その2
翌日正午前、曇天。
チエたち三人はバルデンハイムの外れの住宅街を歩いていた。
「木造の家だらけだね。こんなところもあるんだな」
狭い路地を歩きながら、コウガが正直な感想を漏らす。
「あまり裕福でない方々の住む区域ですからねえ」
周囲の目をはばかり、チエは小さな声で答えた。
貧民街やスラムとまでは言えない。道はやたらと狭く、密集した木造家屋が圧迫感を放ち、どうにも閉塞感を覚える空間ではあるが、意外に道はきれいで、異臭もしない。
アリカムナードイにあって公共の場所を清潔に維持するのは並々ならぬ努力がいるだろう。ここの住人はモラルが高いに違いない、とコウガは勝手に推測した。
「ここはいつ来ても道に迷うよなあ。ちょっと道を曲がっただけでもう、どこがどこだか」
きょろきょろと周囲を伺うアイリ。完全に現在位置を見失っているようで、不安げである。
「地図があるんですよ。任せてください」
手に持つ地図を、チエはひらひらとさせた。依頼人を訪問するにあたり、ギルドの係員から渡されたものである。目的の場所には黒インクで丸がつけてある。
「目的地はすぐそこです。そこの角を曲がれば突き当たりに……」
チエの先導のもと、一同は角を曲がる。
角の向こうに広がっていたのは、ちょっとした広場だった。
「……あれ」
チエがうろんな声を漏らした。
五角形なのか六角形なのか、はっきりしない小さな空間だ。木造建築に囲まれて、その隙間から五本六本と狭い道が延びている。どこが突き当たりなのか、よくわからない。
「おかしいですねえ。ここは丁字路になっているはず……」
チエはじっくりと地図を見つめた。
「チエも地図が読めない口なのか」
コウガのツッコミに、
「そんなことありませんよ。地図が読めないなんて冒険者として致命傷でしょう」
チエは頑固に反論した。
「これは……あ、うん、少し勘違いしました。こっちです」
勝手に結論づけると、チエは確かな足取りで再び歩き始めた。
妙に力強い歩調を信じることにして、コウガとアイリは文句を垂れることなく後に続く。
しかし――
「そうそう、目的地はそこを曲がった角ですよ」
自信満々に語りながら、チエは角を曲がる。
行き止まりだった。
「……あれれ……」
「俺に見せろ」
有無を言わせず、コウガは地図を取り上げた。
「あ! ちょ……これはアレですよ! きっと地図が間違っているんだと思います! だからここは一旦ギルドに帰るべきではないかと!」
「お静かに。現在位置はここで、目的地がこれだから……」
ゆっくりした足取りでコウガは歩き始めた。
「多分こっちだ」
顔をしかめながらも、チエはコウガについていく。アイリもその後に続く。
五分後、一同は丁字路突き当たりの家にたどり着いていた。
コウガがノックすると、さして間を置かずドアが開く。中から現れたのは、赤毛の少女だった。
「ビオラ・ハイドさん?」
ギルドから教えられていた名を問いかけると、
「……ギルドの人ね!」
少女はぱっと顔を明るくした。
どうだ、とばかりコウガはチエを見返した。
「すげえ! こいつ、地図が読める!」
アイリも驚きの声を上げる。
チエは少々顔を赤くしつつも、特に何も言わなかった。
「中へどうぞ。詳しい話は父がしてくれるので!」
ビオラは一同を室内へ招いた。
意外にも、室内には多数の男たちがいた。テーブルを囲み座っていたが、新たな来客に気づくと一斉に「誰だ?」と言いたげな顔を向ける。
「ビオラが呼んだんだ」
そのうちの一人、赤毛の大男が立ち上がり、一同に説明した。それからコウガたちに顔を向け、
「来てくれたのか。その辺の椅子に座ってくれ」
空いている椅子を指さす。
言われたとおり、コウガたちは着席し、男たちと肩を並べた。ミシリと音を立てた上、足の長さが微妙に異なるらしく、椅子の上で尻の位置を変えるたびにがたがたと傾いた。
室内を見渡す。どういうわけだか、壁には大量の弓がぶら下げられていた。加えて、籐籠に収められた多量の矢が部屋の隅にいくつも置かれている。まるで弓矢の工房みたいだった。
「クレース・ハイドさんですね」
チエが問うと、大男は大きく頷いた。
「私は冒険者ギルドから派遣されたチエ・マルタマチと言います。こっちはアイリ・サガラ、そっちはコウガ・セタ」
手短に自己紹介して、本題を切り出す。
「ご依頼は、ミーム退治の手伝いということですね?」
「ああ」
クレースが出したうなるような低く響く声は、しかしほとんど聞こえなかった。野郎どもが次々と声を張り上げたからである。
「誰が来るかと思ったらきれいなねーちゃん方かよ!」
「しかも野郎はモヤシみてえな奴だな!?」
「まともに戦えるのか!? ああん!?」
中でも、そっくりな顔をした三人の男が特にうるさかった。
「こっちの世界でも細い男はモヤシって呼ばれるのか。そもそもモヤシが存在するということ……?」
コウガは妙なところで感心する。
「ハッ! なめられたもんだな!」
アイリが椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がった。
「この家にある一番強い弓をよこしな! この場で引いてみせるからよ!」
と言っておきながら、アイリは壁にある一番大きな弓を見繕って勝手に取った。アイリの身長にほぼ等しい大弓である。
籠から矢を取り出し、つがえてギリリと弓を引き絞る。
一同は目を剥いた。普通の女性の腕力では到底引けない弓であること、この男たちにとっては承知の事実だった。にもかかわらず、アイリは平気な顔でやってのけたのである。
アイリがぱっと手を放すと、矢はひゅんと音を放って一直線に飛び、タン! 部屋奥の壁に突き立った。
「どうよ? まだ見たい奴、いるか?」
にやりと笑って、アイリは一同を眺め渡す。
一同、声も出ない。
「もう結構。壁に穴を開けられたら見栄えが悪い」
クレースがやっと発言した。アイリは肩をすくめ、弓を戻して再着席する。
「実力はよくわかった。もっとも、アーチャーはこれ以上いらんのだがな」
と切り出し、クレースはチエに向き直った。
「最近岩塩マンが倒されたとかで、サールブロ奪還の動きがあるだろう」
「存じてますよ。なにしろ俺たちが倒したんですから」
コウガが発言すると、一同は皆驚き、疑いのまなざしを向けた。
「おいおい本当かよ」
「二十年もあの岩塩坑を守り続けたミームだぞ」
「おまえらごときが倒せるのかよ」
またしても顔のそっくりな三人組が文句を飛ばしてくる。
「失礼ですが、あなた方はなんでそんなに顔が似てるんですか」
「三つ子だからだよ。俺が長男のヒラルド・ライアン」
「俺は次男のフェルド・ライアン」
「そして俺が三男のミラーズ・ライアン」
三人はそれぞれ自己紹介した。
「フフフ。見れば見るほどウリ二つだろう。三つ子だがな!」
ヒラルドがそう語ると、三人は一斉にケタケタと笑った。笑い顔もそっくりでまったく見分けが付かなかった。
「こっちの世界でもウリ二つという表現があるのか。そもそもウリが存在するということ……?」
考え込みはじめたコウガを無視して、チエが話を戻しにかかった。
「とにかく、私どもギルドもサールブロ奪還活動に参加していますよ」
「簡単に言うと、それを頼みたい。ただしサールブロではなくて、その近くにあるアミエロという村だ」
「村ですか」
「俺たちは元々アミエロ村の住民でな。二十年前のサールブロ陥落の折、一緒にバルデンハイムに逃れてきた口だ。この辺に住んでいるのは皆、その時からの知り合いばかりよ。いつか村に帰ることを夢見て、ついにチャンスが巡ってきたんだわけだが……」
とまで言って、クレースは苦い顔をした。
「俺たちの力だけで村を取り戻すには、人手が足りない。二十年の間に、故郷に帰ることを諦めて去って行った奴らも多い。今ここにいる人間だけでは、心許ないんだ」
あごに手を当て、少し考えてから、チエは言葉を続けた。
「差し出口を挟むようですが……。サールブロの奪還作戦には我々のみならず、騎士団も取りかかっています。任せておけばいずれアミエロ村も解放されるのではありませんか?」
指摘に、クレースはきっと眉をつり上げた。
「俺たちの村だぞ! 他人に任せるわけにいくか! そもそも騎士団連中に任せておいたら、村を勝手に占拠して、法外な金を要求してくるに決まっている! いや、騎士団ならまだいい。クソみたいなゴロツキどもや訳のわからん連中がうちの村に目をつけたら、取り戻す望みすらなくなる! そうなる前に、俺たちの手で取り戻さなきゃ意味がねえんだよ!」
すごい勢いでまくしてたられ、チエは小さくなるしかなかった。
その様子にクレースも我に返って、乗り出した体を引っ込める。
「俺たちは狩りと弓矢の製造で食っている」
壁に吊られた多数の弓を指さし、言う。
「村にいた頃は毎日野山を駆け巡って獲物を仕留めていた。今でも腕は落ちていないつもりだ。サールブロ全域の瘴気が弱まってるって話だから、雑魚ミームどもは俺たちだけで狩り立てられるだろう。だが問題はガーディアンよ」
「弓矢が効かない相手なんだよ」
家の奥に消えていたビオラが、グラスをトレイに乗せて戻ってきた。
「でっかい亀みたいなミームでさ。甲羅の中に隠れられると、矢じゃ全然歯が立たないんだ。それでも父さんたちは無理矢理仕掛けるつもりでさ。『この機を逃したら村は戻ってこない』とか言って」
冷水の入ったグラスを一つ一つ、コウガたちの前に出す。
「困ってたら、たまたま行った教会で『冒険者ギルドにかけあったらどうか』って言ってもらってさ。だからあんたたちを呼んだってわけ」
「よそ者の手を借りることはできるだけ避けたかった」
最後にクレースが娘からグラスを受け取る。
「だがたしかに、勝算のない戦いに特攻しても意味はない。だから最低限の人手を借りようと決めたんだ。ここにいる全員の承諾もある」
クレースがそう語ると、村人一同揃って頷いた。
「そうだそうだ!」
「手を貸してくれよ!」
「岩塩マンを倒した実力の持ち主なんだろ!?」
ライアン三兄弟も揃って声を上げる。
「もちろん、私たちは皆さんに手を貸すために来たんですよ。報酬はいただきますけどねえ」
チエは両手を広げて、一同の目を引きつけた。
クレースはまた壁の弓を指さした。
「こう見えて、俺たちの作る弓矢は評判がいいんでな。あんたらに報酬を払えるだけの稼ぎはある。なんなら現物で払ってもいいけどな」
「村を取り戻せたら、新鮮な獣肉半年分も進呈するぜ!」
男の一人がそう語ると、一同はゲラゲラと笑った。
「その辺はご相談とさせてもらいましょうか」チエはお茶を濁した。「よろしいようであれば、さっそく作戦会議と行きましょう。できるだけ早く村を奪回したいのですよねえ?」
「おうとも。いつ誰が村を勝手に占拠するか、知れたもんじゃねえんだ。できることなら今からでも取り返したい」
クレースは折りたたまれた紙片をテーブル上に広げた。
「こいつがアミエロ村の簡単な地図だ」
たしかに簡単な地図だった。真ん中に一本道が通り、それに沿って家屋や林が並んでいるというわかりやすい地理である。
「村は丘の中腹にある。北側が谷になっててその向こうにはサールブロが見えるんだ。南側は急斜面になっていて、その高台の上からは村の全体が見下ろせる。ここに陣取れば、村の敷地内にいるミームどもは全て矢で射抜ける。奴らは遮蔽物に隠れるなんて智恵もないからな」
説明しながら、クレースは村の中心部を指でつついた。
「問題はここに立つクリフォトだ。こいつを守るために、でけえ亀型のガーディアンミームが控えている。こいつの甲羅はどんな強弓でも射抜けない。接近戦で叩き割るしかないんだが……」
「接近戦でも強いんですか」
「この甲羅がほぼ球状でな」ヒラルドが言った。「野郎、高速で転がって敵にぶつかってきやがるんだ。こいつをまともに食らったら死ぬぜ」
「攻撃と逃走を兼ねているんだ」フェルドも言う。「こいつの甲羅を砕くにはでかいハンマーがいるだろうが、重いハンマー抱えて追いつくのは至難の業だろうぜ」
「かと言って……」さらにミラーズ。「迎え撃とうとしても、転がってくる勢いにはかないやしねえ。昔そうやって甲羅を砕こうとした奴がいたけど、逆に全身の骨を砕かれちまった」
「参るねえ」コウガが口を挟んだ。「聞けば聞く程、到底勝てない相手に思えるんだけど」
「勝機はある」
険しい顔で、クレースは断言した。
「たしかに亀の甲羅は堅いが、中に隠れるための穴は空いている。そこへ正確に矢を撃ち込むことさえできれば、倒すことは不可能じゃない。奴もずっと一方向にばかり転がるわけじゃないんだ。方向転換しようとすればおのずと速度も落ちる。そこが狙い目よ。何人かが囮になって亀の回転突撃をかわし続け、方向転換中を狙い続ければ……」
「いえ、そんな不確実な作戦に頼るべきではない、と思います」
チエは断言した。
「何を言う」とクレースは眉をひそめる。
「だったら他に確実な作戦でもあるというのか?」
「考えはありますが、その前に一つ。村の近くに広い場所はありますか?」
問われてクレースはしばし黙り込んだが、
「あることはある」
身を乗り出し、テーブル上の地図、真ん中の道をなぞる。
「西側だな。バルデンハイム寄りに、少し広い場所がある。子供の頃はここで鬼ごっこなんかしたもんだ。村から少々距離があるが」
「少々距離があった方が好都合です。ここに敵を誘い込み、迎え撃ちます」
チエの言葉に、クレースも一同も首をひねる。
「さして有利な場所とも思えんが……」
「有利な場所にするんですよ。作戦としては、まず皆さんの弓の腕で雑魚ミームを片付けてもらい、その後私たちが徒歩で亀にアプローチ。亀をおびき寄せてこの広場におびき寄せ、始末をつける。やろうと思えば……早ければ明日の朝にもいけますよ」
「朝というのは都合がいい」ヒラルドが言った。「奴らの寝起き、早朝を狙えば討ち漏らしにくかろうて」
「ミームの掃討は任せてよ! 弓の腕には自信があるからね!」
ビオラの発言に、コウガは軽く驚いた。
「マジかよ。そいつは意外だね」
「父さんに仕込まれたもの! アミエロ村生まれの女は、ナンパ男を追い払うのにも弓矢を使うのが伝統だからね!」
「それはいいことを聞いた。アミエロ村出身の女性に声をかける時は矢避けの盾を持参しよう」
「とにかく、決まりですね」チエが言った。「皆さんは日の出前に村を見下ろす高台に待機、日の出とともに射撃を開始、という方向でどうでしょう」
「ちょ、ちょっと待った」
コウガはチエの腕を掴み、小声でささやきかけた。
「朝早くだと俺、せいぜいレベル5くらいだと思うんだけど……」
「大丈夫です。今回はコウガの力を借りるのは準備段階だけだと思いますので。当日は適当な護身スキルさえセットしてもらえば大丈夫ですよ」
不審な顔をしたままのコウガから離れ、チエは一同を見回した。
「よろしいですか? よろしいようでしたら、この線で行きましょう。あともう一つ、亀の正確なサイズを教えてください。というのも……」
チエは考えを語り続ける。その態度は指揮官と呼ぶにふさわしい堂々としたものだった。
――ついさっきまで、地図が読めず道に迷っていたチエとはまるで別人だなあ。
コウガはそう思ったが、口には出さず、チエの語る作戦を聞き続けた。
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