私のあたまのなかは私にしか見えてない

笠井咲

1. 痛いと寒い

10月22日。


生まれて18年間の中で感じたことのないくらいのあつい10月。幼い頃の10月なんてただただ栗の渋皮煮をたべて、いつのまにか冬だった。

みんな秋が好きだという。寒くも暑くもないから、と。たしかに、汗はかかないし、強すぎると痛覚とも認識される寒さも感じない。汗は化粧が落ちるし、なにより汗臭い。まあ、私は冬が好きだけど。はあ、ため息がでる。季節ひとつにこんなにも考えるようになったのはいつからだろう。私は考える。頭の中だけで。この「考える」はいいことなのか?また考える。答えはいつもでないまま。冬を待つ私は、冬が終わってしまう直前に、また、冬を待つ。



私は、高校の時夢があった。それは、歌手。高校一年生の時は具体的に描いていた。東京に上京して、バイトをしながら専門学校に通う。毎日のように、というか毎日、声優を目指す友達と語りあっていた。二人の通う専門学校を地図上で結んだときのちょうど真ん中くらいの距離にあるアパートに二人暮らしをして、帰るとただいまーというのと同時に靴下をぬいでカバンを投げベッドにドスンと顔から倒れこんで、いつも通りにかえってくるおかえりーを聞いて、10秒そのまま停止したあとに、お風呂に入って2人でぱじゃまでぐだぐだと話して、寝る前に、よしまた明日から頑張ろうって思う生活をするんだって毎日のようにその友達と弾丸トーク。今日バイト先にイケメンなお客さんが来たこととか、学校でおならしたかったけど我慢したとか、自分達に彼氏ができないのはなぜという議題ついて意味もなく語り合ったり、そんな毎日を想像するのが楽しかった。それを母に言った高校一年生の終わり。まだ若い私は、親がどんな風に思うかとか、どんな顔をするのかとか、自分に返す言葉とか、考えていなかった。母は、私に気を使った変な顔で、現実は思い通りに行かないんだよっていうことを語り、もし本当にそうしたいなら応援するけど仕送りとかはしないよ?とか、将来返せるお金ができる確実な仕事じゃないのはわかる?とか言われた。そんな現実的な話しをする母の声は私の中にはなにひとつ響かなかった。どんな言葉も全部「諦めて」「その夢は違う」「叶わない夢」って聞こえた。まじかぁ。そんなのを聞きたかったんじゃないのに。嘘でも適当でもいいから、そんな夢できたの!叶えなんたい!って聞きたかった。まだ若い私は、母のきもちを考えることなんてできず、悲しくなった。夢はできても、叶えられないかもしれないなら諦めなきゃいけないんだ。そっか。きつかった。でも、それは昔の私。今ではその頃の私はただ自分の夢を誰かに語りたかっただけなのかもしれない。それを聞いてもなんとも思わないくらいの夢への想いが私にはなかっただけなのかもしれない。母は、私の想いを真剣に受け止めて、真剣に答えてくれたからこその言葉なのかもしれない。人間は考えて自分の気持ちを変えればどうにでもなる。自分の夢を否定されるつらさを知れたから良かった。そうも考えれる。だから、私はたまに自分の本当の気持ちがわからなくなる。

でも、自分に子供ができて初めて夢を語られたとき、全力で応援してあげよう、そう思ってる。それはつまり自分は知らないだけで、高校一年生のとき感じた母への悲しい気持ちはそのままなのかな。自分の考えは変えれたけれど、気持ちはそのままなのかな。難しい。結論はでない。

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私のあたまのなかは私にしか見えてない 笠井咲 @nacapon

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