第75話 追憶5【本の町】
大魔城を出発した翌朝にガトールに到着した一行はまず宿へ向かい、そこで一時間ほど休憩を取ると魔王や家臣達は表彰式が行われる役場へと出て行った。今回の行事に出席する予定が無い王女はさらら、ルルゥと共に宿に残っていたのだが、ふかふかのベッド(大魔城の自室の物ほど寝心地はよくないが)で休んでいると、室内にノックの音が響いた。
「……はい……? 誰……?」
枕に顔を
「入るわよ―――」
彼女の名前を呼びながら入ってきたのはさららである。顔は見ていないが声でわかる。
「あ~……サラ……何? あたし疲れてるんだけど……」
昨晩は馬車の中で休んだのだが(もちろんルルゥは別の車に移った)、揺れのせいで熟睡する事が出来なかった。
「それは私も同じよ」
「だったら何なのさ~……」
「
「あたしの言葉聞いてなかった……?」
「聞いてたわよ。それが何?」
「……」
さららの声からはうきうきとした調子が伝わってくる。それほどこの「本の町」が楽しみだったのだろう。今までに何度か父の休息のための旅行に一緒に付いてきた事はあるが、大抵は逆で王女が彼女を誘って出かけるという形だった。
「……ルルゥも行くってよ?」
「……! ……しょーがないなー……」
「わかりやすいわね」
「うるさい」
王女は体を起こした。
「賑やかね」
がやがやとした大通りを歩きながらさららが言った。そこには武具屋や服屋、食料屋などが並んでいるが、その合間合間に本屋がぽつぽつと見られる。なるほど確かに一本道にこれほど本屋があるのも珍しかった。人々は時折足を止め彼女らを見ては手を振ってくる。魔王ほどではないが娘の王女の顔もそこそこは知られているのだ。
「あ、ははー……」
ひらひらと手を動かして王女は愛想笑いを返した。
「あなた、もっと
「だって、めんどくさいじゃん」
「まあ、確かにめんどくさいよな」
彼女の言葉にルルゥも同意する。共感されて少し嬉しい。
「ていうか、ルルゥはいつも
「めんどくさいからな」
「あれ、ルルゥ様もいいとこの育ちなんですか?」
三人の後ろを歩いていた護衛のキルトが尋ねてきた。まだ二十四歳という若さらしい。人当たりが柔らかく、親しみやすいキャラクターだ。
「え? あ、ああ、まあ……」
ルルゥは口を濁した。彼が天使であるという事は王女、さらら、魔王夫妻、それに城のごく一部の重鎮しか知らない。
「それより、護衛がキルトひとりで大丈夫なの?」
「お、王女様、鋭い所を突いてこられますね……私も不安です」
「駄目じゃん!」
「何でもここは治安がいいらしいですけどね……それにしても不安ですよね」
「だからあんたがそれ言っちゃ駄目じゃん!」
「しかし、我々が滞在するこの2日間は町中に兵が配置されているらしいですよ……あ、ほら」
甲冑姿の男と擦れ違い彼は軽くお辞儀をする。
「そりゃー安心だね。キルトよりは頼りになりそう」
「全くです」
「だから駄目じゃん!」
などというやり取りをしているとさららが気になる本屋を見付けたので入ってみる事にした。二階建てで、歩きながら見てきた本屋の中では大きい方だ。
中には長さ八メートルほどの本棚が六列並んでいた。魔術や医術、薬草学などの専門書から小説などの娯楽、地誌などラインナップが豊かだ。
「うわああああああっ!」
さららが珍しく子供の様に声を上げる。
「凄い! 凄い! これはアトラス地方の……こっちはクロニク……あ、エーデル大陸のもある……!」
興奮する親友の意外な一面を見て王女はつい顔が綻びた。彼女とはもう八年も一緒にいるがこんな様子を見るのは初めてだ。一緒に来てよかった。そう思った。
「2階には児童書コーナーがあるみたいだな」
ルルゥは掲示を見ている。
「セシルに何か買っていってやればいいんじゃないのか?」
「……そうだね……そうしよっかな……おーいサラー、あたし達は2階でセシルへのお土産選んどくからー……って駄目だ、聞いてない」
この五年の間に王女には弟が産まれていた。まだ二才なので今回は大魔城で母と共に留守番だ。さららに一声かけて三人は二階へと上がった。
その後六軒ほど本屋を回りさららは満足気に本でいっぱいになった紙袋を提げて歩いていた。十冊は買っている。王女も弟への土産が入った袋を手に持っていた。彼女が選んだのは魔術が仕込まれている絵本で、場面場面に合わせて音が出たり、絵が動いたり、といった仕掛けが施されている物だ。魔界ではこの「魔術絵本」はポピュラーなのだが、仕掛けの細かさを気に入りこれに決めたのだった。セシルも喜んでくれるといいのだが。
「さあ、次はいよいよ大図書館よ」
「……でも、図書館でしょ? 買えないわよね。借りてもしょうがないしさ、明日にはもう帰るんだし」
「借りられなくっても読めるじゃない。読むだけで知識を得る事が出来るわ。書は知の源よ」
「うげ。あたし勉強嫌いだし……どうせルルゥもでしょ?」
「……否定はしないな」
「私も大嫌いでしたよ」
キルトが口を挟んできた。
「うん……何となくわかるよ」
大図書館は大通りからは外れた所にあった。
入口の小さな階段を上り中に入った一行の視界に端から端まで規則正しく配置された数十列の本棚が広がった。
「ふえ~、本棚がいっぱい……」
そう漏れた声は思ったよりも館内で反響し、王女はつい口を塞ぐ。トーンを間違えた様だ。
「あんまりじっくり読み込んじゃうと1日あっても足りないわね」
気を付けないと、と最後にさららは付け足した。あたしじゃあ全く気を付けなくてもいい事だなあ、と王女は聞き流し、彼女が持っていた紙袋を指差す。
「さっきから見てて思ったんだけど、サラ、それ重いんじゃないの?」
「え? ええ、まあ。でも買った物だし」
「キルトに一旦宿に持って帰ってもらおうよ」
「え? しかし私には王女様達の護衛が……」
キルトは戸惑った。
「ここの入口にも町の兵士さんはいるし、どうせサラが読みふけるからあたし達しばらくはここを動かないしさ」
宿を出てからこの大図書館に至るまでに、途中で何件かの店に入ったり昼食を取ったりしたため数時間ほどかかったが、実際は歩いて三十分ほどの距離である。キルトが戻ってきてもそれから更に一時間以上は確実にここにいる事は目に見えていた。何せ今日の主目的なのだから。
「ついでにあたしのセシルへのお土産も持ってって」
「お前……それが目当てだろ」
「てへ」
「……わかりました」
キルトは少しためらった後に首を縦に振った。
「絶対にここから出られないで下さいね」
「うん。約束するわ」
「では……行って参ります」
「行ってらっしゃーい」
「ごめんね、キルト」
王女とさららから荷物を預かった彼は踵を返しフロアーを出ていった。入口の階段を下りる時にローブ姿の男と擦れ違い様にぶつかるのを見ていて、大丈夫かな、と三人は少しだけ不安になった。
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