●5日目 01 午後『野球』

 カキーン。晩秋の青空に乾いた金属音が響く。さらに、黄色い女子生徒の歓声がそれに続いた。


「脳天気すぎねぇか?」


 校庭でいつものように沙希の背後に立つ梶原は、目の前で行われているレクリエーションを眺めながらつぶやく。

「でも、理にかなっていると思いますよ」


 こちらもいつものように営業スマイルを浮かべている光沢。


「あの副会長の提案だもの。あたしもこれを実施することの意義は十分にあると思うわ」


 そして、二人の前でパイプ椅子に座ってふんぞり返っている沙希。

 現在、校庭では生き残った女子生徒たちが集められ、球技大会が行われている。競技は野球。くじびきで適当に決められた。男子たちは体育館に集められドッジボールの試合をしている。


 この非常事態の中、なぜこんなことをやっているのかというと、副会長である高阪の提案によるものだった。


「今後校庭を一般生徒に開放した場合、変質者さんたちがどういう動きをするのか見極めたいのね。興奮して暴れたり、強引に校庭に押し入ろうとする人もいるかもしれない。そうなった時治安担当がどうやって対処するのか、どのルートで校庭警備を実施すればいいのか、試しておけば、この先もやりやすいと思うんだけど。なんて」


 理屈的には十分納得できるものだった。不測の事態ができるだけ起きにくい環境で、変質者たちを意図的に挑発し、連中の動きを探る。奴らについての情報はあればあるほどいい。


 同時に無事にレクリエーションを通じて、生徒たちにはこの学校敷地内は安全であるというアピールにもつながる。今までの校舎二階三階での監禁生活から開放されたと実感させられれば、かなりのストレス解消になるはずだ。


 ただし、この球技大会には理瀬率いる清掃担当は参加していない。彼女らは今校舎一階の清掃でてんてこ舞いだ。遺体は昨日全て埋葬したが、床や壁に拡がる血糊を洗い流さなければ、伝染病の元になりかねないし、視覚的にも生徒たちの気分を暗くしてしまう。


「まあしかし、最初は生徒たちも怖がっていましたが、今ではノリノリのようですし、成功といえるのではないでしょうか」


 そんな光沢に、沙希は軽く頷いた。


 午前中から始まったこの行事は、最初は緊張感が漂っていたが、時間が進むにつれて生徒たちの顔色を明るくしていった。訛った身体を動かしてストレス発散できたのもあるが、何よりも学校行事らしいことをして、少しだけでも日常生活が取り戻せたという安堵感を得たのだろう。


 午後の昼下がりになり、いよいよ決勝戦が始まる頃には変質者達のことなんてすっかり忘れて大盛り上がりになっていた。


「残りは決勝戦だけか。もう問題は起きそうにないな」


 いつもの無愛想な顔で梶原は周囲を見渡す。校庭や防球ネットの外側では、変質者の大群がかぶりつくようにこっちを見つめているが、それ以上何かをするつもりは無さそうだった。


 決勝戦は沙希のクラスと三年生の連合クラスだった。三年は生存者が少なかったため、一クラスとして再編成されている。


 だが、試合が始まったとたんにアクシデントが発生してしまった。沙希のクラスの出場選手が一人足をひねらせてしまい、参加の続行が不可能になってしまった。

 というわけで、観戦しているクラスメイトに参加を促そうとしたが、


「お前もクラスの一人だろ? だったら参加すればいいじゃねぇか」

「ほう、それは面白そうですね。僕も賛成です」


 梶原と光沢がよりにもよって沙希自身の参加を勧め始めた。同時に見物していた女子の数人が「生徒会長―、がんばってー」なんて黄色い掛け声まであげてくる。


「ったく」


 これにまた押し付けかいと愚痴をこぼしながらも結局バットを握った。なんだかんだで沙希自身も学校に閉じ込められていた状態から解放されて、身体を動かしたい気分だったからだ。


 守備は面倒だからDHとして試合に参加することにする。この試合は一人でも多くの生徒が参加できるようにDHが採用されていた。


 バッターボックスに立つ沙希を見つつ、いつものスマイルで眺めていた光沢は梶原に、


「彼女は、スポーツはできる方なんですか?」

「昔二人でボールを投げたり打ったりしたことはあるが、大したことねぇな。でもたぶんヒットを打つだろ」

「ほう? その自信は興味深いですね」


 ここで光沢は何か思いついたように顎に手を当てて、


「子供の頃はよく二人で野球を?」

「一時期あいつがはまっていたな。野球に少年漫画の必殺技を組み合わせれば最強とか言って、腰だめでバットをなんとかスラッシュとか叫びながら振り回していて――っ」

「人のトラウマをえぐるんじゃない!」


 人の黒歴史を掘り返し始めた梶原の頭に靴を投げつける。しかし、直撃したもののほとんど動じず、すぐさま靴を軽く沙希に向けて投げ返す。


 光沢は苦笑しつつ、


「子供の頃の話でしょう? 別に恥じることでもないと思いますが」

「恥ずかしいもんは恥ずかしいんだから仕方がないのよ」


 沙希は靴を履き直してついでに気も取り直してからまたバッターボックスに立つ。


 そして、相手のピッチャーのやまなりボールにうまくボールに合わせてポコンと内野の後ろに落ちるヒットを打っていた。素人な守備がバタついている間に二塁まで進む。


「あいつは目がいい。それに判断力もある」

「さすがですね。活躍が期待できそうです」


 しかし、すぐに沙希はふくれっ面でベンチに引き下がることになる。ヒットを打ったまではよかったが、ベースから離れて胸を張っていたところ、戻ってきたボールをタッチされてアウトになってしまったのだ。


「だがルールは知らない」

「……これはこれで別の意味合いではおいしいところです」


 腕組みして苦笑する光沢だった。


「クソッ、次はホームラン打って歩いて返ってきてやるわよ」


 一方の沙希は馬鹿らしいミスで恥をかいたと、素振りして次の打席に備え始めた。

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