第42話 奸智術数

 病室に入るとそこにはすでに栞音カノンの姿があった。彼女は早見を見ると嬉しそうな顔になる。

「あ、お兄ちゃんが来た!」

「え?」

 ベッドの上の彼らの母もまた、彼に目をやった。

「あらリンク」

「調子はどう? 母さん」

「大丈夫よ」

「そう。よかった」

 ベッドのそばに用意されていた丸椅子に早見は腰掛けた。彼ら兄妹は毎日の様に母親の見舞いに来るので、昼過ぎになると看護師が彼らのために準備してくれているのだ。

「毎日来てくれなくてもいいのに。ここまで来るの大変でしょう?」

 この病院は聖道学園からはやや遠い場所に位置する。早見も妹のカノンも、学校が終わるとバスに乗ってここまでやって来る。

「全然。母さんは何にも気にしないでいいんだよ。それが体に障るかもしれないし」

「そうだよお母さん!」

 カノンも元気な声を出した。彼女も同じく聖道学園の初等部に通う三年生だ。

 一時間ほど滞在すると、兄妹は揃って病室を後にした。

「カノン、僕ちょっと参考書を見たいんだけど」

 病院を出ると早見は立ち止まって妹にこう告げた。

「ええっ? お買い物? 私も付いてく~~~~~~……って言いたい所だけど」

 彼女はむすっとした表情を作る。

「今日は予約するの忘れちゃったから帰って見ないと」

「ああ、そうか」

 今日は彼女が毎週楽しみにしているアニメの放送日だ。いつもは予約録画を欠かさずしているのだが、今日は忘れてきてしまったらしい。

「じゃあねお兄ちゃん。お土産よろしく~」

「お土産って……」

 カノンはバス停に向かって歩き始めた。早見はそれとは反対方向に進んでいく。この病院の近くに複合商業施設があり、その中に大型の書店が入っている。彼らの家の最寄りの書店では買えない様な書籍が大量に置いてあるのだ。


「だいぶ遅くなっちゃったな……」

 家路を急ぎつつ、早見は携帯の画面で時刻を確認した。もう午後八時前だ。辺りはすっかり暗い。早く帰らないとカノンに怒られるな……。

 その時、彼の目にある光景が映った。

 住宅の塀に手を着きうつむく少女。その姿にどこか見覚えがある。ああそうだ。早見は思い出した。あの娘は確か、クロノの友達の女の子だ。確か名前はシエル。

「どうしたんだい」

 彼は優しく声をかけた。

 顔を上げたシロの目からは、涙が流れていた。

「……あなたは……」

 どうやら彼女も早見に見覚えがあったらしい。今朝会っただけだが覚えておいてくれたのか。

「泣いているのかい」

「えっ?」

 シロはごしごしと目をこする。

「なっ……何でもないよ」

「はは……何でもない人が泣く訳ないよね……」

「だっ、大丈夫だから。それじゃ」

「待って」

 逃げる様に立ち去ろうとする彼女を彼は引き止めた。

「よかったら話してごらんよ。気持ちが楽になるかもしれない」

 これはもしかしたら、いいチャンスかもしれない。彼はシロの瞳を見つめた。

「……そうかもね……」


 ふたりは喫茶店を探して入った。とりあえず、座ってゆっくりと話を聞こうと思ったのである。

「……ありがとう」

 シロはコーヒーを一口飲んで礼を言った。いや、礼を言うのは僕の方だ。都合良く君がそんな精神状態でひとりでいてくれたんだから。

「どういたしまして」

 早見も一口コーヒーを啜る。

「ところで君、シエルさん……だっけ」

「あ、うん……どうして名前を?」

「だって君、有名人だから。クロノ君もね。アメリカ人の転校生なんて」

「あ、そっか……そういえばあなたは?」

「早見リンク。以後お見知りおきを」

「早見君……変わった名前してるんだね」

「……まあね」

 そりゃあ僕は純粋な人間じゃないから。

「それより、どうして泣いてたんだい。何があったの」

「それは……」

 彼女は少しためらった後に話し始めた。

「その、私、ある人にだけ触れなくて……」

「……触れない?」

「信じられないと思うけど、触ると痛みが走るの」

「……それは、触った所に?」

「うん」

「……なかなか珍しい現象だね」

 いや、全くだ。彼はそう思った。

「……信じてくれるの?」

「唐突にそんな嘘をついて君に何のメリットがあるんだい?」

「……論理的に考える人なんだね」

「どういたしまして」

 早見もシロも、コーヒーをまた一口。

「その相手っていうのは、クロノ君かい?」

「え?」

 シロは焦っている様だった。図星だろう。

「うん……どうしてわかったの」

「真っ先に思い付いたのが彼だったから。君達一緒に住んでるらしいし」

「あ、そっか……」

 そして……彼は心の中で付け足した。そして君は、おそらく彼にとって大切な存在になっている。

 理事長からの頼みを受けて彼はクロの周りを調べ始めた。いけない事だとは思っているが尾行も何度か行った。彼は同居しているこの少女と頻繁に登下校をしている。おそらく彼にとってこの少女は、ただの同居人ではないはず。そして、彼女にとってもまた……。

「ちなみにそれって、どんな痛み?」

 質問しながら早見は考えを巡らせた。どうやってこの娘を攻略しようか。

「……びりってする様な……鋭いの」

「……それって彼の変な体質のせいなんじゃないの? 噂では彼、放電出来るとかいうし……それであの郷田君にけんかで勝ったとか」

 そう、神の一族が持つ特殊な能力。発電能力。

 だけど、特殊な能力を持っているのは、奴等だけではない。

「あー、うん……そうなんだろうけど、何となく、それは私の体の方に原因があるんじゃないかって思って」

「どうして?」

「ええと……わかんないや。何となく」

「……そうかなあ」

 思考を完結させた。彼はわざとらしく首を傾げてみせた後、目の前の少女への攻撃を始めた。君には何の恨みも無いが、少しばかり僕の復讐のために利用させてもらう。

「彼の方に原因がある可能性が高い気がするけど。だって君はただの普通の人間だろ?」

「……う、うん」

「それに、もうひとつ、大事な可能性を無視してないかい?」

「大事な可能性?」

「君は自然現象みたいな言い方しているけど、そうじゃないって事さ」

「……?」

「つまり、彼が意図的にやっている、って事」

「……え?」

「というか、これが一番大きな可能性なんだけどね」

「……ちょっと待って。クロが意図的にやってるって、どういう事?」

 シロが取り乱した。ほら、やっぱり簡単だ。

「そのまんまの意味さ。君に触れられると同時に放電する。それだけ」

「ど、どうしてそんな事……!」

「それは……たとえば」

 ここで一旦言葉を切る。さあ、クリティカルヒットを撃とうか。

「君の事が嫌いだから、とか」

「! ……え?」

「だから君に触れられたくない」

「……そ、そんな……クロが私の事を嫌いだなんて、そんな……」

 シロはカップに手を伸ばす……おいおい何だいその震えは。わかりやすいんだね、君。

「そんな事……そんな事ないよ」

「どうして? どうしてそんな事言えるんだい」

「だって……だってクロは友達だから」

「本当に?」

「え?」

「本当にそうなのかい。そう思っているのは君の方だけじゃないのかい」

「……! ち……違うよ……! ク、クロだって私の事友達だって言ってくれたもん……!」

「君はその言葉を信じたと」

「! ……し、信じるよ! だって友達だもん!」

「いいかい、シエルさん」

 彼は力強くシロの目を見つめた。

他人ひとが本当はどう思っているのか、なんて誰にもわからない。彼は上辺では君の友達を装っているかもしれないけど、本心では真反対に、君の事なんて大嫌いなのかもしれない」

「そっ! そんな事無い! 大体、私クロに嫌われる様な事……」

 その時シロの動きが止まった。何か思い当たる節があったのか。

「……ち……違う……」

 彼女は頭を抱えてふるふると首を左右に振り始めた。

「違う違う違う違う違う違う違う違う! 違うっ!!」

 ……チェックメイト……まさか自分から詰まれるなんて。

「落ち着くんだシエルさん。落ち着いて」

 彼女の手を握りながらもう一度見つめる。これで終わりだ。もう逃れられない。

「あ……うん……………………」

 シロの目が虚ろになる。

 ……堕ちたな。

 彼の微笑んでいた口が怪しく歪んだ。

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