2-5 使徒達の黙示録(2)

 ヨハネ黙示録が書かれたのは、ネロの統治時代か、それ以降とされている。エーゲ海のパトモス島にいたヨハネの前に天使が現れ、幻を見せる。おどろおどろしい表現や暗号が多く、オカルト愛好家は現代のことだと考え、ファンタジーに浸っているが、これは一世紀中頃のローマ帝国の事情と宣教計画を天使が示したものである。


「もう時がない。第七の御使が吹き鳴らすラッパの音がする時には、神がその僕、預言者たちにお告げになったとおり、神の奥義は成就される(黙10:6-7)」


 もう時がない、と海と地の上に立つ天使自身が語っているではないか。

 オカルトファンにとっては、近未来の予言が重要なのだろうが、燃える炎のような目をした存在が最初に語ったのは、七つの教会に対する忠告で、天使はそれが目的でヨハネの前に現れ、獣や終末などの幻はついでに示したにすぎない。


 七つの教会は全て現在のトルコ西部に位置し、天使は、大手外食チェーン店のエリアマネージャーのように、それらの教会を巡回し、抜き打ちでチェックしていた。その結果、七つの教会それぞれに問題点が見つかり、個々に指導するのではなく、改善要求をまとめてヨハネに語り、ヨハネはそれぞれの教会に手紙を出した。


 ペルガモン教会にはニコライ派の教えを信奉する者がいるので悔い改めさせよとか、ティアティラ教会にはイザベラという女とみだらなことをするな、などと具体的である。天使は、せっかく足を真鍮のように輝かせて姿を現したのだから、二匹の獣と来るべき終末を謎解きのようにヨハネに示した。


 この天使はミステリクイズが好きで、アモスの頃から預言を象徴やイメージで現すようになり、後世のミステリ好きに格好の娯楽を与えることになった。絶対にありえないが、テラがアブラハムに同じことをしていたら、アブラハムはハランの地で生涯を終えたであろう。


 ヨハネは天上に上がり、玉座の周りの長老達が主を称える光景を目にする。子羊によって七つの封印が解かれ、七人の天使が登場する。七人の天使がそれぞれラッパを吹くと、様々な災いが起きる。三番目の天使の災いは星の落下だ。その星の名は苦ヨモギという。ロシア語でいうとチェルノブイリで、事故を起こした原発の名前だ。


 だからといって、未来の核戦争の予告だと判断するのは早計である。その星が落ちることによって、水が苦くなるたとえとして苦ヨモギが出されただけで、放射線自体は無味無臭だ。エレミヤ書やアモス書でも民への罰として、苦ヨモギという言葉が登場するので、その苦味から象徴的に出されただけである。


 ただし、原発事故との関連が全くないとは限らない。人間、悪霊、天使などが、聖書に合わせて原発の名前を名付けたり、たまたま聖書に出てくる名前なので、事故が起きるとおもしろいなどと考え、そうなるように行動した可能性がないとはいいきれない。少なくとも、天使がこの時点で未来のことを見抜いていたわけではない。


 八章から十一章で描かれている、七人の天使がラッパを吹くことで起こるこれらの様々な災いは、十二章以降に登場する獣や龍、大淫婦のためのオープニングセレモニーにすぎず、ひたすら派手に描かれているが、特に意味はない。


 天使は、獣や大淫婦で当時の帝国の情勢を暗喩した。十二章には、太陽を着たひとりの女が登場する。彼女が産んだ男の子は、全ての国民を治めるそうだ。悪魔とかサタンと呼ばれる龍がこの親子に干渉してくるが、うまくいかなかった。


 十三章。二匹の獣が登場する。最初の獣は、四十二か月の間、大言と冒涜の言葉を吐く口が与えられていることから、三代皇帝カリグラのことだろう。カリグラの在位は四十六ヶ月だが、最初の七ヶ月は本性を出さずにおとなしかった。天使の認識として暴君の治世は、四十二ヶ月程度といったところで、ダニエル書九章の一週の半分、三年半としたのだろう。


 次に地中から出てくる第二の獣は、その数字が666であることから、五代皇帝ネロのことだ。皇帝ネロのギリシャ語表記ネロンカイサルを、ヘブライ文字に置き換え、文字が意味する数字を合計すると666になる。第二の獣は、人々の額や右手に刻印を押させて、先の獣の像を拝まない者を処刑するということだが、無理な計画なので実現しなかった。


 二匹の獣の後は、七人の天使がラッパを吹くと災いが起きるという儀式的な流れが続く。深い意味はなく、十七章で登場するバビロンの大淫婦登場のファンファーレだ。


 カリグラの妹小アグリッピナは、兄と肉体関係を持っていたと言われ、叔父のクラウディウスを誘惑して結婚、連れ子のネロを養子にさせる。カリグラの暗殺を謀ったり、クラウディウスを彼女が暗殺したとも言われていて、最後は息子のネロに殺された。殺されるとき、ネロが派遣した兵士に向かい、「刺すならここを刺すがいい。ネロはここから生まれてきたのだから」と自分の腹を指さしたという。


 黙示録には、獣に乗ったバビロンの大淫婦が登場する。バビロンは大バビロン(ギリシャ語Babylon he megale)とされているので、新バビロニアを巨大化したローマ帝国のことだろう。大淫婦はその首都ローマのことでもあり、当時その中枢にいたアグリッピナのことでもある。


 獣の十本の角はこの淫婦を憎み、火で焼き尽くすと予言されている。十本の角はローマ帝国の支配層の象徴だろう。その中のひとり、666の獣ネロによって彼女は殺害された。二匹の獣と深い関係だった彼女こそ、大淫婦にふさわしい。


「彼女は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている(黙18:7)」

 という大淫婦の特徴から、アグリッピナが皇帝夫人として女王のようにふるまっていたことと、黙示録の啓示の時期がクラウディウスの在位中(AD41―54)だったことがわかる。ネロが刻印を強要した事実がないのは、ネロが皇帝になる前の計画だからだ。


「ここに、知恵のある心が必要である。七つの頭は、この女のすわっている七つの山であり、また、七人の王のことである。そのうちの五人はすでに倒れ、ひとりは今おり、もうひとりは、まだきていない。それが来れば、しばらくの間だけおることになっている(黙17:9-10)」


 カエサル、オクタビアヌス、ティベリウス、カリグラはすでに亡く、クラウディウスは現皇帝で、ネロの世はまだ来ていない。七人に一人足りないので、BC91年に執政官(共和制ローマのトップ)を務めたカエサルの叔父セクストゥス・カエサルがもう一人なのだろう。十本の角がローマ帝国の権力者の象徴なら、七つの頭は大淫婦が属するユリウス氏族カエサル家の王のことだ。


「あなたの見た獣は、昔はいたが、今はおらず、そして、やがて底知れぬ所から上ってきて、ついには滅びに至るものである(黙17:8)」


 カリグラはすでに亡く、ネロはまだ皇帝になっておらず、最後は元老院に追いつめられ自殺した。


「彼らは小羊に戦いをいどんでくるが、小羊は、主の主、王の王であるから、彼らにうち勝つ(17:14)」


 獣ネロと配下の十人の王(十の地域の長官、あるいは十人の政務官)はイエスに挑むが、敗北する。


 獣がカリグラとネロで、大淫婦がアグリッピナならば、十二章の太陽を着た女とその子供の正体もわかる。ローマ帝国初代皇帝オクタビアヌスとその母アティアだ。


 男の子は全ての国民を治めているし、その母は獣であるカリグラとネロ、大淫婦アグリッピナの血のつながった先祖にあたるので、獣たちの登場する直前に出てきたのだ。女と子供に干渉しようとした龍は悪の象徴だ。龍から逃れた親子が悪ではないことを示し、

「龍は自分の力と位と大いなる権威とを、この獣に与えた(黙13:2)」

 とあることから、子孫のカリグラが悪に染まったことを示した。


 カリグラもネロも、本来はまじめでおとなしい性格だったのかもしれない。残虐だったティベリウスが亡くなり、評判の高いカリグラが即位したことで、ローマ市民は喜んだ。それが病に倒れてから突然性格が変わり、側近を次々に殺害、女装、近親相姦、船を三キロメートルに渡って並べて二日間だけの橋を作る、馬を執政官に任命しようとするなど、狂気の行動に走る。


 血を見ることが嫌いで芸術を愛したネロ。治世のはじめの頃は、まれに見る善政と呼ばれた。普通よりも三年も早く成人式を挙げ、若くして即位したのは、黙示録の天使がネロ計画を急いでいたからだ。イエスの敵役は大悪人でなければならない。二人は天使に命じられて、やむなく悪行を演じ、暴君、愚帝として歴史に汚名を残した。


 啓示の最後に、天使は自分についての謎かけをする。

「わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである(黙22:13)」


 天使は自分のことをイエスと名乗っているが、これはイエスがまだ生きていることにしたいからだろう。獣の幻が出るなど、ダニエル書と啓示の表現方法が似ていることから、ダニエルの前に現れた天使と思われる。ダニエル書第十章でダニエルがチグリス河の岸で見た天使の姿は、ヨハネの前に現れた天使とよく似ている。


「足までたれた上着を着、胸に金の帯をしめている人の子のような者がいた。そのかしらと髪の毛とは、雪のように白い羊毛に似て真白であり、目は燃える炎のようであった。その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、声は大水のとどろきのようであった。(中略)顔は、強く照り輝く太陽のようであった(黙示録1:13-16)」


「ひとりの人がいて、亜麻布の衣を着、ウパズの金の帯を腰にしめていた。そのからだは緑柱石のごとく、その顔は電光のごとく、その目は燃えるたいまつのごとく、その腕と足は、みがいた青銅のように輝き、その言葉の声は、群衆の声のようであった(ダニエル10:5-6)」


 ちなみにエゼキエル書八章の天使も、青銅と火を特徴とする。


 ダニエル書八章と九章に登場する天使は、はっきりガブリエルと明記されている。黙示録の天使と似たダニエル書十章の天使は、ミカエルのことを第三者として語っているのでミカエルではない。ひとりの預言者に複数の担当がいるとは思えないので、十章の天使もやはりガブリエルだろう。以上の理由から、アルファでありオメガであるものはガブリエルと推測できる。


「わたしは初めであり、わたしは終りである。わたしのほかに神はない(イザ44:6)」

 彼は第二イザヤにもそう啓示を告げていた。第二イザヤ、ダニエル、エゼキエル、ヨハネに啓示を告げたのはガブリエルのようだ。


 エゼキエル書に出てきたマゴグとゴグという名前が、黙示録にも出てくる。

「メセクとトバルの大君であるゴグよ、見よ、わたしはあなたの敵となる(エゼ38:3)」


 エゼキエルは、ダニエルと同時期の預言者だ。エゼキエル書の36章と37章では、エレミヤ書同様、北イスラエル(エフライム)とユダがひとつになって栄えると、主が約束している。39章。主が北の果てマゴグの地のゴグにイスラエルを攻めさせるが、イスラエルによって倒される予定だそうだ。


 ゴグは単独ではなく、ペルシア、クシュ、プトらと連合を組む。これが世に言う世界最終戦争で、ゴグは旧ソ連だと解釈したい人たちが世の中には大勢いるようだが、主はエゼキエルにマゴグのゴグに向かって言えと命じているので、エゼキエルが生きている時点で存在しているはずだ。


 では、どこだろう。マゴグはノアの孫で、ゴグはメシェクとトバルの総首長だ。今のグルジアにあるトボリシはトバルの都という意味だ。

「ヤワン、トバル、およびメセクはあなたと取引し(エゼ27:13)」

 とあるように、今のレバノンにある海洋都市ティルスの取引先なので、十二世紀になって初めて歴史に登場する遥か遠方のモスクワとは思えない。小アジア(アナトリア半島、トルコのアジア部分)の好戦的な民族とする説が有力だ。


 当時のオリエントは新バビロニア、メディア、エジプト、小アジア西部のリディアの四つの勢力が競いあっていた。イスラエルから見た北はメディアとリディアになるが、メディアならメディアとそのまま記すはずだ。旧約聖書にはリディア王国の記述がない。イスラエルから遠方のリディアは、あまり人々の話題にならなかったのだろう。


 天使はリディアを念頭に置き、マゴグの地のゴグと表現した。ただし、状況次第では他の勢力がマゴグのゴグとなれるよう、はっきりとした国名は避けた。黙示録の七つの教会はちょうどリディア王国のあった場所にあたり、天使はヨハネに語る際、地上の四方にいる諸国の民の象徴として、ゴグとマゴグという言葉を出してしまった。


 ということは、エゼキエルの時代、まだキュロス王が台頭する以前は、ダニエルに示したような四匹の獣が前の獣を喰らい次第に巨大化していくプランではなかったことになる。まずメディア(ペルシャ)が新バビロニアと戦い、両国は体力を消耗する。リディアが体力を温存し、相対的に力を増してゆく。


 バビロニアの弱体化により、ユダ王国は独立し、旧イスラエル王国の版図を取り戻す。わが民イスラエルの安らかに住むその日に(エゼ38:14)、強大化したリディアは、メディアなどを率いイスラエルを攻める。しかし、イスラエルの山々に導き(39:2)、イスラエルの山々に倒れる(39:4)とあるので、狭く険しい山道などの地勢的に不利な場所に誘導され、進路と退路を塞がれたり、幻の道に足を踏み入れ転落するなどして壊滅。


 火を送り(39:6)、火を降らせる(38:22)という表現から、空から火が降ってくる幻や山火事も考えられる。それでイスラエルが勝利し、主の栄光が示されるといういささかローカルで、ユダヤ教徒が望みそうなプランが進行中だったようだ。


 しかし、現実はメディアが全オリエントを飲み込んでしまった。ダニエルが四匹の獣を見たBC550年頃は、キュロスがメディア王アステュアゲスを倒し、三年後にリディアを倒した。新バビロニアは最後の王ナボニドゥスの息子ベルシャザルが摂政をつとめていて、まだキュロスに倒される前だった。エゼキエルへの預言はBC590年頃である。


 エゼキエル書四章でイスラエルの罰の年数が390年と定められているので、BC200年には北イスラエルは復興するはずだが、そんな史実はない。BC590~550の四十年の間に、計画の変更が起き、天使はダニエルに新計画に基づく啓示を示したのだ。


 計画が変更した原因は、当時ペルシャに広まっていたゾロアスター教から、天使が大きな影響を受けたことにある。救世主が全人類を救うという発想は、天使を虜にしたに違いない。狭い約束の地でイスラエル人が主の栄光のもとに栄えることよりも、全世界を相手に愛の教えを広めるほうがやりがいがある。

 ダニエルはイスラエルのために祈ったのだが、それを聞いて飛んできた(急いで来たという意味ではなく、文字通り空を飛んだ)ガブリエルは、イスラエルの栄光を語ることなく、メシアの登場時期を示した。


 神の計画は変更されたのだ。計画の変更とは、キリスト教誕生の瞬間でもある。


 紀元前八世紀に書かれたとされるイザヤ書は、前半がアッシリアの脅威とインマヌエルという名の救世主のことが記され、後半はキュロスが登場し、イエスを思わせる従順な救世主らしき人物のことが記されている。文体の違いなどからも、後半は第二イザヤと呼ばれる前半とは別人の手によるものとされる。

 これはおそらくその通りで、キリスト教の構想をまとめたガブリエルは、ダニエルに宣教地域と時期を、第二イザヤに救世主の特徴を示した。


 イザヤ書に追記する形をとったのは、救世主インマヌエルのことが預言されているからだろう。さらに、過去の預言に追記すれば、その後起きた出来事を事前に言い当てたことになり、信頼性が高まる。


 ユダヤ教では古い写本をゲニザと呼ばれる保管所に集め、そこで廃棄する決まりになっており、死海写本などの例外を除けば古い写本が存在しない。写本を写すのも専門家の仕事だ。そういった事情と、主からの啓示、写す際に元の写本の文字を幻影で変えるなどすれば、聖書の内容を意図的に変えられる。

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