顔なき影なる暗殺者――そして、無垢の影姫と賢明にして残念な王女

壺中天

顔なき暗殺者の物語

謎かけ


 吾輩は暗殺者である。

 名前はもうない。


 どこで生まれたか、とんと見当がつかぬ。

 なんでも薄暗いじめじめした貧民窟ところで、家なしの餓鬼どもといっしょに、かっぱらいをしていたことだけは覚えている。

 そこで死神のように不気味な男に拾われた。それが暗殺者ギルドのマスターであることは後で知った。



 俺は殺しの技を仕込まれ、子飼いの部下となっていた。


 だが、そいつは勢力抗争に敗れて死ぬ。

 あらたなギルマスに従う気はなく、俺は一匹狼フリーの仕事師となったわけだ。


 裏家業のやつらは、俺を“顔のない暗殺者”と呼ぶ。

 それというのも、俺だけが持つ技能があるからだ。


 俺はどんな奴の顔も盗み、そっくりになることが出来る。

 もう、いったい自分がどんな顔だったのかすらわからん。


 俺はいつでも百までは顔を変えられた。

 依頼主と会うときには、たえまなく変化へんげして幻惑する。

 暗殺者が自分の技能を知られるのは好ましくないが、もはや世間に知れ渡ってしまっているんだから、より多くの仕事とより多くの報酬を得るため利用するまでだ。


 今回の依頼は、十二歳になる第三王女の暗殺だった。

 代理人を立てているが、おそらく第一王子によるものだ。

 顔がよいだけで愚昧痴鈍な彼にとって、幼くとも利発聡明な妹が脅威だったんだろう。


 美貌の小姓を殺し顔を奪い取った。

 姿ばかりではなく居立ち振る舞いすら身につける。

 そいつの技能や記憶も俺のものだ。


 こいつは王女に恋していたようだ。

 こいつにゃ悪いが俺の商売なんだ。


 王からの使いとみせて側に近づく。

 ガキンチョの姫様からお命頂戴なんざ、ほんのたやすい仕事なはずだったのさ。




 ――だけれど、僕は躊躇ためらってしまった。

 波打つ金の髪をした少女を刺そうとし、その澄んだ空のような瞳をみたせいで。

 そこにはなんの怯えの色もなく、ただ驚きにだけにみはられていた。


「ルシィーリアに手を出すな!」


 同じくらいの年頃をした、灰色の髪で灰色の瞳、そばかすだらけの侍女が、懐剣を抜き放ちつつ割り込む。

 毒を塗られた黒い刃がその胸を貫く。

 にもかかわらず、彼女はとまらない。

 かわさなければ、頭を打ち砕かれ脳漿のうしょうをぶちまけていただろう。

 切り下ろされた肩口から腕が千切れ、膝がくずおれた。返る刃がさらに僕の首をねようと――。


「やめて、姫様! その人を殺さないで!」


 僕の首筋に紙一重で剣がとまった。

 涙を湛えた泣きそうな空色の瞳と、忌々しそうににらむ灰色の眼を見詰めながら、僕は気が遠くなっていった。








 その広い部屋はくらく、俺の意識もまたくらかった。

 じめじめと黴っぽい空気からして地下室だろう。

 揺らめく獣脂蝋燭の灯りは隅へ届かない。

 辺りにあるのはどれも拷問の器具装置だ。

 垂れ流しの糞尿と屍臭が、石床や壁に染みこんでいる。


 ジィッ! 燭台の置かれた卓上で、蛾が炎に焼かれて落ちる。


 もげたはずの肩に痛みはなく、腕は痺れたようになっているが、わずかながら指が動かせた。

 どうやら、上級の治癒魔法をかけられたらしい。

 とはいえ、体が千切れるまで手足を引き伸ばすための台に、くくりつけられているのでは嬉しくもなんともない。



 反対側に頭をめぐらすと、十二歩くらいな距離で壁があり、場所に不似合いな鏡が置かれている。

 俺が前に立てば全身が映せるほど大きな姿見だ。


 左右の壁にめ込まれた鎖から鉄枷てつかせがぶら下がり、さらされたまま朽ちたらしい屍が骨になっていた。

 どうやら一方は若い女のようだが角があり、もう一方は子供のようだが羽根があった。


 鏡は楕円形で、紫檀したんの縁だった。

 紫檀には彫刻がされている。自らの尾をくわえた竜が鏡を囲い込む形にみえる。

 だが、その細部はというと様々な魔物達が寄せ集められた不気味なものだった。

 面紗ヴェールのように巣が懸り、てのひらくらいの蜘蛛が裏に隠れている。


 埃だらけだった鏡が水面の月のような光を帯びて揺らめく。

 鏡面は水晶のように澄んで透明になり、ここではない何処かの部屋が覗きみえる。


「お願いでございます、姫様。どうか、お願いいたします」

 声がする。耳の鼓膜を振るわすのではなく、頭の中で響く鈴の音のような声。

「案ずるな、ルシィーリア。そなたの想いは妾の想い、そなたの願いは妾の願いじゃ」

 俺に向けらたれものではなく、会話をもれ聞いている感じだ。


 鏡の中にみえる部屋は、優美な家具調度が置かれている。

 天蓋付きの寝台に黒衣の少女が腰掛け、白い衣裳の少女がその膝にすがっていた。

 どちらも金の髪に空色の眼、化粧を落とした透き徹るような白い肌にそばかすが浮く。

 姿は瓜二つでありながら、身に着ける衣裳と纏う雰囲気が違う。

 黒衣の姫のそれは圧倒的な威厳、いや、畏怖だった。



「いってくるゆえ、ここで待つがよい。

治癒はほどこしているし、そろそろ目ざめておろう」


 黒衣の姫は鷹揚なしぐさで立ち上がる。

 両手を差しのべながら、ゆっくりとこちらへ歩み寄り、水精ニュクスが水面を出るように、紫檀の縁の鏡を抜けた。





「気がついておるか、顔のない暗殺者よ。

さて、そなたの名はなんと呼ぼうか?」

 黒と宝飾の衣裳を纏って立つ、その姿は霊柩馬車のように不吉だ。


「そんなもんはない。好きに呼べばいいさ」

 俺はかろうじて虚勢をはるしかない。

 それもはたしてどこまでもつのやら。


「ならば、幼女趣味ロリコンがよいか、異常性欲ドスケベがよいか?」

 ニタリと笑いやがった。


「おれはロリコンじゃねー! 惚れたが幼かっただけだ!」

 全然、もたなかった。思わず、喚いてしまった。

 同時に、気づいてしまった。やべー、やべーぜ。

 あの娘に一目惚れかよ。躊躇ためらったのはそのせいかよ。


「死刑じゃ、宮刑きょせーじゃ。妾のかわいいルシィーリアに手を出すとはゆるせぬ」

 ぞわ――っ! 黒いくちなわうごめくような、オドロしい気配が後背うしろから立ちのぼる。



「まだ、手を出しちゃいねーっ」

 いねーよ、ほんといねーよ。 

 ちくしょう、ちびっちったぜ。


「これから出そうとしておるのであろう」

 汚らわしい虫けらのように見下す。


「お前はなんだ? 顔は同じだがちがう。

お前は、あの侍女……いや、本物か?」

 蛇に睨まれた蛙のようにすくみ上がった


「気づいたか、“顔なし”の暗殺者よ。

いくらか知恵はまわるとみえるのう。

妾こそが第三王女ネフィーリアじゃ」

 唇に酷薄な笑みが浮かんだ。



「お、俺はいったいどうなるんですか?」

 やっぱ、たすかんねーんだろうな。


「殺したいが、死なせられぬ。

 妾の影姫に恋されておるゆえ」

 王女は口をへの字にまげた。


「へっ、そりゃーまた! かなりチョロいんじゃね?」

 自分の命が狙われたってのに、いくらなんでもありえねえよ。


「拐かされて破落戸ならずものに乱暴されるところ、

少年の頃のそなたに貞操を救われておるのじゃ」


 破れた青い服、茶色の髪からほどけたリボン。

 そばかすのある顔、不安げな空色の眼――。

 なぜなのか、断片的な光景が頭に浮かんだ。



「俺は顔なしだぜ? 見分けなんてつかねえし、俺が餓鬼の頃なんて、そっちは赤ん坊だろ」

 それを振り払うようにいう。



「あれは巫女姫の素質を持っておった。魂の色と匂いがわかるそうじゃ。

 十二歳のときそなたと出会い、十七歳のときに命を落とした。

 その魂を妾と同じ肉体うつわに移し換えた」

 とんでもねえ答えが返った。


肉体うつわ?」


「この身が壊れたときの換えとして、錬金術で生成しておったものじゃ」

 衣裳が破れたら着換えるとでもいうようにこともなげだ。


「錬金術に死霊術かよ。一体なんなんだ?」

 そのとしで極めてんのか。まともじゃねえ。


「妾は魔術師じゃ」

 薄い胸をそらす。

 

「魔導師だってそんなのはいねえ」

 魔術師の上が魔道師で、さらにその上が魔導師。だが、それすら越えている。


「妾は生まれながらにして強大な魔力を持っておった。

 お陰で、この魔道王家の中でさえ忌まれておるのじゃ」

 しゅんとうなだれる。


「おい、ぼっちかよ」

 そりゃ、あわれだ。


「うむ、ルシィーリアだけがただ一人の友達じゃ。

 あの娘を守るためとあらばいかなることもしよう」

 きりっとする。


「死刑も去勢も勘弁してくれ」

 動機はわかったが過激だろ。


「そこでそなたと取引したい」

 衣裳の裾をつまんでもじもじする。



「どんなだよ?」

 きもちわりーな。お前、キャラかわってるぞ。


「妾はまだ処女なのじゃ、性根は腐っておるがの」

 唐突とうとつだな。


「自分で腐ってるとかいうか?」

 ふつういわん。


「魔道外道の王家にまともな手合いなぞおるはずがなかろう。妾を含め、みな気のふれた異常者ばかりじゃ」

 ふんと自嘲する。


「それもそうだわな」

 猟奇王だの色魔の王子だの、魑魅魍魎ちみもうりょうのオンパレードだ。


「ルシィーリアに手をださぬなら、妾が抱かれてやってもよいぞ。

腐り爛れとるにしても処女じゃ。容姿はあれと変わらぬであろう」

 俺がくくられた台に手を突く。


「たかが身替わりの影姫のため、自分の身を差し出すのかよ。そんな王女がどこにいんだ」

 王女の背は低い。顔の近さにあせった。


「ここにおるではないか」

 膝を乗せる。俺の上にまたがりながら立った。

 そして、衣裳の裾をたくし上げる。下着も黒かと思ったが白だった。

 パンツの紐をほどく。はらりと布が足下に落ちた。



「大切なルシィのため変態に身をまかすなぞ、なかなか萌える状況シチュではないか?」

 帯の結びもほどけた。コルセットはしていない。

 ゆるゆるになった衣裳の下から、ふくらみかけの胸が仰ぎみれる。


「淫乱な姫様の男漁りっぽくて台無しだぜ」

 未成熟であやうい美しさに呑まれる。


「そうじゃの」

 裾を口にくわえて、腰を落とす。



「くっ」

 きつく狭い。血が流れていた。

 それが赤から闇色へ変わっていく。

 痛みを感じていないかのように腰を振る。


『痛まぬわけではないぞ。それへの耐性は高いがの。

せっかくの初体験ゆえ、痛覚は無効にしておらぬ』


 頭の中で声がする。念話か。

 もやのようなものに触れられている感覚があった。

 心を覗いているらしい。

 


 氷室に入れられた屍体を抱くような異様な冷たさ。

 もはや苦痛に近いまで高まった快感。際限なく放ち続け、命が干涸らびていくようだ。


「お、お前は、何者……」


『妾は不死の王――死して死せざる者どもの王じゃ』



 暴風めいた瘴気に曝される。

 鏡の裏に潜んだ蜘蛛が死んで落ちる。

 壁に填め込まれた鎖が腐食し、かせにぶら下がっていた骨がくずおれた。


 肺が蝕まれ、息が出来ない。血の泡を吹きながら切な糞をひり、惨めな虫螻むしけらのようにのたうった。


 瘴気が掻き消える。光の靄が包み、俺を回復させた。

 完全治癒。神官でさえ使える者がいない神聖魔法だ。


『あれしきの瘴気でこの様とは、あまりにやわすぎはせぬか』

 王女は俺の腹に尻をくっつけ座っている。

 おい、いいのか? 俺は糞をもらしてるぜ。

 臭せえぞ、汚ねえぞ。


「闇使いのはずだろう。治癒魔法は光じゃねえのか?」

 不死の怪物アンデッドというのは、死んでも残る執着とか怨みがあったり、死霊術師に操られたりしているものだ。

 下は一箇所に停まる霊体だったり、歩き回る屍体や骸骨だったりする。その上が貴族と称する吸血鬼で、力があるし知性があるし厄介なやつら。

 そいつらの頂点が不死の王なわけだ。当然ながら、闇の属性で光を苦手とする。


『闇極まりて光となる。光と闇合わさりて時空の扉開く』

 なのに、光と闇の両方を操れる上、時空魔法を使えるらしい。

 呆れた化物だな。



「そのとしでそんなものにならなくたってよかったんじゃないか?」


 そもそも、不死の王になる儀式なんてのは、年老いて耄碌ついた魔導師あたりが、不老不死を求めてやらかす代物だ。

 たいていは失敗してくたばるか、ただの狂った怪物になり果てる。

 なしとげるには莫大な魔力と深淵な知識が必要だし、強靱な意志とそれを上回る狂気がいるって話だ。


『身体強化のために決まっておる。

 魔術において比類ないとはいえ、この肉体からだは幼い童女こどもじゃ。妾のルシィーリアを守るには心もとない。

 やるなら徹底的にやったほうがよかろう』


 腹で何かたくらんでいるようでもあり、直情径行であけすけなようにもみえる。

 混沌としてはかりがたい性格で怖ろしい。



「やりすぎだ。それほどまで気がかりなら、なんであの娘を影姫にしたんだ?」

 実のところ、薄氷を履む気分でさぐりを入れる。


『王家は毒蛇の巣、互いに喰らい合う。妾はその中の一匹じゃ。

 妾の側は危険がともなえど、この国に安全な処などありはせぬ。

 あれの前の肉体うつわは狂王の淫欲のにえにされて命を落とした。

 平民の両親から愛される娘であった。妾が憧れても得られぬものを持っておった。

 あの娘が欲しかった。なれど、妾にかかわらせてはならぬ。ただみておるだけにするつもりであった。

 それを踏み躙った者を赦しはせぬ! 王家を根絶やしにせねば収まらぬ!』


 煮えたぎるような怨念と呪詛だった。



「この暗殺しごとの依頼したのはお前か?」

 俺はかすれる声でたずねた。


『気づいたか、“顔なし”よ。そなたを試させて貰った』

 その唇が禍々しい笑いにつり上がる。



『今、本当の依頼を告げよう。


 ――王を殺し、国を奪え』








 結局のところ、守りたい者は同じであった。

 漁色に耽る王や側近である貴族達を始末し、第一王子と入れ代わった私が王位に就く。

 おもてむきは、異母妹であるネフィーリアが妃となった。

 まことをいえば、偽王と影姫でしかない。

 傍らにはいつも灰色の侍女が控えていた。




 今、我は老衰による臨終の床にある。

 思えば、ずいぶん長く生きたものだ。


 この生涯で愛した二人の女。

 その内の一人に我は送られようとしている。

 その先にはもう一人が待っているのであろうか?


 すべての事をなし終え、すべての者を下がらせ、ただ灰色の侍女だけが残った。

 ひっそりとたたずむ彼女の姿は死神のようだ。

 いや、出会いのときよりすでに不死の王なりしもの。

 いまや、神であったところで可笑しくなかろう。


 死神は微笑む。その笑みは甘やか。

 灰色の衣裳が床に落ちてたごまる。

 ほの白い裸身が闇に浮かび上がり、我に――











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