処女神像
『謎歌』
媾合(こうごう)の調で蠢(うごめ)ける盲目の歌
玻璃(はり)の像は混沌の指輪を匿(かく)す
そこにあるのは厳かな静寂(しじま)、そして華やかな清浄だった。
上を覆う円蓋と穹窿(きゅうりゅう)をささえもつ壁に取り囲まれ、奥まった高い処に祭壇のある此処(ここ)は、ウイア寺院の最奥にある星宮で、碧瑠璃の天井には星座を象った奇怪な怪物などが描かれている。
息苦しくさす香は焚かれていず、瑞々しい花々の清香だけが薫る。
花祭りの宵宮だった。御影のある祭壇は人々に献げられた花々で溢れかえらんばかりで、色取り取りの夥(おびただ)しいそれの中には仙女様の御|徴(しるし)とされる白い花がやはり多かった。
灯りは点されておらず、仙女像の御顔はわからない。ただ、星影のようにあえかな光が、像の下腹部から御衣を透かして洩れていた。
キィーッ、という微かな音がする。
小聖堂にある聖遺物の陰の隠し扉が開いた。
『――だれもいないみたいだ』
人気(ひとけ)はない。人ではない薄闇色の獣の影が様子を窺(うかが)う。
「いるわけないよ、複合多重結界があるから入れないし。まさか解呪できるなんて思ってないだろ」
人としてみられることのない娘が嗤(わら)った。
『尼さん達はこない?』
獣が尋ねる。
「ババァらは夜の禊(みそぎ)さ。
仙女様(こいつ)のお告げじゃ、いつかここでこの宵宮のとき、この御像に奇跡がおきるらしい。
けど、そのときここにだれもいてはいけない、それをだれもみてはいけないんだってさ」
女児はふんと鼻を鳴らした。
『いまがそのいつかなのかもしれない』
「んなわけないさ、あたい達がこれからやろうとしてんのは冒涜(ぼうとく)だよ。
こことこの御像(くそったれ)を穢して力を奪うのさ。
そしたら、あたい達はもうここに縛られなくたっていい。
あたいとあんたは好きなとこで好きにできるんだ」
女児の稚拙な思考は、己の感情のままであり、過激で短絡的だった。しかし、狡猾で慎重に準備をととのえた。どこまでもなにもかもちぐはぐで、たちの悪い矛盾を抱えた少女だった。
ふと、獣(イューイン)の眸(ひとみ)にかなしげでいたましげな色が浮かんで消えた。
「――ルシィリ・ルシス」
女児が呪文を唱えると蛍火が生まれ、処女神像と彼女達の周囲を飛び交う。
その像は虹のように淡く色の移ろう、霞のような白い薄紗(うすぎぬ)の衣裳を纏い、真摯(しんし)な祈りの姿勢で手を組み、頭(こうべ)をたれて跪(ひざまづ)く十五くらいの年若い少女だった。
肌は雪のような白で敬虔な面差しはやさしげ、清らかに澄んだ眸(ひとみ)は黎明のような灰色で、髪は曙のような色をして膝まで届く。
『この衣……本物じゃないね』
イューインが首を傾げる。
「外典にいわく――神々は『星の乙女』とすべく聖童女を天に召し、その肉身は石化して水晶の像になった。それは等身大の少女(おとめ)の裸像であり、跪いて祈りを捧げる姿勢をしていたが、女性の身に具わり得る或いは具わるべき、秘められたる部分まで悉(ことごと)く精しかった――てーんだけどね。酒場なんかで不信心者(ふこころえもの)がするまことしやかな猥談の種になってるよ」
女児の唇がいやらしく笑う。
『へー、真偽はどうなの?』
「清らかなるべき仙女様の尊き御身が真っ裸のまんまじゃ、さすがにおそれおおくてみせんの勿体(もったい)ないんで、幻衣を纏い寺院の奥で尼僧らに傅(かしづ)かれて着せ替え人形されてる。幻で織られた御衣は一年間だけ保たれて、春を祝うの花祭りの宵宮になる前にお召しかえになられ、この日と明日だけ至聖所から出されて信者達の目にふれるわけさ」
揶揄を含みながら女児が語る。
『なら、これを剥ぎ取るのかい?』
蛍火が灯らなくなると獣が尋ねた。
「共感魔術の理屈でいく。この像とあたいを同期させるから、あんたは感染させて侵蝕してよ」
女児は自分の衣をすべて脱ぎ捨てた。暗がりの中、ほっそりとした裸身が仄白(ほのじろ)く浮かび上がる。
一角獣の姿が黒い陽炎のような障気で揺らめき、その角を下げて女神の衣に触れた。
幻衣が薄れていき消えた後には、清らかに澄んだ水晶の裸像が残る。
『粘体(スライム)な生物(いきもの)の氷づけみたい綺麗だ。全部、躰(からだ)が透けてみえる。
みためじゃ見分がけつかないけど、魔視だと骨や内臓も揃ってるみたい。
子壺の処で何かが星みたいに光ってるよ。神王(ユッグ)が種付けでもしたのかな』
獣は興味深げに覗(のぞ)き込む。
「なんかの封印だよ」
女児が面白くなさそうにそっけなく応える。
『両性具有(ふたなり)かと思ったけど、普通に女の子の躰(からだ)してるんだ』
獣は膝の間(あわい)に見入ったまま、その不機嫌に気づかない様子だ。
「そんなのみなくたっていい、あたいをみてよ」
女児は祭壇の上に尻を乗せ、股を開く。
「イューイン、いつものように舐めてよ」
掠れた声を出す。指で拡げたそこは既に濡れそぼっていた。
獣が股ぐらに鼻面を埋める。ぴちゃぴちゃと湿った音がする。
「……!」
女児が躰をつっぱらせ、掛け布を咥えて声を抑えながら痙攣した。
そして、ぐったりと力が抜ける。祭壇に尿の匂いと牝の匂いがした。
夜ごと、隠れてこのような淫行を重ねながら、女児の躰(からだ)はいまだ処女のままであり、最後の行為に至っていなかった。
寺院に身を置く者は聖仙女様にすべてを捧げ、一生純潔をつらぬく誓いを立てなければならない。
誓いといいながら実質は強制の魔法で、女児にそれを破ることは叶わなかった。
通常だと見習いは尼僧となるか還俗するか選べるのだが、女児だけにはその選択の余地が与えらていなかった。
決して馴れることのない獣のような厄介でしかない娘だが、だからこそ解き放ってしまうことを寺院が危惧したらしい。
女児はその鎖を心底憎んでいた。
「来て、イューイン。あたいん中に……」
それに応じて獣が少年の姿に変わる。
仙女像と同様に女児自身も胎を封印されている。彼女はこの時期この場所を選ぶことによって両方を破るつもりだった。
祭壇に横たわるかぼそい女児の裸身は、蓮っ葉に振る舞っているにもかかわらず、儚げで消えそうな生贄であるかのようにみえた。
狂おしい痛みと快感が女児を突き抜ける。
躰が繋がり合っていると、脳裏の闇にイューインの魂がみえる。
その中に女児が知っている彼とは異なるものが潜んでいるのがわかる。
「なにそれ! あんたじゃない?」
女児は怯えた声で呟く。抱かれた躰が震えていた。
『もう、気取ってしまった?』
彼の眸(ひとみ)が沼の水のように暗く淀む。黒い染みのような何かが拡がって、それは魂を徐々に塗りつぶしていく。
それはもはや邪悪ですらない無明の闇、ただ破滅を求める意志ともいえぬ意志、際限なく腐蝕し浸透する呪詛の瀝(したたり)、絶望と虚無のみを齎(もたら)す暗黒だった。
『ごめんね、君のこと好きだけど、あの方にはさからえない。すべてはしくまれたこと、僕らはただの操り人形さ』
イューインがかなしげに笑う。
『君は封印を解くための生贄、僕はあの方の代行者……生まれたときのずっとその前から決まってたこと、どんなに藻掻いたって逃げられない宿命』
その魂がなにかによって上書きされていくのがわかる。
『ああ……もう、僕は……僕でいら……れないや』
彼の美しい姿がどろりと溶け崩れて粘性の闇に変わる。それが女児を覆い被さり、口、鼻、尻、あらゆる穴から入り込んだ。
陵辱(おか)される躰と同じく、心もまた蝕まれていく。
女児の下腹部が孕んだように脹(ふく)れ上がる。満ちた月のような白い腹が罅割(ひびわ)れて血を噴き、終(つい)には爆(は)ぜる。
肉片と臓物が飛び散って、血と糞尿が水晶像を穢した。
魔は彼女の願いを叶えるにつれて力を益す。それにつれて姿を変え、綺麗な少年になって魅惑する。両者は互いに恋に陥り、夜の禊(みそぎ)のとき女神像の御前で交わる。処女喪失のさなか、少年へ潜む魔王が本性を顕し、彼は違う存在にと変貌する。
イューイン――信じてたのに裏切られた。
もはや恨むのでも憎むのでもなく、ただどうしようもなく哀しかった。
はたからは色気づいた小娘がとちくるっているようにみえたかもしれない。
たしかにそれはあるだろう、だがけしてそればかりではない。
女児はこれまでずっと孤独でいて、それを埋めてくれるものを求めつづけていた。それが得られたように思えたのだ。
尼僧達がみな女児に愛情を注がなかったったわけではない。しかしながら、母胎にあるうちから意識の芽生えていた彼女は、自分が望まれずに生まれ打ち捨てられたらことを悟っていた。
併有する血によるちぐはぐな徴(しるし)は彼女の背に痕跡(きずあと)となっている。それは彼女の魂を不安定なものにし、傷つくことを恐れる心は頑(かたく)なな鎧(よろい)となる。彼女は近寄ろうとするものを拒み、遠ざかるものを徒らに追い求める。
どうしてこうなったんだろう、なにがいけなかったんだろう。
躰の痛みはもう無感覚になり、ただ心だけがつらかった。
なにもかもが空っぽで、その空っぽさがたえがたかった。
清らかでほっそりとした星明りのような影がひっそりと傍らに佇む。
イューイン――いや、あたいに似てる。けどさ、あたいはこんなみたくなれなかった。
もしかして、仙女様? こんなことしでかした罰うけんのかな?
もうどうだっていいや。どうせ死んじまうんだ、何もかも終わっちまえ。
――リュティー、リテュエルセス。諦めてはいけません。
さやかなやさしい声で、その御影が囁きかける。
あなたが呼び求めるのを待っている人がいます。私達は約束を交わしました。
いまはまだ手が届かなくともいつかきっと会います。だからけして諦めなで。
私の躰(からだ)があなたの身代りになります。だからあなたは生きなさい。
創世の時に造られしより世界に禍(わざわい)を齎(もたら)すとされる『混沌の指輪』は、星と運命を司る女神に仕える寺院最奥の結界の中にあり、七重の封印をされて聖仙女の処女なる子宮に匿(かく)されていた。
だが、それらの封印はイューインの手引きと女児の手助けに破られつづけ、いまや聖仙女自身の意思によって最後の封印が消された。
像の下腹部から濁って罅(ひび)入り、膿血と汚穢を噴き出させる。
処女神像は等身大の純粋な水晶で出来ていたが、魔に引裂かれた女児の身代りとなって砕けた。
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