昨日から、四
「大丈夫だって眞鍋。俺たちの辞書に不可能はないっ。」
「舛添さんがその言葉使っても落丁だらけの辞書持ってるって意味にしかなりませんから……。」
マジ冗談じゃねぇぞなんでこんなことになってんだよ。二週間の勤務が終わってようやく東京に帰れるってその日、なんでか俺はコンビニのあの子に告白することになっていた。というのも何か二週間溜まりに溜まって溜まりまくった欲望は俺の目にあの子をAVにピンで主演できるくらいの美貌に錯覚させて、就寝前には「やりて~やりて~あのコとやりて~」とか言うようになっちゃってて、それをみんな冗談で聞いてくれてるのかと思ってたら舛添さんが「じゃあ明日告りに行くか。」とか言い出して俺は実年齢=彼女いない歴だったもんでいざという手段も思い浮かばず、舛添さんだって婚活サイトで嫁さんを見つけてるわけだしぢゃあどうしようかということになったら、自称元ホストで日焼けじゃなくて肝臓の病気で顔色が悪くなってるっぽい吉岡さんが「やっぱラブレターじゃないこういう場合?」と、ツイッターやらFacebookがあるこのご時勢に昭和気質丸出しのこと言い出して、そしたら梶原さんなんかも「やっぱりまずはそこからだよねぇ。」と相槌をうつもんだから結婚離婚経験のある年長者の言う事もあってしょうがなく「じゃあ書きますけど便箋とかあるんすか?」て聞いたら、「ルーズリーフの余りしかない……」って、アンタそれじゃあガキが授業時間に回す手紙みてぇになるし冗談かと思ったら、ホントにその紙に手紙を書く事になって、しかも彩るものがピンクと黄色の蛍光ペンしかないというどストライクぶりで、俺はしょうがなくそれに思いのタケを、そりゃああなたとハメたいですってのが本音だから書けるわけがなくて、なんつーか忙しい日々の中であなたの存在がゴニョゴニョと相部屋のやつらのもの笑いのタネになりながらの手紙をせっせと書きだしたのだ。
「あなたの働いている姿はまるで天使たちがバスケットボールをしているようだって入れなよ、中原中也の詩の引用だよ。ロマンチックじゃない。」と、梶原さんがアドバイスしてくれるが、アンタ、いきなりそんな引用しても相手ひくに決まってんじゃん……。
強調したいところで蛍光ペンを使おうとしたら見づらいし鉛筆のところが濁るしで何度かやりなおして、結果完成したのは黒色だけのまことに質素な代物だった。しかも久しぶりに鉛筆で字ぃ書いたからメチャ文章が汚いし。書き終わったあとに舛添さんが「酷ぇな……やっぱメアド渡して後はメールって方が良かったか?」と呟いたのが全てを物語っていた。
何気ない装いでコンビニ入店すると、実はどっかで今日は休んでてくれねぇかなって期待してたんだけど、期待とは裏腹に彼女はいつもどおりレジにいて、逃げ出そうにも外ではATMから客が金出すのを待ってるキャッチバーの店員みたいに皆が待機してたから仕方なしに人生でこんなにコンビニのレジに並ぶのに緊張することはないだろうってくらいに汗を流しながら待っていたら、とうとう俺のお会計になってしまった。
「あ、あどうも~。」
俺のどうしようもない姿が自動扉越しにでもわかったのだろう、外では同僚たちが体をくねらせて爆笑していた。
「はい、お待ちしてましたよ~。」
何だよ、待ってたって。期待させんじゃないのさ。とか都合の良い風に考えながら、俺は自分でも恥ずかしくなるくらい上ずった声で「実は、今日で俺ら帰っちゃうんですよね、東京に……。」と、照れながら鼻を掻くという、漫画でしか見たことないような動作と一緒にポケットにある手紙をまさぐり、その子はその子で「そうなんですか。残念です~」と、口を抑えながらこれまた漫画でしか見たことのないような仕草で驚いてくれた。いやぁ漫画みたいで俺たち気が合いますね、という言葉も出せずに俺が「で、あの……これ。」とうっすらと俺の手汗で湿っちゃってる折りたたまれたルーズリーフをレジに置くと、彼女はここに来て初めて見る真顔でその紙切れを見つめ続けた。
「……え?」
ホラダメじゃんっ、いきなりこんなことやられてもそりゃあ誰だって困るわぁ勘弁してくれよぉ、俺の中でちっさな俺が身悶えして転げまわっていた。何とか「あ、いやほら、もう会えなくなっちゃうから、良かったら連絡先をさっ。」という台詞を驚きの早口で言うと、横で並んでるやつの視線が痛くてそのまま店を飛び出そうとしたが、自動扉まで行くと「……ラークの6ミリ。」とレジまで戻った。そもそも買い物をしてないのを思い出した。ドラえもんの「忘れろ草」が猛烈に欲しい……。
俺が戻ると舛添さんが「いや、お前ら笑うなよ?男の失恋を笑うのは品位にかけるぞ?」と、他の面々に言い聞かせていた。何勝手に失敗に終わらせてんすか、つか一番あんたが笑ってんじゃん。吉岡さんは帰ってきたそんな俺に拍手をし、梶原さんが不自然なまでに暖かい眼差しを向けてきて、モッサンは斜視で定まらない視線で「フフフ……」と笑っていた。まぁ仕方ねぇ、失恋前提のしょうもない負け戦だ。笑っている俺たちに合わせたように、少し地面が揺れていた。震度4だった。
コンビニから帰ると荷物をまとめさせられ、速攻で関東に帰る準備に取り掛かった。被災地の復興はまだまだ続くのだろうけど、俺らみたいな人種がやれることはとりあえずこれで終わりということだ。卒業式じゃないけど、長いようで短かった二週間というわけだ。
俺たちにとっては放射性廃棄物並にデンジャラスな下着の数々をコンビニのビニールに慎重に何重にもくるみ、もともと少なかった荷物をまとめて会社のワゴンに乗り込んだ。生きのワゴンと違って帰りのワゴンはメチャ座り心地がいい感じがする。昔観た映画、多分ベトナム戦争とかのやつだったと思うけど、負傷した兵士が国に帰る飛行機に乗るシーンがあって、そこまで大げさじゃないけれど、その時の兵士は多分こんな気持ちだったんだろう。自分の人生に映画みたくBGMを流すなら、今はきっとのどかなカントリーミュージックが似合うはずだ。
行きと違って帰りは舛添さんやモッサンといった見慣れた面々と相席だったけれど、口数は少なかった。なんつーかワゴンに乗ったとたん、終わったっていう安心感が体を重くしてしゃべる余裕もない感じだ。窓の外から見える景色、初日に見てビビった雷みてぇなアスファルトのひび割れがまだ補修されずに残っていた。つまりはやっぱり全然被災地の復興なんてものは終わってないってことなんだよなぁ。俺このまま帰っていいのかな、ここの人たちはまだひび割れたアスファルトの上を歩かなきゃいけないのに、俺らだけヌクヌクと家も物もある場所に帰っていいんだろうか。けれどただぼおっと自分が働いた景色が流れていくのと見ていると、たかが二週間、それでも結構ツギハギだらけだけれど以前はあったのだろう形に街が戻ろうとしているのが分かった。なんか街そのものが、怪我から必死に治ろうとする生き物みたいだなと思う。
来た時は傾いていた電柱は強引に元に戻され、液状化してた道路はツギハギだらけだけど埋め立てられて補修されている。ほんの一ミリづつの手伝いだったのかもしれないけれど、間違いなく俺たちはここにいて何かをやっていたんだ。そして俺たちみたいな奴らが一人一人集まって、その一ミリが何センチかになって、そして何メートルにも何キロメートルにもなるんだろう。だとしたら、アスファルトの補修跡一つ一つにきっと俺らが感じたみたいな痛みや不安、工夫ややり直しが詰まってるってことになるんじゃないかな。そう思うと、この街の景色からは色んな声が聞こえてくるように感じられた。……なんてセンチな気分に浸っていると携帯が鳴った。見たことのないアドレスからだった。何だよ出会い系か?あんまり来るようだったらまたメアド変更しないと……て、あのコからじゃん。
「ん?どしたの眞鍋?」
あんまりキョドって携帯をとったもんだから舛添さんが反応してきたんで「母親からです」とごまかす。またこの人に言うとスゲェめんどくさいことになるに決まってるし。舛添さんをとりあえず無視してメールを開くと、それはそれは女の子らしい文字で、てかメールなんだけど、そんなフインキが漂う内容のものだった。
件名:園田美里
本文:お手紙ありがとうございます。わたしも眞鍋さんたちに励まされていたのでとても嬉しかったです。
中原中也、本屋をやってるおじさんが好きで読んだことがありますよ。わたしには難しくてちょっと意味がわからなかったかな(^^ゞ
わたしもいつか東京に行きたいと思っているのでその時にお会いしましょうね(^ω^)
いよっしゃぁ……そして梶原さんありがとう。何か功を奏してます。
「何母親からのメールでニヤついてんだよ、お前マザコンか?」
「いえいえっ、帰ったらすき焼きみたいだから。」
オトワラヴィ!素晴らしきかな!と叫んでみたかったが程々にしとかないと。そんな俺を見て舛添さんは「いいなぁ、すき焼き……。」とあさっての方向で羨ましがってぼやいていた。
東京までの五時間ちょっと、俺たちの会話は例のごとく話の内容が飛びまくって、最初は仙台の武将の伊達政宗の話から始まって、結局地上最強の男はビンス・マクマホンだという結論に達した頃、ようやく来た時に見覚えのある光景が窓の外に映り始めた。そこで見えたのは震災から三週間しか経っていないというのにあの出来事が嘘だったかのようなもの、神社の境内、公園の並木に咲く桜に桜、いや桜自体は向こうでも咲いてたから問題はないんだけど、俺が現実味を感じなかったのはその下に咲いている笑顔だ。なんなのこれ?俺たちが寒さで震えて地震に怯えてたってぇのに、なんでこいつら花見とかしてんの?なんでそんなに笑顔なの?まだ被災地には遺体が回収されずに残ってんだぞ?ここはおんなじ日本か?窓の外がテレビか何かの映像なんじゃないかとぼおっと見てると舛添さんが「ああ……俺ら笑っていいんだ……」と言い、俺はそうかここに帰るってことはそういう事なんだと妙に納得してしまった。何かで満たされたはずなのに、何かが失われたようで妙に悲しかった。
「じゃあ、ここで解散。装備品は部隊ごとに箱に入れていって。」
丸の内の本社前の全日本警備システムとプレートが貼られた石碑の前に俺たちは下ろされて、被災地の鬱憤と一緒に備品を「第16班」と書かれた箱に、社員がいるんで投げ込みはしなかったけどそれを放り込んで事実上のお役御免となった。
解散する前に、折角だからと俺たちはみんなで「肉が食いたい!」ということで吉牛に入り、奮発して特盛を各々頼んだ。長く食べられなかったまともな動物の肉、噛むごとに感じられる肉の歯ざわりが、噛み締めるごとに出てくる肉汁と脂が犯罪的に旨すぎて涙が出そうになったけれど、何より衝撃的だったのは米が温かいということだ。そっか、ご飯って温かいんだという当然のことに感動し、そして股間にこぼしたら訴訟してやんぞってくらいの熱々の味噌汁を低音火傷も気にせずにすすりまくった。だけど俺たちの体はあの劣悪な環境に適応していたらしく、半分位食ったところでもう胃が肉を受けつけなくなってしまって結構な量を残してしまった。舛添さんがただ一人無理をして肉を全部かっこんだけど、その後トイレに駆け込み鈍いビートを刻んだ彼の嗚咽がひたすらに不快だった。
「じゃあ、俺たちも解散な。みんなお疲れさん。ま、帰るまでが警備ということでっ。」
一応の室長だった舛添さんがゲロったあとに妙に大物ぶった感じで言ったけど、何だか俺らはすぐに解散してしまうのがなにか名残惜しく感じてしまってた。ふりかえれば会社の都合で被災地にぶち込まれ、なんの選択肢もなくこのメンツで仕事をしてきたけれど、俺たちは一緒に死線をくぐり抜けてきた仲でもある。年齢も重ねてきた人生も違うけど、言葉で言い表せない絆があるような気がした。多分、誰かが「飲みに行く?」と言えばそれに従うのだけれど、帰ってきたばかりでカツカツだから肝心の金もないし……。
「ぢゃあ、帰るか……。」
吉岡さんが言う。やっぱり俺らには他に選ぶ言葉がないのだ。俺たちが口々に「じゃあ……」と言い合いそれぞれ使う路線に向かおうとしたが、モッサンが動かずにその場に立ち尽くしていたんで「どうしたんすか、モッサン?」と聞いてもモッサンは何の返事もしない。モッサンは何かを言いたげででも言葉が浮かばずにいるのがこの二週間での付き合いで分かった。言ってみれば俺らはそこらへんのカップルよりも濃密な時間を過ごしたんだ、俺も吉岡さんみたいにスパッと帰っちゃうんじゃなくって何かを言わなきゃと思いつつもやっぱり言葉が出てこず、俺とモッサンは二人で見つめ合うというちょっぴりキショクワルイ状態になっていた。モッサンが斜視とは関係なしに俯く。そんな小さな子供みたいなモッサンが俺は無性に愛おしくなってきてしまった。思えば現場で一緒になった最初の頃、俺は正直モッサンを見下していたのだ。警備員というのは言ってしまえば五体満足な体であれば誰でもできる仕事で、それでもできないってやつは頭か性根がポンコツなやつで、目線がわけのわからない方向を向いてて笑い方が変で、たまに返事が「お、お、」とかなっちゃうモッサンは絶対に使えないやつで、それをフォローさせられるメンドクささばかりを気にしていたけれど、いざ蓋を開けてみればモッサンはこの2週間、偉そうにチャチな見栄ばかりを気にしてるおっさん連中や根性無しのゆとり世代のガキと違ってあの被災地で現場から逃げもせず、仕事でも気の置けない仲になった俺のフォローをおぼつかなくも最大限にしてくれた大事なパートナーだった。きっと俺とモッサンはあそこで結び付けられなかったら一生打ち解け合おうとはしない二人で、そして俺たちは今まさにまた交わらない道に歩こうとしている。
「モッサン……また会いましょう。ゆーても俺ら同じ会社なんだから、きっとまた会えますよ。夏には花火大会の警備ありますから、そんときに顔を合わせることになりますって。」
そう言った俺をモッサンが見上げた時、モッサンと初めて目があった気がした。なんだかその時のモッサンの目がアルパカみたいにキラキラしてて、それを直視できずに今度は俺がうつむいてしまった。俺が「ぢゃあ、モッサンお元気で……」と言うと、モッサンも「眞鍋さんも、お元気で……」と言ってくれて、俺は軽く緩くなった涙腺を悟られないように駅に向かい、「これからは別々の人生だ」とか思って歩いてたら俺とモッサンは途中まで山手線で一緒だった。そん時は終始無言だった。
それから二日後、休み明けに聞かされたのは、震災の影響でウチの収益の大半を担っていたイベント警備の仕事が軒並みキャンセルになり、もう片方の施設警備も配置削減で人員を減らすか隊員の仕事の数を減らすかのどちらかになっているという施設隊の隊長からの通達だった。気のいいおっさん連中から笑顔が消えていた。揺れは、まだ続いていた。
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