カフェくろがね

アイオイ アクト

第1話 相談席

『商店街一奇妙な店 あなたの恋を叶える Cafe 銀-しろがね-』


 閉店直前、自宅でもある喫茶店のカウンター席で、日陰ひかげあずまは己のセンスの無さに頭を悩ませていた。

 ベクター描画ソフトとにらめっこを繰り返していても、ポスターが完成する事など無い。


 あれは何のつもりなんだ。東はいつもそう思ってしまう。

 この店には、一年程前から巨大な扉付きの箱が鎮座していた。

 東の姉、この店の店長でもある日陰ひかげみどりが設置した物だ。

 店の一番奥にあるデッドスペースを席として活用しているといえば聞こえは良いのだが、その箱は分厚いダンボール製の組み立て式防音室に、黒いフェルト生地を張っただけの代物だ。

 中には向かい合った椅子二脚と、ティーカップが二つほど辛うじて置けるほどの小さいテーブル一脚。

 翠はその箱の中に入り、何故か恋愛相談のような事を始めたのだ。


 その箱のことはさておき、東は明日で高校を卒業し、家業を継承すべく調理師専門学校への入学も決まっていた。

 だが、そんな順風満帆な人生を歩んでいるはずの東の心は、すっかり座礁していた。

 自分の背後で、細かい拭き掃除をしているはずだったバイト仲間兼クラスメイト、羽川はがわかすみが憐れむな顔で東のパソコン画面を覗き込んできた。

 顔が近い。東の半身にしびれが走った。


「うーん。私よりセンス無いね」


 同情めいた優しい声で罵られてしまった。


「行き詰まったなら拭き掃除の点検よろしくね」

「え? いつも言ってるけど目立つ汚れが落ちてたら十分だって」


 かすみがバイトとして働き始めてから、もう一年が過ぎた。

 それは健全な少年である東が、一番身近である異性のかすみに対し、何とも御し難い感情を抱かせるには十分な時間だった。


 四月が迫る今、かすみももうすぐバイト仲間ではなくなる。

 高卒採用の寮付きで女子採用……当然、募集案内に女子応募不可と書かれてはいないものの、門前払いを食らうばかりで、難航を極めていた。

 しかし、昨今はそれ程焦りも見せない。もう既に決まっているような雰囲気なのだが、どこのどんな企業に決まったかなど、東は知らない。

 それとなく訪ねても、かすみはいつも煙に巻いてしまうからだ。


「卒業式かぁ」


 その言葉は、毎回東の心に暗い影を落とす。なんてオーバーな表現だが。

 ただの忙しい日。それに尽きるからだ。




 そして、翌日。

 皆一様に涙を流している中、ただ二人、その後に待っている地獄を想像して憂鬱な顔をしている生徒が二人。日陰東と羽川かすみだ。

 卒業式の日だからこそ、喫茶店は忙しいことこの上ない。

 当然のことだが、この時期は毎日のようにどこかの学校で卒業式が開かれている。ひと息ついたり、ニコチン補給が出来たりする場所を求める父兄のおかげで、喫茶店は大盛況だ。

 そんな状態だから、これから大変だという気持ちばかりが前に出て、しんみりした卒業式の輪に溶け込めやしなかった。

 家業で忙殺されている日陰家の家族は祝ってくれるのは玄関先まで。一度として参列してくれた事はない。親が参列していないのは羽川かすみも同じだった。


「東、急ごう」

「うん」


 この通学路を歩くのも最後なのに、急いで通過しなくてはならないとは。唯一の良かった点は、気になる女子と一緒だという事か。いや、これは相当ポイントが高いと東は一人納得して走り出した。

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