すべり込め!名古屋城
鮎村 咲希
すべり込め!名古屋城
目を覚ますと、時計の針は九時半を指していた。
「嘘」
私はあわててベッドを飛び出し、着替えを始める。
まずい。完全に寝過ごした。こんな大事な日に限ってアラームをかけ忘れるなんて、抜けているにもほどがある。頑張って早起きして、準備万端で出かけるつもりだったのに。
とりあえず、服は洗濯した中から適当に着た。どうせ向こうで甲冑に着替えるのだからいいだろう。
朝食を食べている時間はない。バッグを引っつかみ、アパートを出た。 今日は土曜日。名古屋城でおもてなし武将隊の演舞が行われる日だ。私はそこで、陣笠隊新メンバーの「あや」として、華々しくデビューを飾ることになっている。
開演時間までは、あと一時間半。大丈夫、急げば充分間に合うはずだ。私は小さくうなずくと、アスファルトを蹴って走りだした。
「はぁ、はぁ、はぁ……もう駄目」
大通りに出たところで立ち止まり、息を整える。張り切って出発したはいいものの、その元気は五分もしないうちに尽きてしまった。たぶん、朝ご飯を食べていないからだろう。
「お腹空いた」
呟いたそばから、答えるように「ぐうぅ」とお腹が鳴る。なんだか身体に力が入らなくて、私はへなへなとビルの壁にもたれかかった。
そんなとき、どこからか美味しそうな匂いが漂ってきた。焼きたてのパンのような、香ばしい匂いが。
匂いの源は、ビルの一階にある喫茶店のようだった。店の外には「モーニング」と書かれた赤いのぼりがはためいている。
「……腹が減っては、武将隊も務まらないよね」
私は吸い寄せられるように喫茶店のドアをくぐった。いちばん安いブレンドコーヒーを注文すると、すぐにそれは運ばれてきた。
バターとつぶあんのたっぷり載った小倉トースト。ポテトサラダに、ほうれん草のキッシュ。ミックスフルーツのヨーグルトがけ。そしてもちろん、コーヒーも。
モーニングが有料のところもあるけれど、ここはドリンク代だけでモーニングが食べられる昔ながらの店だった。本当はゆっくり味わいたいところだけど、今はお腹をいっぱいにするほうが先だ。コーヒー片手に、私は次々とお皿を空にしていった。
喫茶店を出ると、私は再び走りだした。エネルギーが補充されたおかげで、さっきまでとは比べものにならないスピードだ。このペースなら、喫茶店で使った時間くらい取り戻せるだろう。
大通りをしばらく走ると、やがて行く手に行列が見えてきた。行列はデパートの建物を囲むように続いていて、最後尾にはプラカードを持った係員が立っていた。
「本日発売の限定商品、あと五名で締め切りです」
私は係員の声につられてプラカードを見上げ、あっと声を上げた。売られているのは、私が大好きなコスメブランドの限定商品だったからだ。
こんなときに並んでる場合じゃないのはわかってる。でも、今を逃したら、もう二度と買えないかもしれない。こんなふうにたまたま通りかかって、まだ残っているということでさえ奇跡なのだ。
迷った末、列に並んだ。幸い、お金はぎりぎりある。開店まであと数分だから、そんなに時間もかからないだろう。……たぶん。
商業施設の開店時刻を迎えたこともあり、街中には人が集まりだしている。その人混みを縫うように、私は走った。
胸にはコスメブランドの紙袋をしっかりと抱えている。お金も時間もかけて手に入れた限定アイテムなのだ、なくすわけにはいかない。
けっきょく予想より時間を食ってしまったけれど、いい買い物をできた嬉しさで足取りは軽かった。浮かれるあまりスキップしそうになり、寸前でどうにか踏みとどまる。
名古屋城まではあと少し。天気は快晴、文句なし。ぴかぴかの甲冑が、降りそそぐ陽射しによく映えることだろう。
「……あれ?」
空を見上げたら、なんだかくらくらしてきた。しかも、いつの間にか全身汗びっしょりになっている。
もしかして、熱中症? 秋だけど、昼間はまだまだ暑いし。
私は辺りを見回した。ちょっとだけでも、どこかで休んでいったほうがいい。できれば、あんまりお金のかからないところで。
動かした視線は、数軒先の店の看板に留まった。三つ編みヘアの女の子のキャラクターを見て、思わず笑顔になる。私はふらつきながら、どうにかその店までたどり着いた。
本当はラーメンがメインの店だけど、今はそこまでお腹が空いてるわけじゃない。カウンターでチョコクリームを頼んで、クーラーの真下のテーブルに陣取った。クーラーに当たりながら、冷え冷えのチョコクリームで内側からも身体を冷やす。美味しくて二百円ちょっとのこのデザートは、子供のころからのお気に入りだ。
しばらくすると、頭のぼうっとした感じがなくなってきた。汗もすっかり引いたみたいだ。手足を動かしても問題ないことを確かめて、店を出た。
支度を整えて舞台裏に行くと、ちょうどほかのメンバーが舞台に出ていくところだった。私は陣笠隊の先輩に手招きされ、あわてて舞台に上がった。
「いざ出陣!」
「おう!」
信長様のかけ声に応じて、ほかの武将や陣笠隊、集まったお客さんたちがいっせいに拳を突き上げる。私も槍を持った右手を高く掲げた。
お客さんたちはみんな楽しそうにしている。かっこいい武将たちを写真に収めたり、新メンバーの私を見て笑ったり。武将でもないのに、こんなに注目を浴びるなんて思ってなかったな。
照れ隠しに笑うと、目の合ったお客さんが、吹き出しそうな顔で首を横に振った。
……え、違う? 槍? 槍がどうかしたの?
お客さんに指で示されて、私は突き上げたままの自分の右手を見た。
「あっ」
思わず声が漏れる。
右手に握られていたのは、槍ではなくコスメブランドの紙袋だった。
すべり込め!名古屋城 鮎村 咲希 @Ayu-nyanko
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