第21話 心の距離

「ディオネ……と、話がしたくて」


 初めての同世代の異性を相手に、恐る恐る話しかけるハク。ディオネの冷たい目線と態度に心が折れかけるが、何とか言葉を発することができた。


「そう。……まあいいわ」

 ディオネは左手で風を足元に集め、ゆっくりと地に降りた。

 透き通るような青い瞳が、ハクの双眸を捉える。


「……聞いたんでしょ? サキから。……あたしが皆から避けられてるって」

 サキというのは、ラドとハクに話しかけてきた女の子を指しているようだ。そう言うディオネの瞳が、再び寂しさを含んだ陰りを見せる。


「あ……いや」

「いいのよ、本当のことだから。……それで、話って?」


 返事に困ってしまうハクと、話を急かすディオネ。二人の間に、早くも少しずつ溝ができ始めたかにみえた。


「その……。ディオネのこと、教えて欲しいんだ」


 予想とあまりにも違ったハクの発言に、ディオネは数秒間固まってしまう。


 言葉の意味をようやく飲み込めたディオネは、思わず吹き出して笑ってしまった。

「……あはははっ! なによそれー? ハク、あなた変わってるわ!」


 ディオネの表情が初めて、仮面ではない本来の笑顔を形作る。その笑顔は、夜空に浮かぶ星々よりもずっと眩しく輝いていた。


 遠くから、空を切る翼の羽音が聞こえてくる。


 飛んできたラドは二人の側に降り立つと、二人の顔を見上げて微笑んだ。

「……ハクもディオネもやっぱりここにいたんだね。……邪魔しちゃった?」


 ディオネの表情が柔らかくなっているのを見て、ラドは安心しながら軽口を叩く。


「え? なにが?」

「そんなわけないでしょ!」

 何を言っているのか理解できないハクと、顔を赤くするディオネ。


 二つの対照的な顔を面白く見ながら、ラドも二人の間に自然に溶け込んでいく。


 今日だけ、今夜だけ、ディオネは孤独に浸ることを諦めた。

「はぁ……。何だか調子が狂うわ。それより、話なら屋敷に戻ってからにしましょう」


 ディオネはわざとらしくため息をつき、屋敷に向かって歩き出した。ハクとラドもそれの横に並ぶ。

「そういえばあなた達、今日はどこに泊まるの?」

 ハクよりも数センチ高いディオネの目線が横を向く。


「さっきイリーナが、今日はこの屋敷に泊まっていきなさい、って言ってた」

 つい先ほど言われたイリーナからの言葉を思い出すラド。

「イリーナ様、よ。……そう。ならあたしと一緒ね」


 二人と一頭は喋りながら屋敷へ向かう。


 途中で妖精族の大人と数人すれ違うが、彼らはそれを視界に入れながらも一向に見ようとはしなかった。

 ディオネにとって、それはいつものこと。ハクとラドには、その見えない壁はまるで気付くことができない。


 ディオネは彼らと同じように、意識的に大人達を自身の世界から遠ざける。そして、心の中にゆっくりと入ってくる来客に意識を向けた。


 —— — — —


 ハク達が屋敷に帰ってくると、少し異様なにおいが客間に漂っていた。どうやら、イリーナとライアスが酒を飲んでいるようである。


「あらあら! 三人仲良く帰ってきたのねー! ふふふふっ」

 ラドが屋敷を出てから、まだ少ししか経過していないはずである。しかし先ほどまでと違い、イリーナの顔は明らかに赤くなっていた。


「なに? このにおい……」

 初めての酒のにおいに、ハクは顔をしかめてしまう。隣にいるラドも、右の翼で鼻先を隠している。


「この村で造っているお酒よ。麦と薬草を混ぜて造っているらしいわ。……大人達は皆、お酒が好きみたい」

 嫌だわ、などと付け加えながら、ディオネは冷めた目を大人二人に向ける。

 しかしその眼差しは、一人でいるときの冷たい目つきではなく、どこか温かい光を伴っているものだった。


「おお、帰ったか。イリーナ殿に、この酒が美味い、と勧められてな」

 背を向けて座っていたライアスが、座ったままこちらを振り向いて話しかける。笑っているイリーナとは対照的に、ライアスは普段とそれほど変化はなかった。


「ただいま帰りました」

「ただいま。……ほら、ハクも」

 ディオネとラドが、挨拶をする。


「……ただいま」

 そして、ハクも。


「ああ」

 ライアスは少しだけ微笑み、再び前を向く。そして、お猪口に残っていた酒をグイッとあおった。


 ハクが初めて、ライアスへ言葉を向けた瞬間だった。



「あらあら! いい呑みっぷり! ささ、もう一杯!」

 イリーナも上機嫌にライアスにお酌をする。


「じゃあ、あたし達は奥の部屋へ行きましょうか。ここだと邪魔になるし、それにお酒臭いし」

 ディオネの提案で、子ども達は奥の部屋へ向かうことにした。


「そうだね」

「うん」

 ラドとハクもそれに従い、奥の部屋へと進んでいった。



 奥の部屋へと子ども達が消える。イリーナはちびちびと酒を呑みながら思い耽る。


(——そう。まだぎこちないけど、笑えるようになったのね、ディオネ)


 ライアスも、ハクとの心の距離が遠いのをずっと感じていた。挨拶だけだったが、やっと言葉を交わすことができた。


「おや、イリーナ殿もお猪口が空になってしまいましたね。ささ、もう一杯」



 嬉しさを肴に酒をあおる二人。


 二つの小さな笑い声はこの夜、一晩中途切れることはなかった。

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