『神戸メルヘン』
北風 嵐
第1話 坂の街
わたしたちの街では、道を歩くということは、坂を登ること、坂を下ることを意味します。
異人さんの名前がついた坂があるのは神戸ぐらいです。
E・H・ハンター邸はこの坂の登り詰めた所にありました。
英国生まれの彼はこよなく日本を愛し、日本人の妻を貰い、日本に帰化しました。
彼を愛した神戸の人たちはこの坂に彼の名前をつけました。
彼の趣味はハンティングで熊打ちの名手でありました。
『ハンター坂』出来すぎた名前ではありませんか。
神戸では油断していると、坂を転がり落ちてしまいます。
坂を下って海まで転げ落ちた例は山ほど、あります。
オランダ人の赤ちゃんを載せた乳母車が、港まで転がってインド人の赤ちゃんになった話。
自転車のブレーキが効かなくなって、メリケン波止場を突っ切ってアメリカ行きの汽船に乗った少年の話し。
この話には後があって、帰って来た青年がアップルパイを作って露天で売ったところ、これを食べたお客たちが「こんな美味しいものを食べたことがないと」お金を出し合ってお店を作ったという。
嘘だと思うなら行ってみなさい、今でもあるはずだから。間違ってはいけませんよ、メリケン波止場をまっすぐ山に、道を4つ横切った右側の角、確か戦争中もありました。
赤いローラースケート靴を履いた赤毛の少女は、南京町に紛れ込んで、行方不明になった悲しい話し。売られて香港にいるとも、南京町に帰ってきて、〈小さな豚まん〉の名物の店をやっているとも説は定かでありません。小さな豚まんの塩味はあの子の涙だと言う人もありました。
さて、行こうか、もどろか、どちらへ曲ろか。神戸は坂の街なのです。
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