うから止めた。まぁ、その妹はさっき友達見つけて行っちゃったわけだけど」

全くひどい話だ。一緒に行こうと提案した本人から別行動を取るとは。まぁいいけど。

「ううん、違くて。私と回っていて平気なのって意味だよ」

「え?ああ、大丈夫だよ。むしろ椎名さんの方が僕なんかと回っていて平気なのかなってくらい」

「ふふ、私も大丈夫だよ。というか、一緒に回れる人がいて良かった」

そう告げた椎名さんは一瞬どこか寂しげな表情をした後、先程からしているにこやかな表情に戻る。

不思議な人だ。こんなに可愛いのなら友達だってすぐ作れるだろう。それとも、僕と同じような人なのだろうか。

「1人で回るのも良いけど、やっぱりお祭りは誰かと回らなきゃね」

くす、と微笑む椎名さんと僕は、まだ始まったばかりであるお祭りの川沿いを歩いてゆく─。

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