第1話 つながり


私は心地よい海の中で眠っていた。


たゆたう海の中、時折聞こえる声はひどく不快で、とても心地良い。


海の向こうのそれは、複数の音が聞こえる時は不快なのに、音が一つの時はとても穏やかで優しくなる。


最近気づいたのは、海の果てが意外に近い事。


足をあげれば、すぐそれに着く。


すると、やさしく、嬉しそうにその果てから応えがくる。


はやく、でていらっしゃい、と優しい音が聴こえるのだ。


私は望まれている。


そう思うと、全身がきゅっとなる。


そんな私の様子さえ、果ての向こうの相手は察してくれている。


あいしているわ


耳に心地良いその音を、私も出せるだろうか。



私もあなたに伝えたい。



同じ音で。



今は動く事でしか伝えられないけれど、あなたのような、心地良い綺麗な音で。


この感情をあなたに伝えたい。





ぽこり



内側から届くその衝撃に女は柔らかく微笑む。


声をかける度に腹の内側から喜びが伝わってくるようで、ついつい嬉しくなって話かける。


女は美しかった。


きめ細かい吸い付くような白い肌、眦がややつり上がった瞳は蠱惑的で、ぽってりと厚い唇が魅力的な女だった。


慈愛に満ちた母の顔の女は腹の中の我が子に向かって話しかける。


「愛してるわ。早くあなたに会いたいの」


腹の内側からぽこり、と返事が来ると女はくすくすと笑う。


その様子を扉の向こうでそっと伺う夫がいる事にも気づかずに。





「やれやれ、妬けるね」


扉から離れ、歩き出した男は一つため息をついた。


用があって向かった妻の部屋。


ノックをしようと上げた手を降ろしてしまうくらい、妻の様子は嬉しげだった。


裏で「女狐」と囁かれる彼女の呼び名は彼の妻となってなお健在で、その瞳には常に生き抜く為の猜疑と狡さが宿っている。


それは夫の前でも例外ではない。

と言っても「他人」に向けるそれほど露骨ではない。


態度はひどく高圧的で、それが彼女の身を守る術だと気づいたのはつい最近の事だ。


彼の子を身籠ってからは時折警戒の色すら見せる。


その様子は子を守ろうとする「母狐」そのもので、夫たる彼にすら腹の子を滅多に触らせてはくれない。


身ごもる前はそれはもう、執拗なくらい愛し合った仲だというのに。


男は再びため息を吐く。


今の彼の懸念は生まれてくる子を彼女は自分に抱かせてくれるか。


その一つに尽きた。

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