2-6 旧約の中の新約聖書(2)

 ダニエル書にはまだ謎が残っている。冒頭から二章四節の途中までがヘブライ語で書かれ、そこから七章までがアラム語、八章から残りがヘブライ語となっている。創作部分は六章までなので、単純に創作者が別の言語で記述したわけではない。ではなぜ、途中がアラム語なのだろう。


 ガブリエルは、ダニエルの時代をずらすついでに、ダニエル書の内容を史実に合わせて修正した。十一章はアレクサンダー後のシリアやエジプトについて書かれているが、あまりにも歴史的事実と一致しすぎていて、そこまで細かく実現させることはいかに天使といえども不可能である。


 もともとダニエル書はアラム語で書かれていたが、執筆者がアラム語が苦手で、ヘブライ語で修正することにした。英語の翻訳はできるが、英文で文章を作るのは自信がないレベルの実力といったところだ。ガブリエルは創作の内容と修正ポイントを語っただけで、執筆者は自ら文章を作らなければいけない。


 四匹の獣の出現予告七章は、完璧で修正を必要とせず、翻訳は後回し。八章から内容を修正したものを、ヘブライ語で記述していく。修正と書いたが、おそらく元のダニエル書は今の七章から十章までしかなく、十一章と十二章は新規に作ることになる。最後まで終えると、次は一章の頭からヘブライ語で創作にとりかかる。


「カルデヤびとらはアラム語で王に言った、『王よ、とこしえに生きながらえられますように。どうぞしもべらにその夢をお話しください。わたしたちはその解き明かしを申しあげましょう』(ダニ2:4)」


 この二章四節の会話部分は、アラム語で記述する必要がある。執筆者はアラム語を勉強した。苦手と思っていたアラム語も、なんとかものになりそうだ。執筆者はそこからアラム語の執筆にチャレンジし、創作部分を書き終えた。

 次の七章は、ダニエル本人の手によるアラム語だからそのままでいい。八章。せっかくヘブライ語に翻訳したのに、また書き直しか! 執筆者は自分が修正翻訳したヘブライ語部分を、またアラム語で書き直すことに嫌気がさし、そこで作業を終了した。



 八章の四つの国の終わりの時の猛悪な王と十一章の卑しむべき者は、BC167年にエルサレム神殿を荒らしたアンティオコス四世だ。このならず者のことを記すため、ダニエル書はヘブライ語で書き換えられた。


 十一章と十二章を読む限り、アンティオコス四世がエジプト等と戦う時のイスラエルの被害を終わりの時と表現しているように思われるが、ダニエル書を近未来の終末予言とする意見は根強い。未来のこととする根拠は、十一章の四十節辺りから史実と異なるからだ。


 それは、ダニエル書修正時期がエルサレムが略奪されて間もないBC165年頃だったので、その後の預言が当たらなかったのだ。エルサレム神殿にゼウス像(荒す憎むべきもの)を祀り、大嫌いな豚を供えたことに怒ったガブリエルは、この大悪王を前代未聞の作戦で滅ぼす計画を立てた。


 北の王セレウコス朝シリアは、嵐のように各国に攻め入り、通過していく。勢いに乗る彼らを止められるのは、第四の獣ローマだけだ。だが、今回はそういった通常の手段はとらない。


「彼は海と麗しい聖山との間に、天幕の宮殿を設けるでしょう。しかし、彼はついにその終りにいたり、彼を助ける者はないでしょう(ダニ11:45)」

「その時あなたの民を守っている大いなる君ミカエルが立ちあがります(ダニ12:1)」


 王の宿営をミカエルが襲撃するが、モーセが割った海が本物の海ではないように、ミカエル本人ではない。空中に巨大なミカエルの幻を描き出し、「大空の輝き(ダニ12:3)」で宿営を焼き尽くすのだ。巨大な凸レンズ、透明なガラスの壺でもいい。それをミカエルが上空から掲げて、中東の熱い太陽の光を集め、テントに当てる。


 レンズは幻にすぎないが、光を操れる天使なら機能上問題はないだろう。八章でも猛悪な王は、「人手によらずに滅ぼされるでしょう(ダニ8:25)」とあり、天使が直接手を下すが、ミカエルがいなくなったからできる芸当だ。本人がいたら、恥ずかしいからやめてくれというに違いない。焼き尽くすと書いたが、発火しなくても中の兵士は熱中症で倒れる。


「荒す憎むべきものが立てられる時から、千二百九十日が定められている。待っていて千三百三十五日に至る者はさいわいです(ダニ12:11-12)」


 神殿が荒らされたBC167年の十二月が起点なので、三年半後のBC163年の夏に実現する予定だった。エアコンも扇風機もない時代、事前に飲料水を足りなくするなどの措置をとれば、テントの中の者はただではすまない。

 実現すれば、モーセが海を割った以上の超奇跡だが、直前にアンティオコスは陣中で急死する。彼が生きていたとしても、ユダヤ人が反乱(マカバイ戦争)を起こし、善戦していたので、計画は実現されなかっただろう。


 ちなみに、アンティオコスの兄王が神殿に派遣した使節が財宝を没収しようとすると、騎士が現れ、使節と護衛兵を追い払ったと外典マカバイ記に記されている。この時代には映像が直接兵と戦ったようだ。



 ダニエル書九章は、キリスト登場時期の予定だ。エルサレム城壁の工事が行われたBC445年が起点で、そこから七十週(七十×七年)でAD45年。この年、キリストによる救済が実現する予定だった。イエスが処刑されず、ローマに伝道していれば、ちょうどその頃になるはずだが、正確すぎるということは却って疑わしい。


 エズラ記四章では、神殿工事再開の途中に城壁工事の請願文が無理矢理挿入されている。キュロス王の時代によこしまな連中の陰謀で神殿工事が中断し、ダレイオス王の時代にキュロス王の文書が見つかり、工事が再開するという流れの途中に、七十年後の城壁工事の妨害エピソードが不自然に入れられ、エズラ記の信憑性を損ねている。


 エズラの十三年後にバビロンから帰還したネヘミヤの手によるネヘミヤ記は、城壁工事がメインとなっており、その後にエズラの物語が続いている。エズラ記とネヘミヤ記は、内容から以前は同じ巻物に記されていたとされる。エズラは歴代誌の筆者とされ、歴代誌の文末とエズラ記の冒頭は全く同じ文章が記され、もともとは一続きの巻物だったと推測されている。一体、この三つの書に何が起きたのだろう。


 一世紀頃記されたユダヤ古代誌には、城壁工事期間はネヘミヤ記の五十二日ではなく、二年四ヶ月かかり、クセルクセスの二十八年(在位は二十年間なのでおかしい。息子のアルタクセスクセス一世の時代でBC458年頃)に竣工したと記されている。

 また、エズラ記のアルタクセスクセスは一世ではなく、六十年ほど後の二世のことだという説が有力視されている。ネヘミヤ記二章では、ネヘミヤは献酌官という設定で、世界帝国ペルシャの王と直接会話して、工事が決まるのも嘘くさい。


 エズラ記のギリシャ語訳には、第一エスドラ書と第二エスドラ書の二種類がある。第二のほうは、現在のエズラ・ネヘミヤ記を翻訳したものだが、第一のほうはエズラ記と少し内容が異なり、ネヘミヤ記の部分が七章の終わりから八章の途中のみ。つまり、城壁工事の時期を特定する箇所が存在しない。


 どうもダニエル預言が当たったことにするために、何か工作があったようだ。城壁工事の時期はネヘミヤ記のBC445年ではなく、ユダヤ古代誌のBC458年前後だった。エズラは三代後のアルタクセスクセス二世の時代の人物で、歴代誌を執筆したが、城壁工事のような些細なことは扱わなかった。

 ダニエル九章の預言はダレイオス元年で、翌年には預言者ハガイに神殿再建の啓示が下ったことから、ダニエルへの預言は城壁工事ではなく、神殿再建を起点としていたはずである。


 紀元前二世紀、アンティオコスの影響でダニエル書を修正する際に、七十週の起点を神殿再建ではなく、城壁工事に書き換えた。その時期も調整可能な状態にするため、実際に城壁工事を行ったネヘミヤと歴代誌筆者エズラとを関連づけ、エズラ・ネヘミヤ工作を行った。


 新規に旧約聖書の巻を増やすのは難しい。工作を一度に行うのは危険が伴うので、ガブリエルはあらかじめ歴代誌の後ろ十章ほどを切り取り、エズラ記(第一エスドラ書の翻訳前)として独立させ、イエスが登場した頃、工事の時期をアルタクセスクセスの二十年(BC445)とし、預言に合わせた。紀元前一、二世紀頃のものが残っている死海写本にネヘミヤ記がないのは、その辺りの事情が関係しているのだろう。


 九章の七十週の内訳。

「メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り(ダニ9:25)」

 とあるが、七週後のBC396年頃には特筆すべき出来事はない。

 これは、キリスト登場時期までの六十九週を、救済実現までの七十週と間違えて、無理な言い直しをしたことによる。69と言い直さず、70の7まで言ったところで、62を追加して合計69としたのだ。


 アラム語の70はシャーウィーで、シャーまで発音したが、間違いに気づき、7のシャーワーに変更した。ヘブライ語のザイン(7)とアイン(70、アは摩擦音)ではありえないので、ダニエルへの啓示はアラム語だったことがわかる。


「その六十二週の後にメシヤは断たれるでしょう。ただし自分のためにではありません。またきたるべき君の民は、町と聖所とを滅ぼすでしょう。その終りは洪水のように臨むでしょう。そしてその終りまで戦争が続き、荒廃は定められています。彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。また荒す者が憎むべき者の翼に乗って来るでしょう。こうしてついにその定まった終りが、その荒す者の上に注がれるのです(ダニ9:26-27)」


 キリストが昇天でいなくなってから、三年半後にローマ皇帝(暴君)がエルサレムと神殿を荒らす。その三年半後、救世主は再臨し、暴君は滅ぼされる。この七年が基準となって、その七十倍の四百九十年を救済までの時間にした。紀元前六世紀の計画が、アンティオコスの影響で、イエスの敵荒す者が偶像を祀るように修正された。


 イエスが処刑されていなければ、その役目を果たしたのはカリグラだ。事実、彼は西暦三十九年から四十年の間に、自分の神像をエルサレム神殿に建てることを命じている。城壁工事命令から六十九週と一、二年経った頃だ。


 ユダヤ内乱を恐れたシリア総督が工事をわざと遅らせ、四十一年初頭(六十九週と約三年)にカリグラが暗殺されたので、神殿に像が建つことはなかった。イエスが亡くなっても、ダニエル預言が当たるように天使は計画を進めていたようだ。

 元老院による暗殺は、イエス本人がいない状況では無理があると天使が判断した結果なのか、それともカリグラが天使に逆らったせいか、今になってはわからない。


 ダニエル書にかなりページを費やしたが、ダニエル書こそが本来の意味での新約聖書だからだ。アウグスティヌス曰く、旧約聖書の中に新約聖書は隠されている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る