ススキノ戦線異状なし

川沢 浩

prologue

1‐1

『次は、ススキノ。ススキノ』


 列車内に無機質なアナウンスが響いた。技術体系が大きく変わりつつあっても変わらないことはある。この地下鉄のアナウンスはアズサが幼いころから変わらない。

 それと同じくらい変わったこともあって、車両に乗っている乗客はアズサ一人だけだった。


『まもなく、ススキノ。右側のドアが開きます』


 薄暗いホームに降りたのはアズサ一人だった。

 改札はすぐに見つかったが、この自動改札機は果たして使えるのだろうか。ところどころがへこみ、あまつさえ焼け焦げた跡冴え見える。

 恐る恐るパネル型の端末を掲げると、ピッという機械音とともにゲートが開かれる。無事清算されたようだ。いくら廃れているとはいえん鉄道が通っている駅ではあるのだから使えないということはないと思ってはいたが、灯りはちかちかと点いたり消えたりを繰り返しているし、改札機どころかそこかしこの壁に原因のわからない傷跡が無数に刻まれている。ここまで廃れていれば不安にもなるというものだ。案の定、駅員がいるはずの部屋は真っ暗だ。


 当然と言えば当然なのだけれども。


 地下鉄ススキノ駅に出口は四つ。

 そのうち二番出口をアズサは選んだ。どの出口を使えば目的地に近いのかアズサにはわからなかったし、あたりを見渡してもそれが示されているべき地図も見当たらなかった。

 だからというわけでもないが、どうせどの出口を選んだところで、交差点一本渡れば済む話なのだ。特に悩むこともなく一番近い出口を選んだ。


 荒んでいる。


 アズサは端的にそう思った。

 札幌の市街地からさして離れてもいないはずなのに、空気が違う。それは少なからずアズサの先入観からくるものだろうが、自覚していながらもなお、そう感じずにはいられなかった。

 本来地下鉄を含む公共交通機関の駅や路線周辺での乱闘騒ぎはご法度とされているが、このススキノではその理屈すら通用しないらしい。傷だらけで今にも崩れそうな地下鉄出入り口が、この場所の異端さを物語っている。


 ――これを見に来たわけでもないし。


 アズサは廃墟一歩手前の駅から視線を外して歩き出した。

 目的地はたしか駅から南東に――


 シュッ――と。


 大きながアズサの目の前の交差点を横切った。

 それはまるで蹴飛ばされたボールのような勢いで飛び、にもかかわらずボールと呼ぶにはあまりに大きく、そしてアスファルトに転がったそれは球体からかけ離れていた。


「いってぇえな糞野郎!」


 男だ。

 巨漢と呼んで差し支えないだろう。二メートルに届きそうな巨体に、筋肉に覆われた全身。輝くスキンヘッドといかつい目つきも加わって、筋肉ダルマと呼ぶにふさわしい男だ。


「達磨はよく飛びますねぇ」


 筋肉ダルマが対峙する声の先に、もう一人の、こちらも男性。

 筋肉ダルマとは打って変わって、男性としては小柄な身体だ。短い黒髪に眼鏡をかけ、スーツで身を包んだいかにも真面目そうな男だった。

 だがこの小柄なスーツが筋肉ダルマを蹴飛ばしたとなれば、華奢な見た目とは裏腹にバイオレンスな人物らしい。


「舐めた口きいてっと、その似合わねえスーツごと燃やすぞ」


 豪語する筋肉ダルマの右腕が火花を散らし――燃え上がる。


「フリーキックのボールにしてあげましょうか」


 にやりと嗤うスーツの足元でアスファルトに罅が入る。


 ――えっと、模擬戦……? 違うかなぁ、違うよねえ……!?


「え、ちょ、ちょ、まってくだし!」


 あ、噛んだ。


 アズサは盛大に噛んだ。


 ススキノデビューで、

 初めての仕事で、

 完璧にこなそうと思っていたのに、

 かっこよく割り込んだつもりだったのに。


 アズサは二人の男のちょうど中間地点で、盛大に噛んだ。

 自分でも気づかないうちに、初めて訪れるこの無法地帯に緊張を抱いていたのかもしれない。いや、少なからず緊張していたことは自覚していたけれども。


「あん?」


 どうやら自分の話を聞いてくれそうだ、とアズサは誤認した。

 筋肉ダルマは上体を捻るとバネのように勢いをつけて、その勢いを殺さぬままアズサの足元一メートル先に拳を叩き付けた。

 黒い路面が、ガラスでも割ったかのようにはじけ飛ぶ。

 舗装された道路だったはずのものは黒い瓦礫に成り果てていた。

 よくよく見渡してみれば、道路が道路の体を保っているところはほとんどない。


「すっこんでな、嬢ちゃん」


 四の五の言わせない圧力があった。

 アズサをにらみつける眼光とスキンヘッドの煌めきは、札幌市街地に住む普通の学生であればもちろん、一般的な善良な市民であれば老若男女を問わず怯んで当然の迫力だった。

 ただ筋肉ダルマにとっては面倒なことに、アズサは若い女性ではあるけれども、学生でもなければ、一般的ともいえない人種だった。


「いいえ、すっこみません!」


 怖いとか、泣きそうとか、そんなのは関係なしに、今やるべきことははっきりしている。

 左腕に巻きつけてあるPHDを軽く叩く。立ち上がるホログラム・ディスプレイをもう一度叩けば、彼らも知っているシンボルマークが目に入るはずだ。


「警察です。魔術法により、私闘での魔術の行使は禁止されています。今すぐに魔術の行使を――」


 だがアズサは最後まで言葉を発することができなかった。

 筋肉ダルマの反対側――アズサの背中側に佇んでいたスーツが、こめかみの僅か数ミリ横を何かで撃ち抜いたからだ。


「嬢ちゃん、イカれてんのか? ここはススキノだぜ?」


 筋肉ダルマは常識を告げる大人のようにそう言った。


 ――あっ、と。


 アズサは自分があまりに愚かなことを口走っていたことを自覚した。


 無法地帯。


 その言葉の通りではないか。


 この場所を律する法は、ない。


「さっさと消えな、嬢ちゃん。三度目はないぜ」


 三度、筋肉ダルマが口を開く。

 なんだ、いかつい頭してる割に、三度も待ってくれてるじゃないか。


「いいえ! 消えません」


 足は震えている。


 なんで? どうして? 私まだ職場についてもいないのに!!


 そう思う気持ちがないわけじゃない。むしろ今すぐ叫びだしたいほどに、心の大半を占めていると言ってもいいくらいだ。

 それでもアズサは、この場を黙って引き下がることはできなかった。


「け、喧嘩は! いけません!!」


 力を振り絞って声を出してみても、手足の震えが止まることはない。

 情けなくて笑ってしまいそうになるほど、説得力がない言葉を発していた。


「そうか。それなら――サヨナラだ!!」


 スキンヘッド。


 黄ばんだ前歯。


 鼻にピアス。


 そして、掌から迸る真っ赤な炎球。


 直感的にヤバい、と思った。


 おそらく、逆側ではスーツも魔術を放とうとしていることだろう。


 対象は二人。


 位置は半径二〇メートル以内。


 有効な魔術は――


「はい、そこまでにしときやしょ」

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