3−3
憤懣やる方なく警察署を後にした帰り道、わたしはいつもの武道具屋さんへ向かっていた。
粉砕してしまった竹刀を買わなければならないし、木刀も新調しようと思っていた。
今使っている木刀は『西瓜割』よりもはるかに軽く、頼りない。これでは十分な鍛錬にならない。
そろそろ、『西瓜割』と同じ大きさで、重さも同じくらいの重い木刀が欲しい。
でも、そんなものってあるんだろうか?
ここで「錬想」ができないことはもう実験済みだった。
確かに、かすかに地脈が集まってくる感覚はある。
だが、「錬想」できるほどの熱には到底足りなかった。
そもそも何もない空間から物質を取り出すなんて芸当、冥界でなければできないのかも知れない。最悪、自分で作るしかないのかもしれない。でも木刀削るのって大変そう。
リハビリが終わって六年間の間、わたしは毎日最低でも三千回の素振りと千回の抜刀の練習を自分に課していた。最初は身体中の筋肉が悲鳴をあげたが、歯を食いしばって素振りを続けた。
最近になって、ようやく身体感覚が肉体から『ズレ』ることがなくなってきた気がする。
中学を卒業する位までは、感覚と肉体のサイズが違いすぎて身体が思うように動かなかった。
周りの人は怪我の後遺症だと思っていたみたいだったけど、実際は違う。身体感覚では届きそうなところに腕や足が届かないのだ。
だから特に小学校の頃はコロコロとよく転んだ。
修練を始めてからは、身体を作るためにとにかくお肉を食べるようにした。ネットで調べ、脂肪をつけずに筋肉を効率的につけるためにはプロテインよりもマトンが良いということを知ってパパにはいつもマトンをおねだりした。
一日一キロ。朝はマトンを塩胡椒で炒め、お昼は必ずジンギスカン弁当。夜は五百グラムのステーキと付け合わせの野菜、それにご飯。
パパは『アリスの食費で破産する』と悲鳴をあげたが、それでも毎週末にはコストコで巨大なマトンのかたまり肉を買ってきてくれた。
おかげでわたしの身長はスルスルと伸び、今では一七五センチある。体脂肪率は十一パーセント。これは女性としては別格に低いらしい。
胸はほとんど膨らまなかったが、まあ、いいっか。
あんなもの、あっても剣を振るう時に邪魔になるだけだもの。
日々の鍛錬の甲斐もあって、わたしの身体は鞭のようにしなやかに鍛え抜かれている。腹筋もちゃんと割れているし、脇腹にも脂肪はカケラもない。
でも、これではまだ不十分だ。
『西瓜割』を楽に扱える体幹と、もっと速く刀を振るうための爆発的な筋力が必要だ。
お師様と修行していたときには出来たのだ。できない訳がない。
(でもどうやって鍛えたらいいんだろう……)
目下、わたしが日々悩んでいる課題だ。
「ごめんください」
わたしは『武藤武道具店』のガラスの引き戸をガタピシと開けると、店の中に入った。
このお店は昔からあるみたいで、作りが古い。
両側のガラスケースには高級そうな模造刀やなぜか手裏剣などが置かれていたが、メインの商品は剣道具だ。
胴着、袴、防具に竹刀。
素振り用の木刀も置いてある。
「……はい、いらっしゃい」
奥から出てきたのは初老の女性だった。旦那様が早くに亡くなったとかで、今はこの女性──武藤さん──がお店を切り盛りしている。
どうやら武道には少々疎いみたいで、この店はたまに素っ頓狂なものが置いてあった。
二尺しかない脇差を模した竹刀とか、僧兵の使いそうな六尺棒とかがなぜか置いてある。
「サンパチのカーボン竹刀を一つ、ください」
「あなた、昨日買ったばっかりじゃない? もう一本欲しいの?」
「折れちゃったの」
「折れた? まさか」
「ほら、これ」
わたしは持って帰ってきた砕けた竹刀を武藤さんに差し出した。
「あらまあ、不良品をあげちゃったかしらねえ。ごめんなさいねえ」
オロオロと武藤さんが謝る。
「いえ、竹刀は大丈夫だったんですけど、わたしの打ち込み方が強すぎちゃったみたい」
「そんなこと、聞いたことがないわよ。いいわ、もう一本あげる。メーカーにはわたしが文句を言っておくわ。その折れた竹刀を頂戴?」
「いいんですか?」
「当たり前よ。不良品だもの。文句言ってちゃんとしたものを卸すように言ってやるわ」
鼻息荒く武藤さんは言った。
「どうもありがとうございます」
深々と頭を下げる。
「どういたしまして」
と、わたしは店の片隅に無骨な木刀が無造作に置かれていることに気がついた。
おそらく長さは四尺、刀身が太いところを見ると素振り用だろう。
「……ああ、これ?」
武藤さんはわたしの視線に気づくと、
「よいしょっ」
とその木刀をわたしに差し出した。
「これねえ、失敗作みたいなのよ。大学の人がとにかく重い素振り用の木刀が欲しいっていうから取り寄せたんだけど、そうしたら今度は「いくらなんでも重すぎる」ですって。どうしようかと思って」
「ちょっと持たせてもらってもいいですか?」
「いいけど……あなたには重いわよう」
若干握りが太い気もしたが、重さはまさにぴったりだった。
これなら『西瓜割』とほとんど変わらないか、あるいは少し重いくらいだ。
「これ、ちょっと振ってみてもいいですか?」
おずおずとわたしは武藤さんに尋ねてみた。
「そりゃあいいけど……重いわよう、あなたには大きすぎるんじゃない?」
心配そうに言う。
「いえ、多分大丈夫です」
さすがに店の中では振るえない。
幸い、お店は路地裏にあった。
道で二、三回素振りをするくらいなら大丈夫だろう。
わたしは武藤さんから木刀を受け取ると着ていたダッフルコートを預け、またガタピシとお店の引き戸を開けた。
夕闇の迫る道に出てみて周囲を伺う。人がいたら危ない。骨を砕くでは済まないかも知れない。
店の中では心配そうに武藤さんがわたしを見つめている。
わたしは周りに人がいないことを確かめてから、ゆっくりと木刀を振り上げた。
丹田に力を込め、思いっきり振り下ろす。
「エィッ」
気迫が勝手に口元から漏れる。
すごく、いい。とてもしっくりくる。
わたしはそのまま木刀を斬り上げると、三連撃の要領で横に払った。
ブォンッ
放たれた剣圧がガタガタとお店の引き戸を震わせる。
「ふう」
わたしは急いでお店に戻ると武藤さんに、
「これ、ください」
と詰め寄った。
それまで呆気に取られていていた武藤さんが不意に我に返る。
「……あなた、細いのにすごいのねえ。こんな木刀振れちゃうなんて。それにすごい剣圧。引き戸が割れちゃうかと思ったわ」
「ごめんなさい」
「……いいわ。それはあなたにあげる」
武藤さんはわたしに言った。
「え、でも……」
「お店に置いてあったって、またホコリかぶっちゃうだけだもの。いいわ、あげる。竹刀のこともあるしね」
「ありがとうございますッ!」
心を込めて頭を下げる。わたしは来た時とは裏腹に意気揚々とお店を後にした。
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