3
朝から客先へ直行で向かうことになった。自宅からは少し面倒な場所に位地しているため、普段よりも少しばかり早く家をでる。
バスに乗り、小一時間は揺られることになるだろうか。なんとなしに窓から外を眺めてみる。
──桜か……。
もう5度目の春。4月を少し過ぎた頃であった。
颯爽と揺れる木々。淡いピンクの花びらが懸命に人々を魅了し、そして務めを終えたものから散っていく。
有紀(ゆき)はそんな桜が好きだった。儚いものが好きだったように思う。人の命も……儚いものだ。
『次は桜台四丁目』
「お、おります!」
ハッとしてここ最近で一番大きな声がでてしまった。考え事をするのも大概にしなくてはならないと、それを体から吐き出すかのように溜息をついた。
降りた場所は桜台という地名だけあって、桜がそこら中に咲いていた。客先の方角だけを確認すると俯いて川沿いの並木道を歩いていく。
そして『田中鉄工所』と易い看板が水面に反射したのを目視して、ようやく顔をあげた。
◇
「契約……解除でしょうか。弊社の製品に何かご不満でも」
「あぁ、うちも小さい会社だろ? 義理と人情で商売してるもんでね、君みたいに覇気のない会社は破棄~ってな」
その場にいる社員も社長も大笑い。その空気にあわせて笑うことしかできなかった。
「ははは、そうですか」
すると次の瞬間にはその場の空気が凍てついた。急に真面目な顔をした田中社長が言いにくそうに口を開く。
「ほら、そういうとこ。なにが何でもって必死さが全く窺えない。うちも経営カツカツなんだ。信頼できるとこと契約したいのよ」
田中社長は「安藤くんとは付き合い長いけどさ……」と付け足した後、背中を向けて目をあわせてくれなかった。
「わかりました……」
特段なにも気にしていなかった。ツイていなかっただけだ。今日も年下の課長に頭を下げればそれでいい。
他にも店舗を回らなければならない。少し急ごう。それくらいの事しか考えていなかった。
◇
「契約更新につきまして、ありがとうございます。加えてなのですが、こちら新商品の……」
『契約の更新サインを貰ったら新商品の宣伝をしろ』
営業部のマニュアルに書いてある言葉。その説明途中、先方の女社長がタバコの煙を俺に吹きかけていう。
「面白味のない人ね」
唐突な言葉だった。
「面白味……でしょうか?」
「契約は更新のままでいいわ。でもあなたは二度とこないで頂戴」
「はぁ……」
──面白味……か。
言われたことについて考えながら会社への帰路につく。
有紀が生きていた頃は……家族三人で色々な場所へ出かけて、楽しい思い出を作ってきた。彼女が亡くなってからは一度もしていない。楽しい思い出なんて作っちゃいけないんだ。
そんなこと、有紀に申し訳なくて自分自身が許さない。それ以前に有紀が許さないだろう。早希だってこれまで何かを望むことはなかった。
俺との楽しい思い出など望んではいないんだ。
俺に面白味なんていらない。償わなければならない。
そんな自分自身への洗脳を繰り返しているとあっという間に会社へと到着していた。
「だからさー安藤さーーーーん、なーんーでーこんな契約もとってこれないんだよ!」
「申し訳ございません」
課長の上島(うえしま)は怒るとタコのように赤くなる。これも見慣れた光景になってしまっていた。
「あんたさ、福田部長のお情けで課に残れてるのわかってる? こっちはいい迷惑なんだよ、この課にいるのならしっかり仕事しろこの給料泥棒が!」
給料泥棒か、それは中々的を射ているな。流石一課長になるだけはある。
「申し訳ございませんでした」
俺は謝罪の気持ちなど微塵もなかったが、もう一度頭を下げた。
◇
「お前な~あれは無いぞぉ?」
ビールを既に四杯も飲んでいる福田。絡み始めると少し面倒になる。
「なにが?」
「上島に給料泥棒だなんて言われて悔しくないのかよ!」
「別に? 中々、的を射ていると思ったぞ」
俺の言葉に腹が立ったのか福田は飲み屋のテーブルを少し強く手で叩いた。
「あのなぁ、俺は悔しいよ。以前のお前はどこに行った? いつも営業成績トップだったお前はどこに行ったんだ? あの気さくで明るかったお前はどこに行ったんだよー!」
『バカバカ』なんて45歳にもなったオヤジが可愛い子ぶりながら俺の頭を何度も殴る。そして急に真面目な顔つきになって静かにその言葉を発した。
「これ以上、庇うのは状況的にきつい。そろそろ立ち直ってくれよ」
「立ち直る? その考えがよくわからない。有紀は帰ってこないんだぞ?」
福田と俺は大学以来の付き合いだ。有紀のこともよく知っている。それなのに、なぜそんな事が易々と言えるのか不思議でしょうがなかった。
一瞬、罰が悪そうな表情を浮かべた福田が続ける。
「……早希ちゃんもいるんだぞ? もっと頑張らないと首が飛ぶぞ」
「別に仕事なんて用務員でも何でもやるさ」
仕事なんてなんだっていい。
ただ、早希には幸せになってもらいたい。
その感情は唯一の我侭(わがまま)なのかもしれない。
「なぁ福田。俺は変わったのか?」
俺にとって至って真面目な質問だった。
「お前、自分で変わったと思わないのか?」
「わからないんだ。昔の自分がうまく思い出せない」
事故の後遺症? そうではないと思う。
「お前は変わったよ、有紀ちゃんのことそれだけ大事に想っていたのはわかる……でもな、前見て歩かなきゃ辛いだけだぞ」
福田は最愛の妻を亡くしたことがないから、他人事(たにんごと)のようにそう言う。無性に苛立ちをおぼえた俺は、立ち上がると福田のめくれあがったワイシャツの裾を引っ張った。
「福田飲み過ぎだぞ、そろそろ帰ろう」
そして強引に福田を連れて店をでる。
「だいたいにゃー、今のお前はクソ真面目すぎんのー、昔はほどよくいい配分でやってちゃろー」
「はいはい」
福田の肩を担いで家路につく。福田の家はうちの近所のマンションで、歩いて2、3分の距離だった。本当は振り落として帰りたいところだが、そういった事情でこいつのお守りをしなければならないのがいつもの役回りだ。
玄関のチャイムを鳴らすと元気良い返事とともに姿を現した福田の奥さんの良子(りょうこ)さん。
「それじゃ、よろしく良子さん」
「いつもごめんねー」
良子さんに福田を任せると軽く会釈してその場を立ち去ろうとした。しかし、彼女の声が俺を引き留めた。
「弘則(ひろのり)くん、今度早希ちゃんも連れてバーベキューでもいかない?」
「…………せっかくだけど遠慮しておく」
「そっか……」
少しだけ悲しそうな表情をした良子さんに申し訳ない気持ちになったが、やはり楽しい思い出など作る資格はないのだと言い聞かせる。
「よければ早希だけでも連れて行ってやってください」
もう一度頭を下げて逃げるようにその場を後にした。
福田の家にも一人息子がいる。早希の一つ年下の14歳だったか……。二人は同じ中学にも通っていて親同士が仲がいいせいか、今でもよく遊んでいるらしい。
らしいというのは……やめよう。
福田のマンションを出たところで腕時計に目を向ける。時刻は23時5分。いつもよりかなり遅くなってしまっていた。
──早希はもう寝てしまったか。
程なくしてたどり着いた自宅のポストを開けると一通の手紙が入っていた。
──今時、手紙など珍しいものだな。
そんな風に思いながら表の宛名を確認する。
『安藤 弘則 様』
手書きの宛名。続けて裏の差出人を確認し、俺は歩みを止めた。
『安藤 有紀』
体が硬直する。そんなはずはない。
妻は五年も前に死んでいるのだ。
慌てて封を破るように切ると内容を確認する。手書きの文面。一通り目を通して悪質な悪戯であることを察すると横一線に破り捨てようとした。が、寸前でそれをやめる。
もう一度だけ差出人を確認した俺は、真っ暗なリビングが待つ自宅の扉を開けた。
「ただいま」
──そういえば、今日は妻の月命日だったな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます