第41話 どうぞお帰りください

  二つの月が重なる真月の夜、町の外れに3つの影があった。

背の高い影、小柄な影、小柄な影より頭一つ分高い影。





goいけ


 言葉少なに発せられたその声に、二つの小柄な影は消えた。





 さわり


彼らエルブズ」の声のないざわめきに私は重たい瞼を上げた。


「ん、なぁに?」


 目をこすり、さわさわと落ち着きなくいるのは、とある事情で結果的に居着いた「彼ら」。


 何と無く覚えた既視感と共に脳裏に沸き上がるのは黒と赤の色彩と嫌な予感。


 なんだかんだと彼らと過ごしてまるっと2年。

「形なき意思ある彼ら」が「自由な精霊たちエルブズ」と呼ばれる存在だとライラから教えられたのはつい最近。

 エルブズは形あるものと「ケイヤク」をすると、「ケイヤクセイレイ」というモノになるらしい。

 という豆知識は今は脇に置いておく。


 元ケイヤクセイレイの彼らのざわめきと共に不吉な予感がせり上がって来る。


 ただの2歳児であれば、不安に泣き出し、部屋の隅で怯え、震えて「それ」の到来を待つ事だろう。

 無論、現在進行形で2歳児わたしの本能がそうしろとひしひしと訴えかけている。


 だが、それを甘受すれば、私は間違いなく


 何が?とも思うのだが、漠然としていてわからない。


 私は震える身体に力を込め、「それ」の到来を待ち構えた。


 目を閉じて大きく深呼吸をする。

 胸の動悸は収まらない。

 今すぐ大声を上げて泣き出したい。

 その声に気付いた誰かに側にいてほしい。


 後から考えれば、それが一番の正解だったのだ。

 けれど、「事勿ことなかれ」を重んじた、今の私は自分で対処する事しか頭になかった。


 どんどん近付いてくる「何か」

 大きく息を吸って、静かに吐き出す。


 落ち着け私。

 落ち着こう自由な精霊たちみんな


 私の意思に応えた「彼らエルブズ」が別の静けさを生み出した。


 そう、みんないいこ。


 口が自然と弧を描く。


 もうすぐ「おに」がくる。

 みんなで「おに」をおいかえすの。


 私の「ことば」に高揚する幼い彼ら。


 さん


 に


 いち


 私は背筋を伸ばし、顎を上げ、人差し指を外に向け、クロフォード君に絶賛されたお作法を思い出し、口を開いた。


「かえれ。げす」


 クロフォード君曰く、お行儀の悪い相手に気持ち良く帰って頂く為の丁寧なご挨拶なのだとか。


「かえれ」というのは「帰る」を変えた言い方の一つなのは解るのだが、「げす」が何を意味するのかは実はよく分からない。

 相手を相応に尊重した呼び方らしいという事だけはクロフォード君の説明でどうにか飲み込めた。その後クロードさんが来て、「お父様とお母様と一緒じゃない時は言っちゃいけませんよ」という補足を残してクロフォード君をドナドナして行ってしまった。


 貴族の作法って難しい。


 瞬間、ぶわりっと勢い良くエルブズが、飛び込んで来た影に津波のごとく襲いかかり、問答無用とばかりに押し出した。


 エルブズに襲われた何かは二つの月が重なる月明かりすら届かない、夜の闇の中に完全に消えた。


 そして、今だばくばくと鳴る心臓の音と共に経過を見守る事しばし。

 久しぶりに力いっぱい遊んだ彼らだけが満足げに帰ってきたのを確認し、私はようやくほっと胸を撫で下ろした。


「おかえりなしゃい」


 エルブズを迎え入れ、天井に目を上げたのは、偶然だった。


 天井の隅に、キラキラと光る金と緑。

 それは、もはや、遠くなりつつある記憶の片隅を刺激した。


 夜空すら青く映る都会から見上げる星空が、丁度こんな感じではなかったろうか。


 ぼんやりと眺めていると、それは徐々に人の形を取り始めた。


 金色と緑が頭の部分に集まり、はっきりとした色彩を持った瞬間、


「ばあ!!」


 天使のようなきれいな顔が、首と頭だけの逆さの状態で私の眼前に舌を出して現れた。


 古典的表現で言えば、舌を出したピエロの頭が飛び出すアレだ。

 ただし、天井に設置された箱から飛び出すという、何とも手の込んだ仕様ではあるが。


「……」

「……」


 しばし、両者の間に沈黙が下りた。

 部屋のエルブズは人であれば、固唾を呑んで見守っている事だろう。


「あれ?驚かねぇの?」


 ぶらり、と宙吊り的状況で不思議そうに首を傾げる少年。


 色彩にばかり意識をもって行かれてたから、反応がかなり遅れた。

 そしてその無邪気な反応に、完全に毒気を抜かれた。


 きっと、彼的には力いっぱい驚いて欲しかったんだろう。

 途端に申し訳なさが募る。


めんごめんしゃいなさい


 ぺこり、と頭を下げた。


 そろり、と顔を上げると緑の瞳が面白いもの見つけたみたいな感じでキラキラと輝いている。


 え?なんで?


 この段に至って、やっと私の中に警戒心が頭をもたげだした。

 私は相手を刺激しないようになるべく静かに語りかける。


「にーしゃ、ろにゃどなた?」


 途端に少年の口が笑みの形に釣り上がる。


 背をかけあがる悪寒は間違いなく、この少年が原因だ。

 にぃっと笑う様は前世の本のワンダーランドに住む猫を嫌でも連想する。


「誰だと思う?」


「(わ)かんにゃい」


「ん〜、そうだな…」


 きれいな顎に手を当てて、少年はしばし考え込み、私を見た、キラキラした緑の目が笑みの形に細められる。


「オマエ…」

「りーにゃの」

「ん?」


 少年が首を傾げる。


「おまえはしつれーにゃのよ?」


 思わず口をついて出た言葉にしまった!と思ったが遅かった。

 だがしかし、脊髄反射でモノを言う2歳児を責める事なかれ。

 まだまだ本能に勝てないのは幼児のさがだ。


 開き直りましたが何か?


「そうか、リーか」


 少年が益々深くした笑みに、私はびくり、と肩を跳ねさせた。

 そんな私の様子に喉の奥でくつくつと笑う少年。


「そう、怖がんなって。オマエ…っと、リーをいじめたりしねぇから」


 私は少年をじっと注意深く見つめる。

 ジリジリと後退する事も忘れない。


「ホント、しねぇって」

「ほんとにほんと?」


 カーテンの影に隠れる事に成功した私は少年から目を離さない。


「んじゃさ、オレがリーに悪さしないってヤクソクするからさ」

「ヤクソク?」

「そうそう、


 来い来いと人の良い笑顔で手招きする少年に害意は見当たらない。

 その証拠に彼らエルブズは沈黙を保ったままだ。

 意を決して近付いた私は少年に素早く抱き込まれた。



 み、みんな、し、信じてるんだからね!!



 私の「ことば」に反応を示す自由な精霊エルブはいなかった。












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