今日まで、三
ウチの今の夕食時は食器の音が耳につく。テレビもついているのに、なぜかその音だけが大きい。まるで遠い世界から聞こえるようなテレビでは、海外で起きた原発事故の事例がフリップ式で紹介されていた。数年後かには、福島の事故も簡単なフィリップでめくられる話としてまとめられるようになるのだろうか。
「アンタが行ってたのってどこだっけ?」
おふくろが急に思い出したように言う。
「なんの話?」
「被災地行ってたじゃない。」
「……仙台。」
「ああ。」
テレビのアナウンサーが「こう見ると、結構事故が起こってるんですね……」、と言ったところで親父はリモコンを取りチャンネルを変えた。
「あんまり、出てこないわね……」
「なにが?」
「そこの話。」
「ああ、もうね……。」
二人に割って入るように親父が新聞をめくる音が食卓に響いた。叱責のように。
「アナタ、何かやってる?」
「ん?ん~ん……」
「何もやってないなら、ニュースに戻して。」
しかし親父は洋画をやっているチャンネルに合わせた。テレビの中では、主人公の刑事が犯人の車と並走しながらカーチェイスをしている。馬車の西部劇でも空飛ぶ車のSFでもこのテンプレは変わらないのだろう。
「……俺の伯父さん、お前の大伯父な。自動車工場やってるから……、何ならそこに口きこうかと思ってるんだけど。」
親父は少し前から膳に手を付けていなかった。俺はいったん口を休めてから、また再び箸と口を動かす。
「良い話じゃない?」
そう言っておふくろは俺を見るが、俺が何も言わないと「ねえ?」と、親父の方に向き直した。
「……まだ、これから面接やる所とかあるから」
「コネは嫌か?」
「そんなんじゃないけど……、自分で見つけられるんなら自分で……」
おふくろは二人と目を合わせずに食器を片づけ始めた。
「アナタ、もういいの?」
「……いいよ。」
刑事の乗る車が大音量で横転して、親父以外が画面を見たが、丁度良い見せ場で洋画はCMに差し変わった。
「まだ……、面接するとこもそうだけど、履歴書送ったばかりのとこもあるから……それにこれから送るところとか……。」
親父が何かを言おうとした気配がしたけれど、俺の横顔を少し見てそれを止めた。近頃では向こうも処理に困っているようで、とはいえ何か言わなきゃいけないけれど、やはり十代の子供を見る目じゃ見れないところがあるのだろう。
「変えるわよ。」
食事を済ませ居間のソファに腰掛けたおふくろが言ったが、誰も何も言わなかった。チャンネルを変えると、渋谷で行われたデモの映像が流れていた。その人の流れは、いつか見た街と、また違う顔を作っていた。
「何がしたいんだか……。」
一瞬だけ止まった時間は、それがテレビの映像に当てられたものだと希望的な観測を立て、再び動き始める。
腹七分に収めて自分の食器を流しに運び洗い始めると、おふくろが「置いといて。洗うから。」と言ったが、俺はそれでも黙々と食器を洗った。しかしそれに気付かない親父は「洗わせろよ、何もしてないんだから。」と言う。ワイングラスがあればシンクに血が流れていたところだった。
「ね、亮。資格とか取ったら?」
液晶画面の向こうでは、「原発はもういらない!」と書かれた段ボールを掲げたデモの参加者がインタビューを受けていた。
「うん……。まあ、そうだね。」
大学を卒業したばかりだろう青年の言葉は熱く、けれど俺の手は必要以上に付けた洗剤の泡で随分と冷えていた。
「明日……、本とか買ってみるよ。資格の。」
「そう。そうね、その方がいいわよ。」
俺もおふくろも親父の方は見なかったが親父を意識して話していた。洗い物が終わると、俺は流しに溜まった指で摘む程度の生ゴミをゴミ袋に入れた。
「チャンネル戻して。」
「戻すって、どこに?」
「映画。」
おふくろが何も言わずに洋画にチャンネルを戻すと、場面が飛んでベッドシーンになっていた。悪役のそれだったので、あまり健全とはいえない絡み方だ。
「……見るの?」
親父は何も言わない。ふと思うのは、自分の父親とはこんなに沈黙の多い人間だったろうかということだ。それとも、いつの間にか親父の沈黙の意味が変わったのか、あるいは俺が敏感になったのか。俺の正面に座っている親父は来年で60になる。俺が家と職場を往復していたせいか、それとも出版社で週刊誌の編集をやっている親父は家を空けることが多くあまりまじまじと見なかったせいか、気づいたときには随分と老けたような感じがする。もしかしたらそれはあの震災以降、かきいれ時だと言わんばかりに部下を震災翌日から被災地に飛ばし雑誌の発行部数を伸ばす中で、親父の中の残高を大量に消費してしまったからなのかもしれない。本来人というのは、その死に向かうまで、ある一定の決まったペースで自機を消費していくものなのだが。
部屋に戻るとベッドに横になり、携帯を操作しながらツイッターの「maszoe-g」というユーザーネームの一連の書き込みを眺めた。プロフィールからではその人物の具体的な仕事は分からないが、ツイートの内容から取りあえず肉体労働をしているのであろうことは読みとれる。一時期は転職活動をやっていた様子があったが、もうその気配はツイートにはない。空気が滞っているのは俺だけじゃないようだ。
友人知人のタイムラインを見終えると、「デモ」という単語を検索にかけてツイートを探す。検索ワードのタイムラインをさかのぼりながらデモ関連の情報を見ていると、俺の体は抑えの外れたバネのように跳ね上がった。東電に対するデモの参加者が撮った写真がアップされていたのだが、その写真に写っているのは見覚えのある男だったからだ。写真には『わたし達の行く手を阻む冷淡な目をした警備員』という言葉が添えられていた。確かに写真の男はデモ隊の人間から目を反らすように写っている。何も知らない人間が見れば、それは確かに「目を背けている」ように見えるだろう。俺は携帯を汗ばむ手で握りながらその写真を凝視する。どうしようもない、言い表せない鈍く重い力で首を絞められ、俺の呼吸は荒くなっていた。
一瞬にして粘膜の乾いた喉を、僅かな唾で潤すことで呼吸を取り戻すと、携帯をベッドに叩きつけようとしたが、そうはせずに布団の上にそれを軽く放った。体をベッドの上で丸める。体に走る苦々しい電気のようなものが抜けるまで、じっと息を潜めてそれに耐え続けた。このまま寝てもいいだろう、そう思いながらうっすら目を閉じて暫くすると、居間の方から大きめの両親の声が聞こえてくる。意識的に意識を朦朧とさせている中で、小さな兄弟が、窓の外から喧嘩をする両親を眺めるという洋楽の歌詞を思い浮かべた。そんな昔聴いた歌の文句が、とても甘美なおとぎ話のように思える。止めにいこうか?いや、いったい何を?母が移住をしようと言い、父が大袈裟だと言う。三十を迎えて無職の自分がいったい何を言うのだろうか。少なくとも、ヒビの入っていた家の壁にハンマーを打ち付けたのは俺じゃないか。
「地震のようなもんだ」
消えていく意識の中で、その言葉が薄ぼんやりと残った。
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