武士の一杯

雪邑 基

第1話

 久々に名古屋へ遊びにでると、人の多さに驚かされる。昼飯時はすぎ、冬に似合わない日柄もあって、圧倒的な人の流れはまるで津波のようだ。さらに恐ろしいのは、これでも東京や大阪に比べればまだ人が少ないということだ。

 人の波をかき分け、百貨店の駅ビルへ。雑多な商店とは違う気取った雰囲気。ショーウィンドーに並べられた品のいい皮財布を見ると、まるで自分が王侯貴族にでもなったような気分になる。

 一通りの店を冷やかし、何も買わずに店を出る。その足取りのまま駅前の大型家電量販店に入り、安くなったパソコンを腕組みして見ながら、買うのは特価のフラッシュメモリー。

 包装を捨て、ポケットの中でフラッシュメモリーのギミックをいじる。ボタンでUSBコネクタを出し入れするのと同じ、ロボットのような規則的な足取りで街を歩く。

 秋には美しく染まった街路樹も、今は寂しいものだ。日も随分と傾いて、葉の落ちたイチョウの間に紅の光が抜ける。その向こうに、繁華街には場違いな観覧車の姿が見える。突如として現れる栄の観覧車はどうにも場違いな姿なのだけれど、夕陽の中ではゆっくりと色を反射させて回る姿が、どこか郷愁を覚えさせる。

 栄を後にして、たどりついたのは大須商店街。名古屋駅周辺も悪くはないが、電子機器を見るならやはり大須だ。栄をイメージしたアイドルグループがあるけれど、個人的には栄よりも大須の方がマニアックな印象がついていい気がする。しかし大須でグループ名をつけるとなるとOSU、お酢になってしまう。お酢はさすがに間抜けだ。

 個人経営のパソコンショップで中古タブレットの値札と睨めっこをして、結局諦めた。店を出ると闇はどっぷりと街を染め、家路にはいい頃合。

 帰るとなれば金山駅からJRに乗るのが一番、ここからだと上前津から地下鉄で2駅。そう考えて、しかし上前津の駅は目指さず歩き出す。

 名古屋駅から金山駅、JRで2駅、地下鉄で5駅。それなりの距離がある。それだけの距離を歩いたのは、腹をすかせるためだ。

 男にとって特別な料理が二つある。一つはラーメン。麺は太いか細いか、スープはどんな出汁か、具の種類はなんだと、ラーメンはそれを食べる男を研究者にする。

 そして立ち喰いそばは、男は武士にする。

 電車を待つわずかな時間、あるいは仕事との合間に腹を満たしてくれる立ち食いそば。注文、配膳、実食、一服、店を出るまで10分程度で終わってしまう一食。たったそれだけの時間、だからこそ一杯が真剣勝負。残念なことに、愛知には立ち喰いそば屋は少ない。だからこそ今日は期待している。

 金山駅。タクシー乗り場の奥に、文花そばの暖簾が見えた。寒いからといって、焦って門をくぐってはいけない。武士は泰然と、同じテンポで券売機へ。

 券売機を前にしてから何を食べようかと思案するようでは武士失格だ。横目で店先の品書き看板を確認しておく注意深さは必須。500円玉を入れて迷いなくボタンを押すと、食券と釣銭を無造作に取っていざ入店だ。

 店内の暖かさを楽しむ間もなく、店員のいらっしゃいの声。すかさず食券を渡した。そばが出てくるわずかの間で、店内の様子を探る。夕飯時より少し遅いから、カウンター席に客が2人だけ。彼らもまた、鋭い眼光でそばをすすっていた。

 武士の集まる立ち喰いそば、店員もさすがになれている。お待ち、2分と待たずに注文した冷やしきつねが出された。トレイをもつと、セルフのねぎを一つまみとお冷をとって席につく。

 一息。すぐさま意識を切り替え、手をふいて箸を取る。そば相手に、一瞬の油断さえ許されない。

 そばの香りを楽しむならざるやもりがいいのだが、それは普通のそば屋での楽しみ方だ。立ち喰いそばなら麺とつゆのハーモニーを食らうかけ一択。麺を一筋取ると、景気よく音を立ててすする。

 ずぞぞぞぞぞ……。口に放り込んだ麺を、軽く咀嚼して飲み込む。ゆでたての麺は腰があり、喉で味わってもごわごわした感じはなく、むしろつるんと入っていく。その勢いのままにつゆを飲むと、鰹だしのきいた甘めの味が広がった。

 油揚げを一かじり。しみたつゆがじわりともれ、味の色が変わる。万華鏡のように広がる味の輝きを、水で舌先をぬらすことでリセット。静かに鼻で息をして、作戦は決まった。

 麺を一気に一すすり、二すすり。そしてつゆ。また麺をすすって、一欠片だけを残して油揚げ食べる。油断せずにつゆを飲むと、ねぎの辛さが鼻をぬけた。心機一転残った麺を大きな口でまとめてすすると、最後の油揚げのかけらをつゆと一緒に喉に流し込んだ。

 器をトレイに戻す。とん、という音と共にやっと一息。わずか数分、呼吸すら忘れた。

 多幸感にひたっていたいが、立ち喰いそばやでそれは見苦しい。席を立つと、ごっそさんと無骨に挨拶をして、食器を返却。店をでる。

 風が吹いた。上着の襟をしめなおし、近くにあった自販機に小銭を投入。ホットのブラックコーヒーを買った。普段ならコーンスープやカフェオレも視界に入るのだが、武士がそれでは格好がつかぬ。

 うまかったにはうまかった。しかし、冬の日に冷やしきつねは失敗だったかと少しばかり後悔。春夏秋は冷たいそばでいいけれど、こう寒い日だと自分の猫舌がうらめしい。本当なら温かいいか天かかきあげそばを頼みたいが、いい大人がフーフーやるのはどうかと思うし、冷めるまで待って麺がのびるのはもってのほかだ。日本酒にはぬる燗や人肌があるのだから、そばもそうすればいいのに。

 缶コーヒーを右のポケットにいれようとして、かつんと硬いものにあたる。フラッシュメモリーを入れっぱなしなのを忘れていた。どうもしまりが悪い。しかたなく、左のポケットに缶コーヒーを入れた。

 いつかは熱いそばを躊躇なくすすれる武士になりたい。そんな風に考えながら、改札へ向かう。ポケットに手をつっこむと、指先に缶コーヒーの温もりが伝わった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

武士の一杯 雪邑 基 @motoi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ