第3話 ことね
久井名ことねがこの施設に来てから、すでに1年が経過していた。
もうこの場所を離れても良い頃なのではないかと、彼女は考えていたが、担当の高谷からはなかなかOKがもらえずにいた。
保護者が必要な年齢に関しては、許可が下りづらいという話だった。
第一棟、14820号室に彼女は暮らしている。地上48階の暮らしにことねは馴染めずにいた。
「ピピピ、ピピピ……」
朝7時の合図が部屋の掛け時計から鳴る。ああまたこの時間か……。と彼女は憂鬱な気分になった。
「おはようございま~す」
そう言いながら入ってきたのは担当医師の高谷だった。
「もう、いつもうるさい~」
ことねはまだ寝ていたい気持ちを抑えきれず、より深くベッドに潜り込んだ。
「おいおい、もう15歳だろ、子供っぽい事するんじゃないよ」
高谷が布団を剥がしながら言う。
「え、ああ、もうここに来て一年か。今日が誕生日って事になるんだっけ?」
「そう。今日がことねちゃんの15歳の誕生日。さあ、15歳記念の問診を始めよう!」
そう言って日課である問診が始まる。
「記念って……。いつものでしょ……」
呆れた様にぼやきながら、ことねは体を起こした。
「まず、今日も何か夢は見なかったかな?」
高谷はいつものように電子端末を左手に抱え、いつもと同じ質問をした。
「はい。見てません。これからも見ません。はい終了」
「こら、真面目に答えて。この質問は一番重要って言っても良いんだから」
高谷はその後も十五分程問診を続けた。今は西暦何年か。昨日の夕食は何か覚えているか。体に変調は無いか。など、数は多いが、たいした内容のものではない。
「はい。お疲れ様。これにて終了。じゃあ今日は日曜日だし、学習教室も休みか。良い誕生日になるといいな」
休みなんて、こんなところにいたら何の意味も無いとことねは思った。
「別に普通の一日だよ」
寝起きでぼさぼさの髪を撫でながら無愛想に言う。
「そうか、じゃあ普通の日の人にはこれはやれないな」
高谷はにこにことしながら、ポケットから電子メモリを取り出した。
「なにそれ!」
ことねは身を乗り出して高谷に迫って来た。
「欲しがってたことねちゃんの好きなアーティストの何だっけ、何とかってののライブ音源だよ。誕生日プレゼント」
「cocoのでしょ! やったあ! ありがとう!」
そういうと、ことねは高谷の手からパッとメモリを奪い取ってしまった。
「では、ちゃんと誕生日を満喫するように」
そう言って彼は部屋のドアに手をかけたが、思い出したように振り返った。
「あ、そうだ、10502の田辺晴香から、9時に50階のフリースペースでって伝言だ」
「りょうかーい」
ことねは高谷の方に向きなることも無く、音楽プレーヤーにメモリを差し込みながら答えた。後ろでバタンと扉の閉まる音がする。まもなくして心地の良いJAZZサウンドに乗せて、女性シンガーの歌が聞こえてくる。ことねは自分の年齢の割りに、少し背伸びしている感じも含め、JAZZが好きだった。ここに入った当初は音楽なんて聴く気にもなれなかった。しかしそれを変えてくれたのが、晴香との出会いであった。
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