黎明編下〜ラノベカンブリア紀の大爆発

 パソコン通信、ご存知ですか?


 森田芳光監督の映画「(ハル)」を観てもらえば手っ取り早いんですが、ご説明申し上げると招待制SNSだった時代のmixiにちょっと似てる。


 でも、まず接続料がかかる。

 月、幾らくらいだったかな? 安くはないしクレジットカード決済だから、運営には調べようと思えばこっちの身元がわかるのと、子供は基本的にいない。

 あと、常時ネット接続の時代じゃありませんから、モデムってのを電話線に繋いでピーギョロギョロガーって感じの音(データ通信)でデータのやり取りをする。

 アクセスポイント(住んでる場所によっては市外局番だったりする)までの電話代もこっち負担ですから、ログをダウンロードして一度回線切断。

 オフラインで読み書きして、書いた分をアップロードしてまたその間のログをダウンロードして回線切断。

 メールの読み書きもこのタイミング。

 今のLINEの3秒ルールでしたっけ? そんなせわしなくはなかった。


 で、そこで何をするかというと、「フォーラム」というものがありました。

 mixiならコミュニティみたいなものだけれど、運営側が設置して、シスオペと呼ばれる管理責任者を任命。

 それぞれのフォーラムには20くらいの会議室ってのがまたあって、分科会みたいな感じ。

 そこでその会議室のテーマに沿って、あれこれ掲示板方式で書き込みするのです。

 どこかの会議室が巨大化すると、それが新しいフォーラムとして独立したり。

 それこそ、そこにはありとあらゆるジャンルのフォーラムがあった、と言っても過言ではありませんでした。

 そしてその中にはもちろん「SFフォーラム」もありました。


 過去ログのフロッピーディスクは行方不明だし、そもそも既に自分が入会する前の話だった気もするし、とにかくそこで…

 SF者にとっては邪道だけれどSFっぽいもの、指輪物語とか好きな人からするとなんちゃってファンタジーみたいなもの、そういった作品群をライトノベルと呼ぼう、といった話になったらしいです。

 レーベル的には、朝日ソノラマ文庫、スニーカー文庫、女子向けにはコバルト文庫くらいしかなかった頃。

 ソノラマ文庫、富野由悠季の小説版ファーストガンダムはよかったなぁ。


 先に名前を出した『デルフィニア戦記』は中公ノベルズから出ていましたが、新書サイズでは現在メフィスト系とかいってブイブイ言わせている講談社ノベルスともども基本は和製ミステリがラインナップの中心でしたし、現在もそうですね。


 個人的な話をすると(っていうかこのエッセイ自体個人的な話ですが)このパソコン通信(主に地域フォーラムと料理フォーラム)のおかげでオフ会(当時は今以上に参加のハードルは高かった:ケータイもまだあまり普及してなかったし、たいてい集まるメンツって絵に描いたようなオタクが多くて怪しくて、意外と年齢バラバラで、でもタメ口とか不思議な集団だった)にも参加し、その後何度か転勤したけど、行く先々でオフ会したり、そもそも行く前にいろいろ情報もらえたり、と今スマホとSNSでやっているようなことが、時間や課金はかかるけどできていたわけです。


 ネットの話はこんなところで。


 ところで新潮社のファンタジーノベル大賞って、ライトノベルとブンガクの境界線のきわどいところでブンガク寄りだった気がしますね。

 自分の印象としては、今もコンスタントに本を出している人はブンガク寄り、一発屋で終わった人はライトSF寄りな作風だった気がするので。


 そういえば、富士見ファンタジア文庫はあの頃もうあったのだったかな?

『猫の地球儀』って好きだったな。


 好きだった本のタイトルを挙げるとキリがないしけっこう絶版になってるけど、不思議とレーベルはKADOKAWA傘下になったものはあっても、消えたものはあまりない気がしまねすね。

 で、次の最終章でレーベルと作家の話をしようと思ってます。



 そしていよいよ結論その1、なのですが、たぶんエポックメイキングというかターニングポイントというか、そのへんは『涼宮ハルヒの驚愕』にあると自分は思っています。

 いや、ハルヒが悪いんじゃなくて、4年ぶり(でしたっけ?)のその出版によって変化が白日の下にさらされてしまった! みたいな。


 その日、私は公休日だった文庫担当のかわりに文庫の棚整理をしていました。

 そしてラノベ系文庫の近くで、男子高校生二人連れが話しているのを聞いてしまったのです。


「涼宮ハルヒって難しいよな」

「うん、わけわかんねぇ」


 ……黒猫屋の驚愕ですよ。

 た・し・か・に、未来人が来て、平行世界がどうとかなってましたけど、なんていうかライトなSFじゃありがちな設定じゃないですか?

 それが、理解できない?!

 ご常連のお客様で高校の国語の先生がおっしゃっていました「今どき、ライトノベルでもマンガでも本を読むだけマシ」と。


 彼らが小6から高1(1年生かどうかわからなかったけど)になるまでの4年間でライトノベルを取り巻く状況というか、読者層というか、出版社側の思惑というか、いろいろあって変わっていたわけです。


 もう少し具体的に言うと、涼宮ハルヒの前巻が出た頃までは、ラノベ界はカンブリア紀の大爆発みたいにライトなSFやファンタジー、ラブコメ、etc.…いろいろ試してみていたのが、レーベルが乱立して出版されるアイテムも増えて、テンプレというかお約束? ちょっとカッコつけた言い方すると話の展開のプロトコルみたいのが出来てきてしまった。

 ほら、世界各地の神話なんかにも文芸理論的に分析すると「貴種流離譚」とか典型がいくつかあるじゃないですか、そんな感じ。

 異世界とか、ハーレム系とか、妹萌えとか、ツンデレヒロインとか…そんな典型。


 結果、出版社にとってはプロトコル通りじゃない作品は売れるかどうか博打みたいな状況になっちゃったんじゃないかというのが私の考察。


 あとは、そのテンプレにどう味付けするかの違い。

 天つゆとか抹茶塩とか、…違う、それはてんぷらや! (。_゜)☆\バシッ!


 カンブリア紀の大爆発が終わって、ラノベ界の恐竜(センス・オブ・ワンダー感のあるSF)は絶滅危惧種となっていたのです。

 それはもう、早川と東京創元というガラパゴスにしか生息しなくなってしまった。

 どうして死んじゃったんだよう!…伊藤計劃と水玉螢之丞…早すぎるだろう(泣)


 その当時(『涼宮ハルヒの驚愕』の4年前)の読者、高校生だった者は大学生や社会人となり、それなりに忙しくなって(大学生が忙しいかはさておき)一定数の読者たちは乱立するレーベル、テンプレ化する作品群から離れていってしまったのでしょう。

 そしてテンプレを愛するものだけが残った。

 っていうか、テンプレ通りじゃないと読めない読者ばかりが増えた。


 ちょうどミステリ界では、京極夏彦と森博嗣がブイブイ言わせてた頃だしね。

 あと東野圭吾や西尾維新! そっちに乗り換える人も多かったんじゃないかな?


 最近のテンプレラノベの新人(失礼!)って絶対西尾維新の文体の影響受けてるよね!(←偏見)


 って、ずっと男性向けレーベルの話をしてきましたが、たぶん女性向け(ビーンズ文庫とか)はかなり初期から定形があったんじゃないかと思います。

 というのは、80年代から既に少女マンガとコバルト文庫いう形で幾通りかのフォーマットが完成されていたんじゃないかな、と思うわけです。



 長くなりましたが、次章で終わります…たぶん。

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