第50話 名前



「話は纏まったようだな」


不審者のおじさまの言葉に父が頷いた。

おじさまの合図で二人の少年が私の前に進み出て身を屈める。


「よろしくな、リ……っと、お嬢サマ」

「よろしく頼む」


金髪の少年が緑の瞳を煌めかせ、にっと笑う。

黒髪の少年にはおそるおそる頭を撫でられた。


「……」


私は言葉に詰まり、困って彼らを交互に見た。

彼らも私の言わんとする事がわからずに疑問符を浮かべている。

よろしくしてくれるのは構わないのだが、彼らの名前がわからない。

前世むかしなら、素直に自己紹介して名前を教えてくださいといくところだが、お貴族様では勝手が違う。

名乗るのは目下が目上に先に名乗ってからじゃないと名前を教えちゃダメなのだ。

前回金髪の少年にウッカリ名乗っちゃったが、コレ、クロフォード君とライラの前では絶対やっちゃいけない。

やっちゃったが最後、みっちりお作法1時間コースに突入しちゃう。


「ほーしゃん」


困り果てた私は仕方なしにクロフォード君に助けを求める。

察してくれたらしいクロフォード君は私に近づくと、肩に手を置いた。


「お嬢様、目上相手に名乗らぬなら、名を呼ぶ価値もございませんよ」

「ケンカ売ってんのかい?」


金髪の少年の目がキラリと光る。


やばい


直感的にそう思った瞬間、鈍い音と共に少年の頭が床に叩きつけられた。


「!」

「貴族の礼儀すら弁えぬ者共ではあるが、使いでの良さは保証しよう」


目も口も真ん丸の私にギリギリと金色の頭を床に押さえつけたおじさまは表情一つ変えずに真顔で言い放つ。やけに手慣れたものを感じるのだが、コレ、日常茶飯事だったりするのだろうか。


「それと名だが、仕事の関係上、コレ等は特に名を持たぬ。この金色は「一番目」、その黒いのは「二番目」と便宜上では呼んでいる。これからは姫の手駒となる。好きなように呼べばいい」


「親父殿、兄弟子がそろそろ落ちそうなんだが」

「構わん、で、どうする?姫よ。言っておくが替えはきかぬ」

「……」


不審者のオジサマは父やクロードさんの方を一切見ようとせず、私だけを見ている。今の父の表面上穏やかな笑顔とオジサマのどこか切実な空気を私は察してしまった。おそらく、父のおめがねに適うレベルがこの二人だけなのだ。


つまり、返品も交換も不可って事ですね。よくわかりました。


「おにゃ、りーがつけうにょ?」

「好きにつけてもらって構わない」


私はオジサマを見つめ返し、訊ねるとどこかほっとしたオジサマが肯定する。

床にぎりぎりされている金髪の少年はスルーして、ちらりと黒髪の少年を見ると、少年は小さく頷いた。否やはないらしい。


名前、なまえ……。と思い悩み、私はふと、あることに思い当たった。

これ、私が今名前を決めたら、二人は私に仕えている間、ずっとその名前で呼ばれるわけで。それって、かなり責任重大じゃなかろうか。


気が付けば、金髪の少年は男の腕から解放され、顔を押さえて踞っている。

その手の隙間から覗くどこか面白がるような緑の瞳や雰囲気がやはり、不思議の国の猫を彷彿とさせる。というより、これしか思い浮かばない。


「ちぇしゃ!」


私は思い切り叫んだ。


「チェシャ?」


少年が金の髪を揺らして訊ねる。


「ちぇしゃはね、わりゃうにゃりゃんちゃのよ」

「笑う……りゃん?」


金髪の少年がオウム返しに聞き返す。

私は大きく頷いた。ちょっと舌がもつれてナ行がラ行になってしまったが、問題ない。だって2歳児だもの。ちゃんと発音できたところでチェシャ猫の説明は難しい。

だって2歳児だもの。(2回目)


「"チェシャ"ね」


気に入った、と、にぃっと笑うその顔は正しくチェシャ猫だった。


そして今度は黒髪の少年を見て悩む。

不思議の国繋がり?と考えてみる。少年の赤い瞳をじっと見つめる。


こじつけになるけどま、いっか!


「まーち…」

「マーチ?」

「マーチはうさぎしゃぎしゃん!」


「……わかった」


少年はしばし何事か考えたそぶりを見せた後、こくり、と頷いた。





ヴァーミリオンは約束の時間ぴったりに二人をつれて指定された部屋に現れた。

その様子に驚くでもなく、当主を筆頭にどこかこちらの実力を測るような視線を向けてくる様は流石ウィスタリアといったところか。


その中で全く理解していないであろう幼い少女が当主の腕の中にいた。


最初こそ、空気を全く読まない当事者リズレットによるひと悶着はあったが、当主の一声で収まった。


そこへ更に空気を読まない行動に出ようとした馬鹿が一人。


「よろしくな、リ……っと、お嬢サマ」


「一番目」は背後の養父からの威圧と若い執事の殺気に応えたい思いを押しとどめ、言葉を直す。

このまま一人、返品されるのはよろしくないと判断した故だった。


「二番目」はどう言葉をかけるかを迷い、手短な挨拶の後、頭を撫でるだけに留める。それ以外に小さな子供に接する態度が思いつかなかった。

これもまた若い方の執事の殺気がピリピリと伝わるが、当主もその娘も咎める様子はなかったので、殺気は受け流す。


挨拶を終えた二人に何かを迷うように、何かを訴えるような眼差しに二人は内心で首を傾げる。


不興を買った訳ではないようだが、何かが足りなかったのだろう事だけは言葉に詰まるリザレットの態度から感じ取る。


「ほーしゃん」


そうしてリザレットが助けを求めたのは厄介な執事だった。

笑顔で近付いてきた執事に内心で舌舐めずりする「一番目」を何処か諦めた目で見る「二番目」がいた。


「お嬢様、目上相手に名乗らぬなら、名を呼ぶ価値もございませんよ」


「一番目」の目がキラリと光った。


「貴族の礼儀すら弁えぬ者共ではあるが、使いでの良さは保証しよう」


「二番目」の隣で「一番目」の頭が鈍い音と共に床に沈んだ。ギリギリと金色の頭を床に押さえつけた養父が表情一つ変えずに言い放つ。


(親父殿……)


一見普段通りに見えるものの、毎日顔を合わせるものだからこそ感じ取れる疲れを滲ませる養父の横顔を見つめる「二番目」の視線に温いものが混じるが、養父の視線が「二番目」に向けられる。


他人事みたいに見ているが、次からお前の役目だと、読み取った「二番目」は目線だけでそっと否定の意を返す。


を御せるわけがない。


クロフォードと名乗った執事が襲撃に来て僅か数日。

驚異的な飲みこみの早さを見せる兄弟子は「躾」に関しては一切それを発揮することはなかった。引き受けた依頼は完璧にこなして来た超一流の暗殺者が敗北を喫した瞬間でもあった。


そして名を問われ、好きに呼べと養父が答えた後、問われたリザレットの視線が「一番目」を上滑りし、「二番目」に定まる。


「一番目」には極力触れない方向だろうか。


「おにゃ、りーがつけうにょ?」

「好きにつけてもらって構わない」


「二番目」は小さく頷いた。


「痛てて……」


リザレットが思考に没頭している間に「一番目」が顔を押さえて起き上がる。

それに気付いたリザレットは「一番目」を見つめ、元気よく口を開いた


「ちぇしゃ!」

騒乱チェシャ?」


「一番目」が訊き返せば、リザレットは大きく頷いた。


「ちぇしゃはね、わりゃうりゃんちゃらのよ」

「わらう……りゃん?」


リザレットが再度頷く。


嗤う虎チェシャね」


気に入った、と、にぃっと笑うその顔は、猫の皮を被った虎かもしれない、と「二番目」は思った。

次いで「二番目」の赤い瞳を青い瞳がじっと捉える。

その奥の本質まで覗き込むような青の深さを「二番目」は静かに受け止めた。


「まーち…」

静寂マーチ?」

「マーチはしゃぎしゃん!」


静寂マーチの名を持つシャギという事だろうか。


「……わかった」


「二番目」もまた、納得げに頷いた。



そのやりとりにヴァーミリオンは口角を上げる。


「ふむ、騒乱の虎チェシャ静寂の狼マーチか、ウィスタリアの姫は中々に面白い名付けをする」


ヴァーミリオンが二人を見やれば「一番目」は満足を覚え、「二番目」は安堵した様子である。

問題であった「一番目」も性質に問題があるだけで、実力は折り紙つきなのだ。ウィスタリアであれば、扱いに困る、という事はないだろう。


「ウィスタリアの当主よ、これで全て清算したという事で良いな?」

「まあ、今回はいいだろう」


口元に笑みを零す当主の青い瞳にはある程度の満足が見て取れた。


「次がない事を祈る」


それだけの言葉を残してヴァーミリオンは姿を消した。



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