反魂(はんごん)
「嘘!嘘よ!これがリョウゴだなんて。絶対嘘!」
現地の遺体安置所で、姉の悲痛な叫び声が響いた。
不幸な飛行機事故だった。ほんの一ヶ月ばかり前は、長身で精悍な青年だった肉体は、本人の持ち物である腕時計と手首から先だけになっていたのだ。
他の肉体は、空中でバラバラになり、他の何百もの肉体と一緒になって、異国の砂漠に降り注いだのだ。
身元が特定できる物が綺麗に残っていただけでも、奇跡だった。
その時計は、エンジントラブルによる爆発が起きた時のその瞬間で時を止めていた。
DNA鑑定の結果、間違いなく、その手首はリョウゴの体の一部であることは明確であったが姉は信じなかった。
「DNA鑑定だって、100%じゃあないでしょ?ね?ね?そうでしょ?」
答えは一つであり、誰もそれに答えることはできなかった。
「・・・お姉ちゃん。」
私は姉の肩を抱いて支えることしかできなかった。
両親はすでに他界しており、姉妹二人で寄り添って生きてきた。
その姉に、結婚話が持ち上がっていた矢先のことだった。
恋人にプロポーズされたと、嬉しそうに語った姉。
姉の婚約に、寂しいと思う半面、何十倍も嬉しかったのだ。
私のために、進学を諦め、自分の幸せを犠牲にしてきた姉に、やっと幸福が訪れたというのに。
神様なんて存在しない。
「大丈夫よ。きっとリョウゴは、ただいまって帰ってくるから。」
姉はうわ言のように、繰り返し続けた。
「お姉ちゃん、リョウゴさんの体の一部が見つかっただけでも奇跡だよ。きっとお姉ちゃんにのところに帰ってきたくて・・・。」
そこまで言って、私は凄い形相の姉に頬を思いっきり張り飛ばされた。
「死んでない!これはリョウゴではない!こんな腕時計なんて、誰でも持ってる!これはリョウゴのではない!」
そう叫ぶと、泣き崩れてしまった。
日本に帰って、遺体もなく、葬儀が執り行われた。
姉は葬儀の間中抜け殻のようになっていた。現地ですべての涙を使い果たして、視線はあらぬ方向を彷徨っていた。私がしっかりしなければ。これからは、私が姉を守る。
二人っきりの姉妹だもの。
葬儀が終わって初七日までずっと、姉は仏壇の前で過ごした。
「お姉ちゃん、何か食べて。お願い。お姉ちゃんまでいなくなっちゃったら、私・・・。」
そう言って私は涙ぐんだ。今までずっと仏壇を呆けたように見つめていた姉が、初めて私の方を向いた。
「ユイ、ごめんね。現地でぶったりして。お姉ちゃん、気が動転してた。」
「そんなのいいよ!仕方ないもの。愛する人を失ったんだから、気が動転して当たり前だよ。
それより、ちゃんとご飯食べないと、体に障るよ?ね?おかゆだけでもいいから、食べて。」
私は、いきなり食べても大丈夫なように、柔らかく炊いたおかゆを差し出した。
「ありがとう。」
そう言うと、姉は、ようやく食べ物に口をつけたのだった。
それから徐々に姉は、恋人の死を受け入れているように思えた。
両親の死も、事故死であった。
ようやく、私達姉妹の子育ても終わり、二人きりで夫婦水入らずの旅行先でのバスの転落事故。
姉は進学する予定だった大学を諦め、私のために就職を選ぶことを余儀なくされた。
高校生だった私は、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
姉が働いて、私を養ってくれたおかげで、私は無事高校を卒業し、そして姉は職場で知り合った同僚の青年と、この秋に結婚する予定だった。一ヶ月前に海外に出張が決まり、あの事故の翌日、日本に帰る予定だったのだ。
どうして、私達、家族は、幸せになろうとする時に、不幸に陥れられるのだろう。
姉は健気にも、あれから私を気遣ってか、少しずつ無理にでも、食べ物を口にするようになり、少しずつ会話ができるようになったが、常に心、ここにあらずという状態で、私は目が離せなかった。
姉が自殺するのではないかと、気が気ではなかった。
姉の恋人も、両親がおらず、天涯孤独だったので、我が家の仏壇には、両親と姉の恋人、三人の遺影が飾られた。四十九日も過ぎ、彼が亡くなってはじめてのお盆の日、近くの川で灯篭流しが行われる。
私と姉は、そろいの浴衣を着込んで一緒に出掛けた。川沿いには屋台が所狭しと立ち並んでいた。
私と姉は、リョウゴさんの名前を刻んだ灯篭を川に流した。
「小さい頃、よくお父さんとお母さんと一緒に、この灯篭流しに来たよね。」
姉が灯篭を遠くに見送りながら、私に呟いた。
「うん。灯篭流しの意味も知らずに、屋台で何か買ってもらうことにワクワクした記憶しかない。」
私がそう言うと、ユイは食いしん坊だものねと笑った。
「まさか、お父さんとお母さん、リョウゴの灯篭まで見送ることになるなんて、思っても見なかったわ。」
姉はそう言うと寂しそうに目を伏せた。
「お姉ちゃん。」
私は、そう言うと、寄り添い、そっと姉の手を握った。
灯篭を見送って、私と姉は、久しぶりに川沿いに夜市を散策した。
あの頃とは、随分と様変わりして、カフェで出すようなオシャレな食べ物の屋台まである。
何気なく、ふと前を見ると、誰よりも長身で、一つ頭の出た、真っ黒な浴衣を着た見覚えのある青年がこちらに歩いてくる。
矢田クロード。名前を聞かなければ、ハーフとは思えない漆黒の髪、長く切れ上がった漆黒の瞳を持つ目、薄く切れ上がった薄紅の唇。肌は青磁器のような美しい白。すべてが作り物のような、この青年は、高校の後輩でかなり目立っていた。
目が離せない容姿だが、私はこの男が好きになれない。すべての物を飲み込んでしまいそうなほど、深い闇のような瞳。何を考えているかわからないものほど、不気味なものはない。
「ユイ先輩?」
気付かれていた。無理もない。私の後に生徒会長になったのは、他でもない、この矢田である。
「お久しぶり。矢田くんは、一人?」
仕方なく、私は作り笑いをする。
「妹が一緒だったんですけどね。はぐれてしまいました・・・。そちらは?」
矢田が姉に気付き私に訊ねた。
「姉よ。」
私が紹介すると、姉が微笑んで挨拶をした。
「姉の麻衣です。よろしくね。ユイの後輩の子?」
「うん、矢田くん。私の後に生徒会長になったんだよ。」
「そう。妹さん、見つかるといいわね。」
そう挨拶をして去ろうとしたときに、矢田が私にそっと耳打ちしてきた。
「お姉さんの手、離さない方がいいよ。さもないと・・・。」
その後の言葉が、雑踏に紛れて聞こえなかった。
さもないと?私はその意味を聞きたくて、彼のほうを見た時には、あっという間にどこかへ消えてしまった。
あんなに目立つ容姿なのに、見回してももうすでに見つからなかった。
この人混みだからどこかへ紛れてしまったのだろう。
私がぼうっとしていると、今度は姉の姿が見えなくなっていた。
あれ?どこに行ったんだろう。
**********************
「お嬢さん、もしかして、この店が視えるのかい?」
麻衣は気がつくと、その店の前に立っていた。
「ミエル?」
意味がわからない。
麻衣がワケもわからずに、キョトンと佇んでいると、その妖艶な美しさをたたえた女店主がいやらしくニヤリと笑った。
「お嬢さんは、もしかしてこの闇市にいざなわれてしまったのかい?探し物があるんだろう?」
探し物?麻衣は、目の前がユラユラと揺れたような感覚を覚えた。
「お嬢さんの探し物はきっとここにあるのさ。例えば、ほら。」
店主は卵を差し出してきた。
「この卵はね、夜の卵さ。願い事が叶うたまごだよ。」
麻衣は願わくば、リョウゴを返して欲しいと思った。
「反魂(はんごん)の卵だよ。思い人が蘇る卵さ。」
全てを見透かしたように、店主は小狡い目で覗き込んできた。
「本当ですか?」
麻衣はほぼ無意識にくちが動いてしまった。そんなこと、できるはずがないと思いつつも。
「本当さ。その卵に思い人の名前を書いて仏壇に供えて、反魂の呪文を唱える。そうすれば、死人が生き返る。」
「ハンゴンの呪文?」
麻衣がそう問い返すと、その店主の口は三日月のように大きく開いて笑った。
「お題はいらないよ。ただし、タダではないけどね?」
**********************
私は姉の名を呼び、必死に探した。今の姉の心理からまだまだ、自殺するのではないかという不安は消えたわけではない。30分ほど探して、ようやく姉を見つけた時には心底、ほっとした。
「もお、お姉ちゃん、どこ行ってたの?」
「うん、ちょっとね。」
そう呟く姉の手には、小さな白い卵が握られていた。
「どうしたの、その卵。」
そう問いかけると、姉は
「ああ、これ。夜店の人にサービスでもらったの。」
と言って、大切そうに、巾着にしまった。
卵のサービス?たった一個?
怪訝に思いながらも、私と姉は家路についた。
麻衣は、その夜、優衣が寝付くのを待っていた。
優衣が寝付いたのを確認して、そっとポケットに卵を忍ばせて、音を立てないように家を出た。
暗闇の中、麻衣は、裏庭の片隅をスコップでざくざくと掘る。
ある程度、卵が埋まるほどの深さまで掘ると、愛しい人の名前を書いた卵を産めた。
そして、店主に言われた通りの呪文を唱えた。
たまごを埋めた日から、21日目の夜に、その人が蘇るというのだ。
麻衣もそんな与太話を信じるような年ではないが、せめて幽霊でもいいから、リョウゴに会いたいと思った。
そして、ついに、卵を埋めた日から21日が経った。
夢枕でもいいから、立って欲しい。麻衣は静かに眠りに入る。
真夜中、何かの気配を感じて目が覚めた。
「麻衣」
忘れるはずもない。愛しいリョウゴの声がした。
「リョウゴ!」
声は、玄関の方からした。確かに玄関のドアの硝子の部分に、人影が見えた。
「待って、今開けるから。」
麻衣は、急いでドアを開けようとした。
「開けちゃだめ!」
その叫び声に振り返ると、そこには優衣が立っていた。
「お姉ちゃん、そいつはリョウゴさんじゃないよ!」
優衣がそう叫ぶと、一瞬静寂が流れ、玄関で「チッ」という舌打ちが聞こえた。
「まい~、開けてくれよ~、まい~。お前に会いたいんだよぉ~、まい~。」
リョウゴの声で懇願する。麻衣は、戸惑った。
「リョウゴ、私も、会いたかった!」
麻衣ははやる気持ちを抑えきれず、玄関へ走り、ドアを開けてしまった。
「ダメ!お姉ちゃん!」
ドアの隙間から、真っ黒な手が伸びて、麻衣の手首を掴んだ。
「きゃっ!」
麻衣は驚いて、手を引っ込めた。すると、その手首には、泥が付着していた。
真っ黒な泥にまみれた手が、その掴み損ねた手首の空間をさまよった。
優衣が、走りより、慌ててドアをバタンと閉めた。
「いぎゃあ!」
叫び声とともに、玄関に泥だらけの手が手首から千切れて落ちた。
「な、なんてことを!」
麻衣がなお、玄関を開けようとするのを優衣が制した。
「お姉ちゃん、よく見て!」
優衣が指差す方向を見ると、その手首だと思ったものは、泥へと化した。
それを見て、初めて麻衣は、玄関の外に居るものがリョウゴではないと悟った。
「まい~、痛いよぉ。いたい~、いたいよぉ~。」
なおもそれは、リョウゴの声を使って麻衣を呼び続ける。
麻衣はおぞましさに、耳を塞いだ。
「喼急如律令、喼急如律令、喼急如律令!」
優衣はヒトガタのお札を玄関に貼ると、そう唱えた。
すると、先ほどまで麻衣を呼んでいたリョウゴの声ではなくなり、獣の咆哮のような唸り声がしばらく続いた。
その唸り声はだんだんと、小さくなり遠のいて行った。
二人はお互い抱き合い、座り込んで震えて朝を待った。
窓から朝日が差し込んできて、麻衣と優衣は、廊下で目を覚ました。
あまりの恐ろしさに気絶していたようだ。
玄関には、あの泥の上に、黒く煤けたヒトガタの御札が落ちていた。
恐らく、身代わりになってくれたのだろう。
優衣は、あの灯篭流しの後に矢田に呼び出されていた。
そして、彼はこう言ったのだ。
「君のお姉さんは、どうやら闇市で取引をしてしまったようだ。」
「闇市?」
「ああ、あの灯篭流しの夜、優衣先輩のお姉さんは穢れの匂いがしたんだ。だから、あちらの世界に引き込まれないように、注意を促したんだけど、ちょっとした隙に引き込まれてしまったようだね。」
「どういうこと?」
「お姉さんは、夜の卵を手にしたんだ。あれは、願いをかなえるが、対価が大きい。」
「まったくわからないわ。」
「お姉さんは、恋人を蘇らせようとしている。」
優衣はぞっとした。
一度も姉の恋人の死のことなど、矢田に話したことはないのに、全てを見透かしたように言い当てられた。
「僕も、別に人間が、あちらの世界に誘われようと、かまわないんだけど。あの世とこの世のバランスは大切だからね。でも、仮にもお世話になった優衣先輩のお姉さんだから、黙って見過ごすわけにもいかないからね。」
そう言うと、矢田は意味深に笑った。
「この式神が、いざという時に護ってくれる。」
そう言うと、優衣にヒトガタのお札を渡してきたのだ。そして、いざというときに唱えるようにと呪文を教え、盛り塩をさせ、結界を張ってくれたのだ。
優衣は矢田を不気味な存在として、遠ざけていたが、彼によって助けられた。
優衣は後日、矢田を呼び出して礼を言おうと思ったのだが、どうやっても彼と連絡が取れない。
携帯も使われてませんと告げるばかり。
いったい彼は何者なのだろう。
カアカアというカラスの鳴き声に思わず優衣は振り向いた。
大きなイチョウの木には、三本足の異形のカラスが一羽とまっており、その目は吸い込まれるような漆黒の闇が果てしなく続いている気がした。
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