●3日目 01 早朝『自分のせいで誰かが死ぬ』

 だが、結果として全く覚悟が出来ていなかったと理解したのは、食糧確保作戦が始まってからわずか二十分後だった。


「おい、何があったんだ!? ちゃんと言え!」


 生徒会室にいた治安担当の一人がしきりにトランシーバーで怒鳴っている。しかし、向こう側から返ってくる言葉は怒声・罵声・悲鳴が入り混じった騒乱だけ。


 八幡が立案した作戦はシンプルなものだった。開始は日が昇った直後の朝七時前。作戦に参加する20名を副指揮官の杉内が動かす先発隊と指揮官である八幡が動かす後発隊に半分ずつ分け、まず先発隊が手ぶらで学校を出て1km先にあるスーパーマーケットにたどり着き、変質者の排除と食料運び出しの準備を進める。

 

 先発隊が出てしばらく立った後に後発隊が校庭にある体育用具入れに置かれているリヤカー二台を持ち出し、それを引っ張ってスーパーマーケットへ移動。到着次第、先発隊がリヤカーに食料を詰め込み学校へ引き返し、後発隊は別の道で敵を引きつけながら学校へ戻る。


 八幡が用意した三台のトランシーバーを先発隊・後発隊・生徒会室に置き、絶えず情報を交換しながら不測の事態に対応する。治安担当チームが前日の変質者たちの様子を探った限り、力は強いが動きはのろく、朝方は家に閉じこもっているようで外にはあまり出てきていないという情報からみても作戦は簡単に進むのではないかと楽観したぐらいだった。


 しかし現実は違った。


「――やられた! 一人やられた!」


 ようやく聞こえてきた後発隊からの連絡。生徒会室で作戦を統括していた沙希は、その言葉を聞いた瞬間全身から一斉に血が引く音がした。比喩などではなく本当に耳の中をその音が響いている。


「ああくそ! やったのはあいつの家族だよ! みんなで無視しろといったけどあいつ我慢できずに家族のところに行ったんだ! そうしたら一気に取り押さえられて……今家族に食われてる……っ」


 だんだん意気消沈していく声。沙希はもう呆然とそれを聞くしか無い。やがて、周りの声が遠くなり、代わりに誰かの囁きだけが耳に届き始める。


 生徒が死んだ。

 誰が殺した?


 それは変質者たちよ。

 そうね。だがそこに行けと指示したのは誰?


 それは……あたしだ。

 お前がいけといった。その結果死んだ。

 ならお前が殺したのも同然だろ?


 自分が殺した。そう認識したとたん沙希の時間が戻る。同時にやってきたのは猛烈な嘔吐感とめまいだ。噴水のように食道を胃液が逆流し、反射的に抑えようとするもののとても追いつかない。


 彼女は一目散に――立場も無視して生徒会室を飛び出す。周囲には今日から始まっている担当作業を行なっている生徒たちがいたが、そんな目も気にせず一目散に最寄りの女子トイレに駆け込んだ。そして、ここ二日何も食べていなかったため胃液ばかりが口から吹き出し、洗面所にぶちまけられた。


 ――あたしが殺した。あたしのせいで死んだ。あたしのせいで――


 頭の中に後悔・不安・疑念・反発・失望と負の感情が渦巻き、嘔吐が続く。


 そんな状態が収まらず、激しく咳き込み続けるが、


「大丈夫?」


 いつのまにか隣には心配そうに背中をさすってくれる理瀬の姿がある。心配して見に来てくれたらしい。


 信頼出来る友人がそばに来てくれたからだろうか、ほどなくして嘔吐感だけは収まり始め、胃液で喉が焼かれた不愉快な痛みだけが残る。


「大丈夫……あんたのせいじゃない。悪いのは私たちをこんなことに追い込んだ連中なんだよ。だから大丈夫……」


 すっと理瀬が背後から抱きしめて頭を撫でてくれた。


 やさしく介抱された沙希はなんとか立ち直るものの、足腰が震えてまともに立つことも出来ず床に座り込んでしまう。


 ふと、ここで気がつく。目の前に一人の女子生徒が立っていた。


「ちょっといいかな?」


 沙希が残る軽い目眩に耐えながら見上げてみると、そこには前生徒会長であり学校始まって以来の天才と名高いあの高阪美咲の姿があった。普段――まだ平穏だった学校生活の時と変わらず底が見えないほど優しい笑みを浮かべている。その背後には女子トイレ前にいたはずの梶原の姿もあった。肩をつかんでいるところを見ると、制止しようとして振り切られたのだろう。


 沙希が口を開こうにも胃液で喉が痛み、上手くしゃべれないでいると、


「他の担当チームでわからないことが出て困っている人たちがたくさんいるの。そっちの人たちにも指示を出してほしいかな」


 そこで手を合わせてかわいらしくお願いを表すポーズを取ると、


「なんて」


 高阪の唯一の欠点といわれていたのが、意見を言った後に独特のポーズで「なんて」とつける口癖だった。たまに注意されていたらしいがどうにもこうにもやめられないらしく、この癖は生徒会から身を引いた後でも直せていないようだ。もっとも男子からはかわいいとして欠点どころか人気ポイントを押し上げる要因になっていたが。


 これに理瀬が激高して、


「何言っているの!? 今はそれどころじゃないって見ればわかるでしょ!」


 しかし、高阪は表情を変えず、


「大変なのはわかるけど、一部だけが動いている訳じゃないのと思うの。みんな始めたばかりでわからないことも多いから。だから、導いてくれる人がいないとね――なんて」


 優しい笑みを全く崩すことのない高阪。営業スマイルか胡散臭い笑みを浮かべる光沢ですらたまには真剣な表情をしたりするが、彼女は微妙に感情が混ざる程度で笑を絶やすことは全くなかった。


 沙希は理瀬から離れてトイレの床に尻をついたまま少しだけ考える。そして、


「なんであなたが言いに来た? 他の担当が言いに来れば良いだけなのに」

「ほら、みんな大変な状況だってわかっているから聞きづらいみたい。それでね、私のところに相談されたちゃって。でも、私は地位のないひとりの生徒だから決定できないから、代わりに相談に来たの」


 やはり高阪を頼っている人は多いようだと感じる沙希。同時にわざわざ聞きに来ると言うことは彼女が独断で行動を起こす気はないという確信も得る。

 だが、理瀬は納得せず、


「沙希がどんな状態なのかわかっているはずじゃない! こんな……事になっているのにこれ以上何かしろって言うの!?」


「…………」


 その抗議に高阪は何も答えない。他のことには全く耳を貸さずただじっと柔らかい笑みを浮かべて沙希を見ている。


 沙希は彼女が何を言いたいのか、薄々理解し始めた。地位もないのに頼られている、そしてわざわざそれを自ら言いに来た。


 なら、狙いは一つしか思い当たらない。


 すっと手を振って理瀬を制止し俯いたまま、


「確かにそれはあたしのやるべき事だ。でもごらんの通りとても周りに気を回す余裕なんてない。だから――」


 ――沙希は一旦咳き込んで喉の胃液を取り払う――


「あなたに託すことにする」


 この発言に驚いたのは理瀬と梶原だった。この学校内の自治は生徒会長である沙希が全て決定する。それが絶対という方針をあっさり翻して高阪にその一部を移譲するというのだ。


「本気なの?」

「本気か?」


 理瀬と梶原が交互に確認してきた。弱気になっているのでヤケ気味に言っているのではと疑っているに違いない。

 だが、沙希は頷くとまた高阪に視線を合わせ、


「食糧確保作戦の間は、それ以外の事に関して決定権を与えるわ。独断で判断していい。ただしこっちの騒ぎが終わったら何をやったのか全部報告はしてもらうわよ」

「…………」


 高阪はいつもの笑みを浮かべたまま。


「最初からそれが目的でしょ」


 沙希の言葉にようやく少し困った感じになった高阪は、


「私のことちょっと過大評価しすぎじゃないかな、なんて。でもわかったわ。その指示に従います」


 すぐにいつもの笑みに戻ると、きびすを返してトイレから出て行こうとするが、そこで沙希は一旦呼び止める。


「一つ確認しておくわよ。この学校の自治で責任を負っているあたしがこんな状態なのを見た上で……それでもやりたいと思っているのよね?」


 その問いかけに、高阪は首だけ振り向き、


「……あなたが望んでいることなら。そして、みんなが望んでいることなら……なんて」


 それだけ言い残すと廊下に戻っていった。

 話をしていたおかげか少し楽になっていた沙希はふらふらと立ち上がる。


「無理しないほうがいいよ」

 沙希をいたわる理瀬。ふと洗面所の壁にある鏡に写った自分の顔。ひどい顔だ。


 彼女の頭にある考えがよぎる。このまま逃げ出してしまおうか。


 同時に脳裏にそうした場合どうなるかというシミュレートが流れ始めた。偉そうに構内に自治を宣言した生徒会長が突然失踪。当然大混乱。そのまま崩壊へ。具体的に考えるまでもない。


「ははっ」


 命じたわけでもないのに勝手に生徒会室へ向けて歩き出す自らの足に、思わず口から笑い声が漏れた。


 生徒会室に戻らなければならない。この仕事は自分がやらなければならないのだ。自分が――


「行こう。大丈夫、私はあんたについていくよ」


 理瀬が肩を貸してくれる。そして、踏み出した足で廊下に出ようとした時だった。

 突然梶原が二人を遮るように立つ。


「逃げりゃいいじゃねえか」


 その目はどこか辛さで滲んでいる。

 

「無理だろ。お前のガラじゃねえよ。よく知らねえ連中のためにお前が苦しんでまでやることじゃねえよ。昔のお前みたいに身勝手に振る舞えばいいじゃねえか……」


 そんな梶原に沙希は気がつく。こいつはやっぱり昔のままだ。何も変わってない。むしろ変わることを拒否しているようにすら思える。

 

 沙希もこの状況を乗り越えるために昔に戻ろうと思った。だが自分のせいで誰かが死んだという事実を突きつけられた時にはっきりとわかった。


「あんたやっぱり昔のままなのね」

「…………」


 梶原は立ったまま何も答えない。沙希はその脇を理瀬と一緒に通り過ぎ、


「でも昔のままじゃ無理よ。さっきそれをはっきりと思い知った。だから――あたしはもっと先に行く」


 ここで疲れ果てながらも傲慢な笑みを見せ、


「だから梶原もついてこい。昔みたいにあたしの後ろを」


 その言葉に梶原はただ黙って沙希の後ろを歩く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る