第1話 つながり
・
私は心地よい海の中で眠っていた。
たゆたう海の中、時折聞こえる声はひどく不快で、とても心地良い。
海の向こうのそれは、複数の音が聞こえる時は不快なのに、音が一つの時はとても穏やかで優しくなる。
最近気づいたのは、海の果てが意外に近い事。
足をあげれば、すぐそれに着く。
すると、やさしく、嬉しそうにその果てから応えがくる。
はやく、でていらっしゃい、と優しい音が聴こえるのだ。
私は望まれている。
そう思うと、全身がきゅっとなる。
そんな私の様子さえ、果ての向こうの相手は察してくれている。
あいしているわ
耳に心地良いその音を、私も出せるだろうか。
私もあなたに伝えたい。
同じ音で。
今は動く事でしか伝えられないけれど、あなたのような、心地良い綺麗な音で。
この感情をあなたに伝えたい。
*
ぽこり
内側から届くその衝撃に女は柔らかく微笑む。
声をかける度に腹の内側から喜びが伝わってくるようで、ついつい嬉しくなって話かける。
女は美しかった。
きめ細かい吸い付くような白い肌、眦がややつり上がった瞳は蠱惑的で、ぽってりと厚い唇が魅力的な女だった。
慈愛に満ちた母の顔の女は腹の中の我が子に向かって話しかける。
「愛してるわ。早くあなたに会いたいの」
腹の内側からぽこり、と返事が来ると女はくすくすと笑う。
その様子を扉の向こうでそっと伺う夫がいる事にも気づかずに。
*
「やれやれ、妬けるね」
扉から離れ、歩き出した男は一つため息をついた。
用があって向かった妻の部屋。
ノックをしようと上げた手を降ろしてしまうくらい、妻の様子は嬉しげだった。
裏で「女狐」と囁かれる彼女の呼び名は彼の妻となってなお健在で、その瞳には常に生き抜く為の猜疑と狡さが宿っている。
それは夫の前でも例外ではない。
と言っても「他人」に向けるそれほど露骨ではない。
態度はひどく高圧的で、それが彼女の身を守る術だと気づいたのはつい最近の事だ。
彼の子を身籠ってからは時折警戒の色すら見せる。
その様子は子を守ろうとする「母狐」そのもので、夫たる彼にすら腹の子を滅多に触らせてはくれない。
身ごもる前はそれはもう、執拗なくらい愛し合った仲だというのに。
男は再びため息を吐く。
今の彼の懸念は生まれてくる子を彼女は自分に抱かせてくれるか。
その一つに尽きた。
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