真夏のビワイチ
だいふく
第1話
ロードバイクを買ったのは一ヶ月前のことだった。
高校二年生の僕は、受験生になる前の最後の夏休みに、どこかに一人旅をしようと考えていた。ちょうどその時にロードレースをテーマにしたアニメが流行っていたこともあって、僕は自転車旅行をすることを決めた。
運動音痴で体力もない僕が貯金を崩して十万円のロードバイクを買ったことに、両親は驚いていたが、旅行については(おもに金銭面で)協力してくれた。
どこに行くか。兵庫県の南東の隅に住んでいる僕は、旅行の期間を三日と決めて、琵琶湖を一周することに決めた。ビワイチ――琵琶湖一周サイクリング――が有名だというのが最大の理由だった。琵琶湖大橋を境に、北湖、南湖と分かれていて、一周は約二〇〇キロ。自宅との往復も考えると実に三五〇キロにも及ぶ(個人的には)大冒険だ。
結局ろくな計画もせぬままに、寝袋と着替えをリュックに詰め、あとは生命線である現金三万円だけを持って僕は朝五時に家を発った。
馴れないロードバイクでは京都までの国道、高速道路沿いの整備された四〇キロ(大津に抜けるために通らなくてはならない)さえ苦痛だ。けれど、ビワイチはそこからがスタートなのだ。
途中から京阪電車と併走しながら山を越えて(途中で足を攣って徒歩で登った)ようやく大津に入った。そこからは坂を一直線に下り大津港へ到着したのが十一時。実に六時間近くかけて、ようやくスタートラインに立ったのである。
港で琵琶湖の全貌をおがみ、少しの休憩を挟んでから僕は自転車を漕ぎ始めた。
一日目、最大の目的地は琵琶湖博物館。そこで昼食もとるつもりだったのだけれど、結局そこに着いたのは午後一時を回ってからだった。
展示物を見ることなく真っ先にレストランに入り、気になっていたバス天丼を注文……は出来なかった。ちょうどこの年はブラックバスの漁獲量が少なくメニューから外されていたのだ。仕方なくなまず天丼を注文したのだが、これがまた美味しかった。淡白でぷりぷりとした身に、タレの味が良くあっている。(後で学校の先生に聞いたところ、バス天丼も美味しいらしい)
それから展示物――ちょっとした水族館ばりの水生動物が特に素敵だった――を一通り見て、二時間の昼寝をしてから博物館を発った。これが四時半くらいのことである。
一日目は行けるところまで行くつもりだったから、その後は観光そっちのけで琵琶湖の景色を堪能しながらひたすらにペダルを踏んだ。
時刻が七時を回り暗くなってきた頃に彦根市に入った。残念ながら時間の都合で彦根城に立ち寄ることは出来ず、もちろんひこにゃんにも会えなかったのだが、夜の、ライトアップされた彦根城を遠くから見ることは出来た。夜の黒を背景に浮かび上がる光の楼閣は疲れた僕の心に深く刻まれた。
宿に着いた頃には既に八時だった。宿といっても道の駅の東屋の下で横になるだけなのだが、一日目から一四〇キロを漕いで疲れ切っていた僕はすぐに眠りについた。
二日目。朝五時に起きてから一日のルートなどを確認し、道の駅を七時に出発した。朝早すぎて長浜観光は出来ず、駅前を少し回っただけで元のルートに戻った。しかし、そこからが地獄の始まりだった。
とにかく店がない。コンビニがあるとしても、湖畔から少し離れたところなのでわざわざ寄るのが躊躇われる。結局、次の道の駅について朝食(鴨巻寿司)を食べられたのが十時を回ってからだった。正直、湖北を舐めていたと言わざるを得ない。自転車旅行で物資の補給に気をつけなくてはならないというのをここで学んだ。
そこからはまた湖畔を行くだけだったが、一箇所気になったところがあって寄り道をした。
余呉湖、という小さな湖だ。一五キロ程度で済みそうだったので、せっかくなので寄っていくことにしたのだ。
一周には一時間もかからない。木々に覆われた五キロの道を回るだけだったが、戦没者の慰霊塔や羽衣伝説の石碑など、景色の素晴らしさと相まってこの旅行の中で最も心に残ったスポットだった。
湖北は山に囲まれていることもあり湖南よりも景色がよく、なにより湖にゴミが浮いていない。ところどころで立ち止まり写真を撮りながら進んだのだが、ここでまた問題が発生した。
道に迷ったのだ。スマホがあるにも関わらず、だ。これが最大の難関だったように思う。なんせ水は尽きるし補給食もない。一時間近くさまよった挙句、どうにか目的地の道の駅に辿り着き、午後二時にようやく昼食にありつけた。
そして、ここから湖西の道だ。山ばかりの湖北と比べて平坦な道が続くため、随分と楽だった。
途中、ソーラー発電所や風車のある道の駅などもあり、自然とはまた別のところで僕を楽しませてくれた。
西近江路を進んでいると、これまた珍妙なものに出会った。
湖の上に浮かぶ鳥居だ。反対車線に神社があったので、そこの鳥居なのだろうが、水の上に鳥居が浮かんでいるのなんて厳島神社しか知らなかった僕は驚かされた。
二日目の宿は、琵琶湖大橋のたもとにある道の駅だ。この日の走行距離は一一〇キロ。ぐねぐねと波打ったベンチに身体を横たえて眠った。夜の琵琶湖大橋は綺麗だったけれど、それよりも朝日に照らされた姿の方が荘厳だった。
三日目、最終日。夕方には家に着く予定だ。
昼前には、二日前にいた大津港に到着した。ビワイチ達成だ。
不思議と、その時に達成感は湧かなかった。ああ、こんなものか、と。安物のグローブが擦り切れているのを見て、ようやく実感が湧いてきたくらいだった。それは多分、僕がビワイチを目標にしていなかったから。
琵琶湖一周なんて誰にでも出来る。僕はそう思う。
自転車じゃなくてもいい。車でも、電車でも、徒歩だっていい。ぜひ、琵琶湖一周にチャレンジしてみて欲しい。
この二〇〇キロの道程には、僕が体験した以外にも様々なものが詰まっている。
余談だが、帰り道でまた迷子になった。
真夏のビワイチ だいふく @guiltydaifuku
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