2-6 旧約の中の新約聖書(3)

 アンティオコスの影響による旧約聖書の修正は、ダニエル書とエゼキエル書にとどまらない。ゼカリヤ書の後半はゼカリヤ本人の手によるものではなく、後世に書かれたという意見は通説になっている。前半は神殿再建時の啓示だが、後半はアンティオコスが神殿を荒らしたことが原因で、救世主計画の一部が変更され、追加されたものである。


 その内容は、世の終わりに救世主がエルサレムに入城し、全ての国がエルサレムを攻めるが、主によってうち倒されるというものだ。マゴグのゴグ計画では、オリエントの覇者リディアは、ペルシャ、エチオピヤ、プテなど数カ国を率いて攻めてくるが、これはローマ帝国の全州から軍隊が集まりエルサレムを囲む。


 ゼカリヤ書九章では、アレキサンダー大王の攻略を書き記した。ダニエル書同様、すでに起こった事実を、これから起きることのように記すことで、信用を上げることができる。その後、イスラエルだけでなく全世界を救う救世主の登場となる。


「シオンの娘よ、大いに喜べ、エルサレムの娘よ、呼ばわれ。見よ、あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる者であって勝利を得、柔和であって、ろばに乗る。すなわち、ろばの子である子馬に乗る(ゼカ9:9)」


 救世主は、ロバに乗ってエルサレムに入城する。神殿で説教し、替え玉が処刑される。三日後に本人が姿を現し、復活。使徒を引き連れ、ローマまで伝道の旅。大広場フォロ・ロマーノで民衆を前に説教した後に昇天。それから七年間の間、世の終わりを思わせる災いや戦争が起きる。


「民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに地震があり、またききんが起るであろう。これらは産みの苦しみの初めである(マルコ13:8)」


 福音書から判断すると、地震や飢饉や原因で、帝国各地で反乱が起きるようだ。天使は地殻変動を起こすことはできないが、地震の音なら響かせることができる。飢饉は天候不順が原因だ。土砂降りの雨を降らせることは無理でも、日照時間を減らせば作物は実らなくなる。


「にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、しるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう(マルコ13:22)」

 人々の不安につけ込み、偽救世主もあふれている。


 七年の真ん中、三年半後、ローマ帝国皇帝がエルサレム宮殿に異教の神を祀る。

「彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。また荒す者が憎むべき者の翼に乗って来るでしょう。こうしてついにその定まった終りが、その荒す者の上に注がれるのです(ダニ9:27)」


「荒らす憎むべきものが、立ってはならぬ所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ(マルコ13:14)」

 と、イエス本人が述べているように、それが避難指示の合図となる。


 そして救世主の再臨直前に、地球の歴史始まって以来の天変地異が起きる。それは、主の日と呼ばれている。太陽が暗くなり、地上は闇に閉ざされる。これはイザヤ書やヨエル書にも書かれているので、旧計画の頃から考えていた世の終わりの特徴である。


「その日には、この患難の後、日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ(マルコ13:24)」

「この事が冬おこらぬように祈れ。その日には、神が万物を造られた創造の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような患難が起るからである。もし主がその期間を縮めてくださらないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選ばれた選民のために、その期間を縮めてくださったのである(マルコ13:18-20)」


 マルコ福音書のイエスの言葉から、帝国の広範囲に渡り、地上に太陽の光が届かなくなり、最悪の場合、氷河期のような状況になると予想できる。しかし、ゴルゴダの丘を暗くしたのとは訳が違う。いくら実物大の紅海を描いたガブリエルでも、ローマ帝国全土を闇に変えることは無理そうなので、局所的に暗くする予定をイエスが誇張したのだろう。


 かつてない災いと反乱のなか、ユダヤの反乱に業を煮やした皇帝は、帝国の全州から軍隊を集め、エルサレムに攻め込もうとするが、

「その日には、わたしはエルサレムに攻めて来る国民を、ことごとく滅ぼそうと努める(ゼカ12:9)」

 と主がおっしゃっている。


「わたしは彼らに向かい、口笛を吹いて彼らを集める、わたしが彼らをあがなったからである。彼らは昔のように数多くなる(ゼカ10:8)」

 とあるように、主は諸国からイスラエルの兵士を大勢集めるという。だが、どこの国にイスラエル兵がいるというのだろう。


「その日には、主は彼らを大いにあわてさせられるので、彼らはおのおのその隣り人を捕え、手をあげてその隣り人を攻める(ゼカ14:13)」


 無勢が多勢を倒すには同士討ちを誘うことが有効だ。敵はイスラエル兵を狙うはずだ。味方であるはずの他部隊が、諸国から馳せ参じたイスラエル兵に見えれば、同士討ちは必然的に起きる。


 出エジプトの時、エジプト軍が自ら紅海に飛び込んだように、ローマ軍は自滅する。生き残った軍隊はイスラエル人の逃げた山に向かうが、難所に導かれ、暴君ともども滅ぼされる。イスラエルは勝利し、主の栄光が示される。


「あなたの太陽は再び沈むことなく、あなたの月は欠けることがない。主があなたの永遠の光となり、あなたの嘆きの日々は終わる(イザヤ60:20)」


 姿を隠していた救世主は、新皇帝の待つローマの大広場に白い雲に乗って降臨する。黒雲の隙間が広がり、太陽が現れる。


 この最新計画は、救世主の威光を高めるだけでなく、天使が苦心して考え抜いたマゴグ計画を規模を拡大して生かせる。イエス本人が処刑されなければ、歴史はかなりおもしろくなったことだろう。


 残念ながら史実は、ローマ軍の兵糧責めでエルサレムは陥落。紀元前二十年に救世主の登場を準備するかのように拡張した第二神殿は破壊された。カエサル、オクタビアヌスと二代に渡り、痛んでいたフォロ・ロマーノを、華やかで美しい広場に造り替えたことも無意味となった。



 黙示録十六章に出てくる有名なハルマゲドンは、世界最終戦争のようにとらえられているが、イスラエルにあるメギドの丘を意味する。大淫婦を裁く話の序章として、神が怒っていることを示すため、七人の天使が鉢に入った災いをぶちまける際に出た場所だ。


 第六の天使が鉢の中身を川に注ぐと、悪霊たちが全能の神の戦いに備え、世界中の王たちをメギドの丘に集めた。第七の天使が鉢の中身を空に注ぐと、雷や地震など天災が起き、神は大バビロンを思い出し、怒りのぶどう酒を大淫婦に与えた。


 それから十七章に入り、七人の天使のうちのひとりが、ヨハネに大淫婦に対する裁きを見せる。そういう話の流れなので、ハルマゲドンは、大淫婦に対する神の怒りを、七人の天使が災いの入った鉢を注ぐという詩的かつ比喩的に表現した際に出てきたもので、刑事ドラマのオープニングクレジットで、刑事が屋台でラーメンをすすっているシーンの屋台の屋号程度の意味合いしかない。


 アグリッピナという一神教の歴史にとってとるに足らない人物に対する批判ドキュメンタリーのオープニングの一コマで、終末の最大イベントを啓示するほど天使は馬鹿ではない。世界最終戦争についてのはっきりした予定があるなら、一度きりの啓示の最後のおまけではなく、複数の預言者の元を何度も訪れ、その一連の預言だけで聖書に数書が加わるはずだ。


 幕屋のサイズを信じられないほど細かく指定して来る主が、世界最終戦争について、曖昧な表現のまま二千年間放置するわけがない。核ミサイルの時代に、全ての国々がエルサレムに攻め込む必要がどこにある。天使は黙示を通して、アグリッピナに対する怒りを表現したのだ。


 とはいえ、黙示録にも十九章と二十章に終末プランはでてくる。十九章では、白い馬に乗った王の中の王が天の軍勢を率いて登場し、獣と地の王たちの軍勢を倒す。そのすぐ後の二十章では、イエスや天使がサタンを千年間封印し、千年後によみがえったサタンにまた勝利するという。


 十九章の内容は具体性に欠けるが、ゼカリヤ書や福音書の終わりの日を思わせる。二十章のそれはただの宗教話にすぎない。ゼカリヤ書後半や福音書に出てきた具体的な終末計画が、イエスの死で実現できなくなった。


 それでも天使は、できれば再臨したイエスが獣ネロを倒すような状況に持っていきたかった。だが、実現の可能性が極めて低いため、わずかな希望を曖昧な表現で濁した。かなり曖昧ではあるが、ほとんど実現不可能なことがわかっているので、さらに曖昧にすべく、サタンを千年間封印するというおとぎ話を付け加えた。


 初代皇帝オクタビアヌスによるパクス・ロマーナの実現を見て、皇帝制度が軌道に乗ったことを確認したガブリエルは、救世主計画を実行に移した。イエスが三十歳になったとき伝道を開始させ、敵役の皇帝カリグラを準備していた。


 ところが替え玉作戦が失敗し、救世主計画は大きく後退することになる。三代皇帝カリグラは暗殺された。それでカリグラをしのぐ悪の皇帝ネロを選び出したが、生きているイエスがローマで昇天した後の再臨と、二十年前にパレスチナで昇天したイエスがいきなりローマに再臨するのでは、全く意味が違う。イエスの再臨は、下手に行えば大失敗に終わるだろう。


 旧約の時代、アッシリアや新バビロニアを滅ぼすことを、王の名や国名をはっきりと出して預言した天使は、実現の自信がなく、プラン変更が予想できるネロ計画については、外れてもいいように獣でごまかした。


 黙示録は人類の終末の書ではなく、終末プランの終末の書だった。ただし、完全にあきらめたわけではなく、状況次第ではイエスを再臨させることを検討していた。そのためにヨハネの前でイエスと名乗ったのだ。


 残念ながらネロの死後、ユリウス・クラウディウス朝は滅び、軍が皇帝を擁立するようになる。それでも、信徒は地味ながら増えていた。宣教が順調ならば、わざわざリスクのある奇跡を起こす必要はない。ガブリエルは、イエス再臨という派手なパフォーマンスはやめ、地道に宣教していく方針をとった。


 黙示録は一世紀の終わり頃に成立したといわれているが、啓示の時期はパウロの第二次伝道旅行が終わったAD53年頃だ。

 天使は、設立間もない小アジアの教会への忠告のついでに、当時暖めていた終末のやり直し計画をヨハネに見せたのだが、肝心のプラン自体が曖昧で、無意味で派手なホラー映像のオンパレードになってしまった。そこに現代の情勢を無理矢理当てはめるのは、SF好きが集まるSF大会のオープニングアニメを、現実のニュース報道と勘違いするようなものだ。

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