夜の卵

よもつひらさか

其の壱 【アタタメル】

ー私には、人に言えない秘密がある。-


 あの日の、私はワクワクしていた。

夏休み、私達家族はそろって父方の実家に帰省していた。

あれほど、日に焦がされて蒸し暑かった昼は嘘のように、涼しい風とともに夜を運んで来た。

お気に入りの浴衣を着せてもらい、私は両親に手を引かれ、帰省で一番楽しみにしていた、夏祭りに出かけたのだ。夜に公然と賑やかな店を覗いて歩き、普段口にしないものを屋台で買って貰えるこの日は、いつも夏の特別なイベントであり、田舎での唯一の楽しみであった。

「好きなものを買いなさい。」

そう言って、祖父母から手渡されたお小遣いもしっかりと巾着に仕舞い、落とさぬようにしっかりと手首に巻きつけた。この日だけは、特別に何を買っても、両親に咎められることは無い。

わたあめ、たこ焼き、毒々しい色のシロップが掛かったカキ氷も。

食べ物は幼い私にとっては限界があり、残ったお金で何をしようと考えていた時であった。


 私が金魚すくいに失敗して、どうしても赤い出目金をとってほしいと父にわがままを言って、父が金魚すくいに興じていた時であった。金魚すくいの屋台の隣に、小さな店が出ていた。

その店は、他所の店よりも随分と照明が薄暗くて、店に座っている店主が、男なのか女なのか、若いのか年老いているのかもわからない、ぼんやりとした店先に、卵だけが白く輝いていた。


「おや、お嬢ちゃんは、このお店が見えるのかい?」

その店主は不思議なことを私に言ってきた。

私がキョトンとしていると、

「どうやら、お嬢ちゃんは特別な目を持っていると見受けた。第四の色を見ることができるんだね。」

その口元だけは笑っているということだけが、うっすらと見えた。

私がじっと卵を見つめていると、その店主は男か女か若いか年老いてるかわからないような声で、語りかけてきた。

「これは、夜の卵だよ。」

「夜の卵?」

「そう、夜の卵さ。これをお嬢ちゃんがどう使うかは、お嬢ちゃん次第さ。さあ、持ってお行き。御代はいらないよ。今夜は久しぶりに、第四の色を見る瞳に出会えた。愉快だねえ。」

そう言いながら店主は、真っ白な小さな卵を渡してきた。

卵はひんやりと手のひらに気持ちよかった。

「あのね、ユカは弟がほしいの。この卵から、弟が生まれるかなあ?」

私は、無邪気だった。

「ああ。お嬢ちゃんが望めばね。願いは叶うさ。ただし、それは夜の卵だからね。御代はいらないけど、タダではないんだよ?」

その頃の私は幼く、意味がわからなかった。

私は、そっとその卵をきんちゃくに忍ばせた。

赤い出目金をとった父が満面の笑みで、どうだお父さん、凄いだろうと金魚の入った袋を目の前に差し出してきたところで、私は我に返った。

「すごーい、おとうさん、ありがとう。」


 その日の夜、バレないように、巾着から卵を取り出して、割れないように包み込み、手のひらで必死にあたためた。両親に、内緒にしたのは、知らない人から、物をもらってはいけないと、常日頃からさんざん言われていたので、叱られると思ったからだ。

 弟、弟、絶対に弟がいい。妹はダメ。アリサちゃんが妹は意地悪だって言ってたもの。アリサちゃんちの、一番したの弟のレン君みたいなかわいい赤ちゃんがほしい。お母さんにお願いしても、困った顔をするばかりで、ちっとも弟を産んでくれないんだもの。私は、その夜、いつの間にか眠っていた。


 朝になると、手の中から卵が消えていた。私は、慌てて布団の中を探した。つぶれてしまったのかと、布団をまさぐるが、一向に卵の殻すらも見つからなかった。あれは、夢だったのだろうか?いや、確かに、あの夜の卵の冷たい感覚はあったのだ。がっかりした。私の願いが叶うことはない。


 夏休みも終わり、新学期を迎えてしばらくしたころ、母が学校から帰った私をニコニコしながら頭を撫でた。

「ユカ、お母さん、赤ちゃんできちゃったの。」

「えーっ!本当?やったあ!弟だあ!」

私が飛び跳ねて喜んでいると、母は、まだわからないでしょう、と笑った。

その次の年に、弟が生まれた。

母の命と引き換えに。

出産のさい、出血が激しく、命を落としてしまったのだ。


 私の願いは叶ったが、こんな形で叶っても嬉しくなかった。大好きなお母さんが死んだ。私はその日から抜け殻のようになった。私が、弟がほしいと言ったばかりに、母が無理をして死なせてしまったと思ったのだ。そんなことはあるはずはないのに、そんな後悔ばかりが押し寄せる。弟を恨んでもみたが、弟は天使のようにかわいかった。弟の名前は、お母さんの名前の麻子から一文字とって「麻人」と名付けられた。


 麻人は天使のような顔とは真逆に、悪魔のような子供だった。祖父母に甘やかされて育ったせいか、同世代の子供に暴力を振るうのは日常で、虫を平気で踏み潰したり、生き物を傷つけたりした。父も祖父母も、そんな麻人に戸惑い、なんとか躾を厳しくしたり、カウンセリングを受けさせたりしたが、一向にその性格は直らず、凶暴化の一途をたどっていった。


 そして、ついに、私にとって許せない事件が発生した。私の大切にしていた、インコのピーちゃんの首をカッターで切って、私のオルゴールの上で回して遊んでいたのだ。お母さんの形見のオルゴール。バレーリーナーのお人形が蓋をあけると、くるくる回る、そのオルゴールの上で、インコのピーちゃんの首がぐるぐる回るのを笑いながら見ていた麻人。私は目の前が真っ赤になった。麻人に馬乗りになって、首を思いっきり絞めた。高校生の私と小学生の麻人。力の差は歴然だ。私の手の中で、グキリという麻人の首の骨が軋む音がして、麻人が人形のようにだらりと私を掴んだ手を緩めた。

 

 私は麻人を、修学旅行の時に使ったキャスター付きの旅行バッグに詰めた。祖父母はその日留守だったので、そのバッグを引きずりながら、近所の森へ急いだ。草につきまとわれながら、どんどん自分の背丈より高い雑草の中を傷だらけになりながら進んだ。虫にたかられながら、私はバッグを開けると、麻人をひきずって、一番雑草の多い茂った場所に捨てた。旅行バッグは、山の中で粉々に叩き割って、バラバラにして埋めた。


 麻人が行方不明になって、父と祖父母は必死に探したが、見つかるはずがない。その日の夜に警察に捜索願が出され、一週間後に犬の散歩に来ていた人によって、麻人が発見された。犯人は見つからずに、数年が経った。私は、ちっとも悲しくなかったし、怖くもなかった。晴れ晴れとした気持ちを隠すのには苦労した。


 麻人が死んで、十年が経った今、私は会社の同僚と結婚して、今、妊娠している。私はお母さんになるんだな。もしも、私の子供が麻人のようになったら。一抹の不安はあった。ああいうのって遺伝するのだろうか。麻人は、正常な脳の子供ではなかったのかもしれない。麻人は私を恨んでいるだろうか。私があれほどに望んで、産まれてきた弟は悪魔だった。


「どうやら男の子みたいですね。」

妊婦検診でエコーをとられながら、そう医師に告げられた時には、嬉しい反面、不安がよぎった。

死に際の、麻人の充血した目が今更になって思い出されて、ぎゅっと脳裏から追い出す。


そして、ついに、陣痛が始まった。

「がんばれ、もう少しだぞ、ユカ!」

そう夫に励まされながら、必死にいきむと、ついにその子は生まれた。

薄っすらと目を開けると、唖然とした主人と、医師、助産婦の姿が目に映った。

医師が手にした物は。

真っ白な大きな卵。

どうして?


一瞬時が止まったような気がした。

そして、医師の手からするりとその大きな卵はすべり落ちて割れ、床には真っ黒な夜が広がった。

黒い夜は渦を巻き、私を包み込んだ。


目を覚ますと、病室の白い天井が見えた。

心配そうに、覗き込む夫の顔。

「あなた!私の赤ちゃんは?」

すると、夫は涙を流した。

「ダメ、だった。・・・死産だったんだ。」


あれは夢か、幻か。

確かに、あれは、夜の卵だった。

「そう。」

死産だと聞いて、ほっとした自分が居た。


また夏が来た。

あの年の夏から、怖くて、二度と行くことのなかったあの祭りに私は、誘われるように一人出かけたのだ。


そして、今、私はあの露店の前にいる。

あの夏の日のように、相変わらず、時が止まったかのように、それはそこに佇んでいた。

目の前に、男とも女とも若いとも老いているともわからない店主が微笑んでいる。

店には、あの日のように、真っ白な夜の卵が所狭しと並んでいた。

「お嬢ちゃんは、第四の色が見える特別の子なんだねえ。」

そうだ、悪魔は私だ。

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