4.6 ただ静かに蝕んでゆく


 仙田朔矢が、店の制服姿のまま、私たちの向かい側に腰を下ろした。

「まあまあ、いいじゃないそのくらい。それじゃ、ごゆっくり」

 マスターは、そう言って踵を返す。


「まったく……。ごめんね、余計な話に付き合わせちゃって」

 非常に物腰が柔らかく、落ち着いている。老けているとかそういったことではなく、普通の高校生にはないような大人っぽさがあるのだ。これも叔父であるマスターの影響だろうか。


「いや、そんな。ちゃんと将来のこととか考えてて、すごいなって思いました。私なんか、何もなくって……。あっ、えっと、二年三組の鳴瀬琴葉ことはです。弓槻くんの助手みたいなことをやってます。よろしくお願いします」

 自己紹介が変なタイミングになってしまった。


「弓槻くんから聞いてるよ。仙田朔矢です。こちらこそよろしくね、鳴瀬さん」

 私に向けられた柔和な笑みはやはり大人びていて、不覚にもドキッとしてしまう。動揺するな。バーテンダーの仕事で身に付けた営業スマイルに違いない。


「さて、いくつか質問をさせてもらってもいいか」

 しばらく黙っていた弓槻くんが口を開いた。

「うん。大丈夫だよ」


「猫は好きか?」

 ストレートな問い。

「猫……か。実は、動物は苦手なんだよね」

 その答えに、私と弓槻くんは顔を見合わせる。


「それは昔からか?」

「うん。俺は少し潔癖症気味なところがあって、どうしても動物に触ったり近づいたりできないんだ」

「なるほど、潔癖症か」

 弓槻くんがタブレットに書き込みをする。


「普段の生活にはあまり支障はないけどね。それで、俺が猫を好きかどうかってことに何か意味があるの?」

 三人目にもなると、そんな質問をされても私ですら動じない。


「ああ。実は、霊力の高い黒猫がこの辺りに出るらしいんだ。猫好きの人間に取り憑く可能性がある。苦手なら問題ないとは思うが、注意するに越したことはない。気を付けてくれ」


 毎度お馴染みの作り話。それを聞いて、與くんは戸惑い、燈麻実律は相手にせずやり過ごした。普通、反応はそのどちらかになるはずである。

 しかし仙田朔矢の反応は、そのどちらとも違っていた。


「へえ。黒猫って、何だかそういう力ありそうだもんね。気を付けるよ。ありがとう」

 弓槻くんの大嘘を、笑顔であっさりと受け入れたのだ。


 バーにはきっと、色んなお客さんが来る。おそらく、自称霊能力者の一人や二人、珍しくもなんともないに違いない。今みたいな胡散臭い話も聞かされるかもしれない。その場合、物事の真偽などは二の次だ。相手の望む返答さえできていれば、それがそのまま正しい答えとなる。そんな感じのことが書かれている小説を読んだ覚えがあった。


「その黒猫なんだが、もし見つけたら連絡してほしい。被害者が出る前に捕まえたいんだ」

 弓槻くんも少し驚いたようだったけど、そのまま会話を続けた。チョコを心配しているのだろう。


「わかった。黒猫だね」

 本気でそう言ってくれているのか、心の内では私たちのことをバカにしているのか、その笑顔からは読み取れない。が、休憩時間を割いてまで話を聞いてくれているところを見るに、私たちに対して悪い印象は抱いていないと思っておく。


 美味しいコーヒーを飲み干して、私たちは店を出る。仙田くんとマスターは笑顔で見送ってくれた。


冷房が効いていた店内から一転、ジメジメした空気が肌に絡みつく。地獄のようにい。マスターが話してくれたタレーランさんの言葉が、私の脳裏をよぎる。




 これからのことを話し合うため、私たちは一度学校に戻ることになった。

「仙田朔矢はどうだった?」

「うーん。わからない。今回も特に何も感じなかったけど」


 彼の笑顔には思わずちょっとドキッとしてしまったけど、今まで男の人の爽やかな笑顔を生で見る機会なんて、私にはほとんどなかったからだろう。


「猫が苦手だと言っていたな」

「うん。でも、猫自体が苦手っていうより、潔癖症のせいで猫に近づけないって感じだったよね」


「そうだな。潔癖症が生まれ変わるときに引き継がれる事例は聞いたことがない。そもそも、シロちゃんが潔癖症だった証拠もない。なんとも言えないな」

 そんなやり取りを交わしながら、嶺明高校までの道を歩いた。


「今日も調べることがあるの?」

 オカルト研究同好会の部室で、私は弓槻くんに言う。


「ああ。もう少しで、君がシロちゃんの顔が思い出せない理由が判明しそうなんだ。俺の予測通りなら、かなり進展するかもしれない。今はその裏付けをとっているところだ。完全にそうと決まったわけではないから、その予測についてはまだ教えられないがな」


「シロちゃんの顔が思い出せない理由……」

 なんだろう。気になって今すぐ知りたいけれど、教えてくれそうにもない。それに、予測が外れていたら落ち込んでしまうと思う。弓槻くんはそんな私のことを理解したうえで、まだ教えられないと言っているのだろう。


 しかし、期待せずにはいられない。私一人ではどうすることもできなかったはずの悩みが、弓槻くんのおかげで、どんどん解決に向かって動いている。この人に相談して、本当によかった。何回目になるかわからないその言葉を、私はまた心の中で呟いた。


「明日も、またここに来ればいい?」

「そうだな。四人目はかなり変人だから覚悟をしておいた方がいい」

 その口ぶりからすると、四人目の候補である伊凪洸いなぎこうという人物は、弓槻くんの知り合いなのだろうか。それに、変人って……。変人の弓槻くんが変人なんていうくらいだから、相当変な人なのだろう。

「覚悟……ねぇ」




 また明日も、起きたら月守風呼の記憶がよみがえっているのだろうか。そんなことを考えながら、私は布団の上で仰向けになっていた。もしもそうだとしたら、シロちゃんの生まれ変わりに関するヒントをください。あなたも早く、シロちゃんに会いたいでしょ? 自分の前世に向かってそう願ってみる。


 シロちゃんに会いたい気持ちが、すでに月守風呼だけのものではないことを、私は自覚していた。前世の恋人への想いが、自分の中でどんどん大きくなっていることもわかる。


 恋をしていると言ってもいいんじゃないかと思えるほど、シロちゃんは私の頭の中で存在感を強くしていた。


 今まで会ったシロちゃんの生まれ変わり候補の三人の中に、私の運命の相手はいるのだろうか。


 今日は、燈麻実律と仙田朔矢に話を聞いた。しかし私は二人に会っても、運命だとか繋がりだとか、ピンとくるものはなかった。與くんに関しても同様である。彼とは前から知り合いではあったけど、恋愛感情を抱いたことなんて一度もなかった。向こうも私に対して、そういった感情はないだろう。


 引っかかりを感じたのは、事故の記憶の中での、シロちゃんとの最後の会話を思い出していたときだった。


 シロちゃんは『会いに来て』と、そう言っていた。なぜ、受け身だったのだろうか。それが少しだけ、気になった。

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